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デジャブのススメ ~夢とデジャブ~

みなさんは"déjà vu"、つまりデジャブを経験したことありますか?
私は多いのか少ないのか分かりませんが、二ヶ月に一度のペースでデジャブを経験しているデジャブベテランです。

突然、目の前の景色が夢で見たことあるイメージと重なり、
「あっ、これデジャブだ。見たことあるぞ」となるのです。

気心知れた人たちの前では、
「ちょっと!ちょっと!今この瞬間デジャブー!!」
なんてテンションを上げてしまうのですが、恥ずかしい人の前では何事もなかったかのようにクールに流しています。

ちなみに私がデジャブを見る頻度は歳をとればとるほど増えていってます。
最近は特にです。
だからこんな文章を書いているのですが。

デジャブの科学的な原因は分かっていないそうですが、
「脳が過去の記憶と錯覚して既視感を感じている」
なんて説があるそうです。
歳をとればとるほどデジャブ回数が増えているのは、記憶の引き出しは増えていくものの、同時に記憶を探し出す脳の能力が衰えているからではないでしょうか?

とりあえず科学的な根拠や本当の原因はともかく、
デジャブを感じるたびに私は
「人生とりあえず今のままでいいのだな」
と勝手な解釈をしています。

漠然と未来が不安になる時はきっと誰しもあるでしょう。
私もそうです。
過去を振り返ると、いくつもあった分岐点、この道を選んで正解だったのか、なんて不安に思うことだらけです。
あの時ああしておけば…なんて後悔もいっぱいあります。
しかし、だからこそデジャブを感じた時、
「大丈夫、大丈夫、俺の人生予定通り!夢に向かって順調順調!」
なんて自己肯定をするようにしているのです。

前述したように、私の見るデジャブは夢で見た出来事が大半です。

夢の中で見た幸せな自分の姿たち…
撮りたい映画の現場で監督をしている自分。
満員の観客の前で舞台挨拶をしている自分。
会いたかった人と再会している自分。
目覚めるのが嫌になるほど良い夢の中にいる自分。

デジャブを感じるたびに、いつか夢で見たこれらの記憶がデジャブとなり、現実になることを期待してしまいます。


鶏が先か、卵が先かなのか…
どちらが先についたのか分かりませんが
夢という言葉には、
1.睡眠中に体験する視覚的体験
2.将来実現してほしい事柄
という2つの意味が含まれています。

韓国語の(クム)
英語のDream
スペイン語のSueño

私が知ってる言語においても、夢を意味するこれらの単語には同じような2つの意味が含まれています。もしかすると世界には、睡眠中に見る夢と将来の願望を意味する夢が違う単語で表記される言語があるかもしれません。
(世界は広し、ありそうな気がする…)
しかしこのように、夢という単語に2つの意味が内包されていることを、私は人類の共通の感覚なんだと思いたいです。

昔から人々は寝てる時に見る幸せな夢を実現させたいと想いを馳せてきた。
そしてそれは時代が変わっても文化が違っても同じはず。
そんな共通点が人類にはあるのではないでしょうか?

映画なり、小説なり、そういう人類の共通点を刺激する作品…
つまり、文化が違えど、言葉が違えど、ましてや時代が違えど、共感を生むことができる作品こそ末永く残る名作なんだと思います。


話がそれてしまいましたが…
みなさんの中には私とは違い、デジャブを不快に感じる方もいるかもしれません。
でもデジャブを感じる時くらい、自分の人生を肯定する瞬間にしてもいいのではないでしょうか?



P.S. 
ちなみに私は過去に夢で見たことを現実の出来事だと本当に勘違いしてしまったことがあるヤバいやつです。
(※友人の胸に毛がいっぱい生えている夢を見て、ずっと毛深い人だと思っていたのですが、実際はツルツルでした。※友人は男性です。たまたま着替えてる時に真実を目撃しました。)
みなさんも気をつけてくださいね!笑

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