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まちに?を埋め込もう。

少し前になりましたが、地元福津市で映画「杜人」の上映対話会を開催しました。結果的に100名を超える方にお集まりいただき、自分と自然環境との関わりや、暮らしの中での実践について私自身も考えさせられる時間になりました。

この企画、環境のため地元のために熱い気持ちでやりました!とう感じではなく笑、自分にもまわりにも、どんなことが起きるかな?と実験的に始めたものだったのですが、結果的にはとても楽しくありがたい経験でした。少し落ち着いたので、自分のためにも今回感じたことを書いておこうと思います。

⚫︎知らない人、活動がたくさんある
海、山、川、干潟…地域ではとにかくさまざまな人や団体がすでに環境保全、環境再生の活動をされていて、そういったものを知り、つながる機会になりました。それ以外にもこども食堂や高齢者支援の団体の方などとも知り合うことができました。情報は良くも悪くも発信するところに集まるので、旗を立てるのが改めて大事だなと。逆にいうと、みなさんの情報や活動は一部の人にしか届いておらず、もっと多くの人に知られたらいいのにと思いました。

⚫︎世代を超える
当日会場には80代から20代、地域活動されている方から会社勤めの方までかなり幅広い方々に集まっていただきました。しかし、今回自分のリソース不足や思慮が足りずやりきれなかったのは、中高生など未来の世代を巻き込めなかったこと。せっかく教育委員会の後援もとったり、高校生以下無料にしたのですが、集客では特に力を入れたり個別に声かけしなかったので、結果としては親子参加がちらほらという程度になりました。
それから、託児や赤ちゃんと一緒に見れるスパース確保など、小さなお子様連れの方への対応ができなかったこと。子育て当事者でありながら手が回らなかったのはちょっと申し訳なかったのですが、最小限の労力でできる範囲でやろうと決めていたので、これもまた準備が必要だということが勉強になりました。

⚫︎自分がやりたいことをやる
ソース原理という昨年から探求している考え方に照らして自分の活動を捉えていると、あらゆる判断意思決定が自分がやりたいことやりたくないことの境界を決めることと同義で、楽しかったです。

例えば、上映会を「サービス」としては捉えたくないな、できるだけ一緒に場をつくる設定にしたいな、スケジュールや進行をかっちり決めすぎるのも嫌だな、できるだけ集まった方とその場で起こったことを元にその場をつくりたいな、といった感覚を大事にして、当日その瞬間まで余白を残したりしました。(単純に想定人数を超えた準備不足でバタついた点もありましたが…)
誰かのための企画でありつつ、自分が大事にしたいことを大事にするという両立の感覚はこの規模、単発であれば十分担保できるなと思いましたし、活動を継続するなかでもこの感覚は大事にしてやりたいなと。

⚫︎遊びと問いを地域の中に埋め込む
今回の映画「杜人」はメッセージ性が強いドキュメンタリーで、「私たちは自然とどう向き合い、付き合っていくのか?」という直球の問いを投げかけられました。これはこれで良かったのですが、他にも遊び感覚で何かをする体験や、立場が異なる人が交わることを通じて普段の暮らし方、考え方に「?」が生まれて、その場ではモヤモヤしたとしても後でじわじわと効いてくるような、そんなきっかけづくりや仕掛けが地域にもっと埋め込めると楽しいだろうなと妄想しています。祭り、絶叫、だじゃれ、ゆるスポーツ、ゲーム、ダンス、仮装…仕掛けはいくらでもありそうです。ハレとケ、遊びと型、ソトとウチ、自然と都市を行き来して、日常に揺らぎと問いが生まれる仕掛けをあちこちに埋め込めないか、引き続きあれこれ実験を続けてみたいと思います。

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