Re「宮藤官九郎について」
modern-times のベースギター担当、冨川”tommy”功喬です。ワタナベタカヒロの書いた「宮藤官九郎について」という記事を読みました。今回の記事は主に、ワタナベがこれまでに観てきた工藤官九郎(以下、クドカン)脚本作品を紹介しつつ、「クドカンはエンターテイナーだ」というワタナベ流のクドカン像を基に、彼の描くドラマについて考察をするということがテーマになっていました。
彼が見てきたクドカン脚本作品の中でも特に「木更津キャッツアイ」シリーズに軸足を置いて話を展開しており、その中で彼の「内容も至ってナンセンスなんですけど、最近、ナンセンスな作品って少ないよなぁ…って思うんですよね。ナンセンスって何が良いって、こっちが何も考えなくても観れるっていうのが良いんですよ!最近は考察させたりだとか小難しい感じな展開だとか…こっちはなんも考えずに笑いたいんだよ!というような気持ちになる」という着眼点には興味深いものがあります。
私は生来明日の衣食も考えぬような迂闊者としてここまで生活をして参りました。私の心の師であるみうらじゅんは「人生の7割はくだらないことを考えてきた」と語っておりましたが、どっこい私は「人生の9割はくだらないことを考えてきた」のであります。であるからして、くだらないと感じられる、ある意味でばかげた物事、即ちナンセンスな物事に心を惹かれるところがあります。そこへくるとクドカン作品はワタナベの言う通り、この心を惹かれる要素を数多もっているように感じられます。ドラマの本筋とは全く関係のないボケといいますか、くだらない小ネタが随所に散りばめられており、読んだ本の内容や観た映画の内容を忘れてしまう私でも、なぜかその小ネタは覚えている、という状況が生まれるほどであります。それはあたかも、教科書本筋の内容は覚えていないのに、横に書かれていたコラムの内容は覚えている、という経験に似た物があります。
この小ネタについてでありますが、クドカンは、わが師みうらじゅんとの対談本『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』(集英社文庫, 2013)にて以下のように語っています。
(引用始まり)
宮藤「お金にならない、一見ムダなことって大事だと思うんですけどね。僕自身、昔からずっとそういうことにばっかり力を注いでやってきたんで。」
みうら「ムダなことに命懸けてる人って信用だけはあるよね(笑)。でも社会って昔からお金が一番の価値でしょ。お金は持ってるほどいいっていう考え方が大半じゃないですか。……何に一番価値を見いだすかって、人それぞれっていう考え方があったほうがいいよね。俺はたくさん選択肢がある時代のほうが楽しいと思うんだけどなぁ。だって、なんだか乱交みたいでイヤらしいでしょ、全員がひとつになるって(笑)。」
宮藤「乱交の例えはよくわかりませんが(笑)」
(引用終わり)
この二人の語る「ムダ」というものは、ここで語られる「価値」(ここではお金)というものに対置して語られており、社会のもつ「生産性」というワードに非常な親和性をもって語られているように私は感じます。生産性の高いもの、即ちお金を生み出すことが「できる・できない」ということが、価値の「有る・無し」に結び付けられており、価値の「有る・無し」は存在して「良い・悪い」という価値観にさえ結びついていくように発展していきます。しかし物事を見る基準はそれだけではありません。だからこそ、ご覧下さい。みうらはこの一見まじめな会話の中にもお得意のスケベエッセンスを加えて会話にくだらなさを香らせているのです。「ムダ」なものだってあっていいじゃないか、という観点から、二人は以下のように話を続けます。
(引用始まり)
みうら「とにかく、すべての基準が金っていうのが切ないよね。面白い面白くないとかっていう基準があったっていいのにね。実際は難しいっていうのもわかるけどさ。」
宮藤「確かにそうなんですけどね。でも面白い面白くないってどうしても個人の感性になってくるから、万人のものさしになるお金は手っ取り早いんでしょうね。」
みうら「……マニアックなものを面白がるのって、センスだったりちょっとした訓練もいるじゃない。「意味わかんない」って切り捨てちゃうほうがラクだから。」
宮藤「……ちなみに僕、ここ10年くらいかな、自分がいくら稼いでるか知らないんですよ。……お金の管理は奥さんと税理士さんに全部任せちゃってるんで。……でもお金のことを取りあえず気にしなくていい状態って意外と快適ですよ。一本書いたらいくらもらえるみたいな打算が頭の中にあると、カンが鈍っちゃう気がするし。」
みうら「もし「ドラマ一本の中の小ネタ1個につき3000円」とかいう基準があったら案外、頑張ってネタ入れちゃうかもね(笑)。」
(引用終わり)
とかくお金は分かりやすい。100円をりんご1個と交換できますよ、と言われれば100円にはりんご1個分の価値があると理解できるからです。しかし「ムダ」にはそれが無い。私の大好きななかやまきんに君の筋肉ルーレットは、お金に換算するといくらの価値があるだろうか?筋肉ルーレットをテレビで観ている時、劇場で観る時、家まで出張してくれて目の前で観る時のそれぞれで値段は変わるのだろうか?そして実際に幾らなら自分は出せるのだろうか?わからないことだらけです。なぜなら筋肉ルーレットは「ムダ」だからです。でも大好きなのです。実際お腹が引きちぎれるくらい笑い転げたことがあります。あ、でもここでお腹が本当に引きちぎれて私が息絶えた場合、死因は「筋肉ルーレット」になるのだろうか。その際生命保険の調査員がやってきて、私に保険を下ろしてくれるだろうか。もし下ろしてくれることがあるとすれば、その金額の何割かは「筋肉ルーレット」への支払い額として加味してくれるだろうか。加味してくれるのであれば、その金額こそが「筋肉ルーレット」のお金に関する価値ということになるのでしょうか。
心の旅が始まってしまいました。閑話休題。何を言いたいのかというと、価値の「有る・無し」とそれが存在して「良い・悪い」ということは全く別問題だということです。そこに情熱を燃やせるのか、面白いと思えるのかどうかということは、あるいはそれこそが個々人の価値観に依拠するものであり、他人がとやかく言うことではないからです。お金を儲けるということに価値を見いだす人がいる、大いに結構でしょう。筋肉ルーレットというネタを生み出すことに価値を見いだす人がいる、大いに結構でしょう。話をシンプルにするためにこんな単純な二分法にしてしまいましたが、もっと多様な価値観を私たちはもっており、それらは多くの場合他者に侵される訳にはいかない領域となっています。これは「全員がひとつになる」乱交ではないのです。ある意味で秘め事、自慰行為に近いものがあると感じます。でも、他人の自慰行為だって見てみたいときがあるんだぜ。他人の自慰行為に感動することだってあるんだぜ。そんなとき、「お前のはぜんぜんだめだ!そんなやりかたしちゃだめだ!」って言われたらがっかりする。入ってこないでよ、と思ってしまう。急にドア開けないで!と思ってしまう。そのあとしばらく気まずくなってしまう。
クドカンの作品群が、「なんも考えずに」笑わせてくれるものだと感じさせるには、やはり彼が「小ネタ1個」につき幾らという打算なく、彼の思う面白さやくだらなさ、即ち「ムダ」というものを作品に入れ込んでくれるからこそ成り立つものなのでしょう。クドカンがそうやって届けてくれた「ムダ」を、学生の頃ワタナベと一緒に「木更津キャッツアイ」を観た私は今でもよく覚えており、会話の最中に今でも作中の小ネタが飛び出すほどです。もしもワタナベがヴィトンのカバンを持ってきたらすぐさま擦って、下から「MIKE」というロゴが出てきたところでそのカバンがパチもんであることを白日の下に晒し、「NIKEでもねーよ!」という台詞を言う準備は出来ています。
そんなクドカンは脚本家としての顔だけでなく、バンドマンとしての顔ももっています。バンド内での彼はギター担当の「暴動」。楽曲の作詞・作曲も担当しています。このバンドの名は「グループ魂」。グループ魂は私の人生に多大なる影響を与えたバンドの一つであり、こいつらこそムダのかたまり。でもなんでだろう、心のどこかを触ってくることに違いはないのです。このどこかを触られると、私はぞくぞくする。このぞくぞく、言葉で説明のつかないこの感じこそ、私の中ではとても大切なことなのです。そしてムダ、くだらないものには、私をぞくぞくさせる力がある。この力を、これからも信じてゆきたいのです。Over30 Do the 魂…!初めてシコった夜のこと、覚えてるかい…?俺のティッシュでお台場埋め立てろ…!これからも忘れたくない、あの感慨が、そこにあると信じて。
ちなみにグループ魂のギター担当、遅刻の愛用するギター、テレキャスターデラックスはワタナベも愛用するギターのうちの一本。クドカンはホワイトのSGを使っています。グループ魂には「チャーのフェンダー」という、あのスーパーギターヒーローCharを登場させたくっそくだらない曲もあるのです。
それでは次回のテーマを指定します。次回のテーマは「ギター」です。そろそろバンドにつながりそうな話に戻してみます。
明日はどっちだ。ワタナベさん、どうぞよろしくお願いします。
冨川”tommy”功喬
雑記:ちなみに忘れっぽい私が「僕の生きる道」で唯一覚えているシーンは、草彅剛の娘であるりんちゃんが一人でお留守番しているときに雷のなる大雨になってしまい、電話でゆら先生(小雪)に泣きながら電話をかけるシーンです。こちらもよろしくどうぞ。
→※トミーくんの言っているドラマは「僕の生きる道」ではなく、「僕と彼女と彼女の生きる道」です。本当に大筋などは忘れているんだなぁ…。