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昔の絵の方が上手い

ググってみると現象自体に理由はあるらしい。
感性の変化、技術に手が追いついていない、等。
まずは描くことの楽しさを思い出さないといけないなあと思いながらなんとなく描いては違う違うと思う日々。
色塗りがあまり好きではないのでそこに妥協してしまうことが多い。

昔から、色の少ない絵の方が好きだった。
シンプルな絵。昔のアニメのラフ画が好きだった。
しかしながら世間で受けるのは当然綺麗に塗った絵だ。
「絵が上手いというのは見るヒトに不快感を与えない絵だ」という意見もあって、吐きそうになった。
ブラウザ閉じろという話ではある。
結局好きに描いて自己満足できたヒトが勝つのだからそれでいいじゃないかなどと思いながら、1いいねもつかないなと思いながら黙々とアップロードしながら、ため息が出る。意味がわからない。
少し前の記事でも書いたとおり、承認欲求に囚われているのだ。

入院する前、SNSは承認欲求を肥大化させるように作られているという言説を見た。
おそらくそうなのだろう。
もうXやめろでしかないのだが、1いいねがとても嬉しいのでやめられずにここまでやっている。
ため息。ため息の日々だ。

ため息の、といえば。
私はこの曲が好きだ。哀愁があって良いと思う。
推し曲を紹介するときに語彙力も表現力もレベル1になるのが「私」だ。

〝明日できることは明日やるよ〟

目がさめたら夕ぐれ(ver0.9)【初音ミク】/山本ニュー

ということで、明日できることは明日やろうと思う。


……ではいけないんだよなあ、私は。

もしかすると練習方法が悪いのかと思ったので、絵について読み飛ばしても構わない振り返りを行う。
昔から絵は何百枚も描いてきたけれど、デジタルに復帰してから意識的にしてきたことは、

・人体の基礎構造の把握をしながら描く
・上手い人の絵を観察する

(入院)

・ジェスチャードローイングの教科書を一冊読みながら描く
・外に出てなんかのデッサンをする(かんたん・無理せず)

(退院)

・毎日絵を描く
・なんかのデッサンをする
・上手い人の絵を観察する(リターンズ)

であった。

まあそれで全然上手くなっていないどころか昔の方が上手いというのは練習方法が自分に合っていなかったか、もう少し資料を用意した方が良いか、
あとはまあ……ブランクなのかもしれない。
おしまいはググって都合の良い答えを採用して終わりかという感じになってしまうのだが。
ためいきを吐いて、今日はこれで、

おわり。

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