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2022年を迎えた俺たちへ『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』が届きましたので見て賀正 

 明けましておめでとうございます。スパイダーマンノーウェイホームは見ましたか?見ていないあなたはまだ2021年です。早く見て賀正するんだ。

 以下の文章はネタバレ?とかいう下級次元のルールに縛られることはないので、見てない人はちゃんと見てからまた来なさい。大丈夫。2022年は待っていてくれる。

 差し障りのない程度の紹介をすると、スパイダーマンノーウェイホームは最高映画なので「見ない」という選択肢はこの時空には存在しない。
 君はスパイダーマンノーウェイホームを見ることもできるし、見ることもできる。あと見ることもできる。すぐ見るか、明日見るか、許されているのはそのぐらいだ。あとはすぐ見るかだ。

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・版権という名のマルチバースを超えて

 今作の設定はマルチバースである。前回で偽マルチバースマンを出して疑問符をつけておいて、舌の根も乾かないうちにマルチバースをやる。人の心がない。
 ソニー時代とコロンビア時代のヴィランが全部出てきて妖怪大戦争だ。人の心がない。
 そしてトビー・マグワイヤとアンドリュー・ガーフィールドでスーパースパイダーマン大戦だ。人の心がない。これはマシーンの神が見せる幻覚であろうか?なんでもいい。俺は泣いた。

 圧倒的クオリティで我々を跪かせたアニメ版スパイダーバースが公開された後で、実写版スパイダーバースを最高ハイクオリティ映画として投擲してくるレスバ力の高さ。「いや無理でしょ」を実現するディズニーマネー。いや製作陣の執念である。

 ここまでくると見ている我々は理解するしかない。“映画版スパイダーマンは8部作だった”。

 終わりが最高なら全てが無敵である。ソニー版とコロンビア版も成仏昇天してさらに高いステージへ達した。我々はついに実現することのなかった「アメイジング・スパイダーマン2の続き」を見た。今日で全てが終わるさ。今日で全てが変わる。今日で全てが報われる。そう。今日で全てが始まったのである。



・ストレンジおじさんは要件定義という言葉を覚えろ

 Dr.ストレンジである。マーベル世界における便利マンの代名詞、ミスターお前のせいこと、ベネディクトカンバーバッヂである。MCU世界のマスラダであるこのおじさんは天才なので、いつも「だいたいわかった」するが、運がタキ並みなのでだいたい面倒を起こす。
 「超常の力で何とかしてくれる人が近所に住んでいるということそのものが、そもそも人間にとって良くない」ということが今回の話でよくわかった。やっぱりヒマラヤとかに住んでることには意味があったんや。
 俺はウォンの立場には絶対なりたくないが、その一方で「どんなスーパーパワーを持っていてもガバをメチャクチャ怒ってくるやつには一定の遠慮が発生する」という生きた実例なのでウォンのことは尊敬している。
 ストレンジおじさんは要件を詰める前に失敗できないタイプの魔法を始めるマンなので、一回ソーサラー・スプリームを辞めてSEとかをやるといいと思います。
 あと予告編でシュマゴラスが出てきてメチャクチャ嬉しかったので次回作が超楽しみです。

・ウィレム・デフォーに仮面は要らない

 ウィレムデフォーである。2022年になってウィレムデフォーのグリーンゴブリンがスクリーンで見られるという事実。これはもう時代の生んだ奇跡であり、パルパティーンがいきなりあらすじで蘇ることよりも遥かに歴史的に重要なことである。
 ロバートダウニーJr.がトニー・スタークになることでアイアンマンが始まり、MCUが始まったように、ウィレムデフォーがグリーンゴブリンになることで実写版スパイダーマンが始まり、MCUへの道を拓いたのである。これほどさように、ハマった配役というのは魔的な威力を持つ。呪といってもいい。
 それほどウィレム・デフォーのグリーンゴブリンは良かったし、俺はグリーンゴブリンの人としてウィレムデフォーを憶えた。それが帰ってきた。俺は泣いた。例の仮面は速攻で破壊され、以降は素顔だったわけだが、一切の問題がなかった。そのまんまだからである。
 欲を言えば、ウィレムデフォーがゴブリン人格に負けた失意の中で退場してしまったのが悲しかった。かつて自らを殺したトビーマグワイアに救われたデフォーに、なんらかの決着を与えてくれれば、俺はさらに泣けたと思う。

・スパイダーマンに流れた時間

 当然だが、旧作の俳優陣は加齢している。デフォーはしょぼくれた老人の顔を見せるし、トビーマグワイアも中年である。本作ではそのことを糊塗せず、ストーリーに取り入れている。
 技術的にはできるはずだ。キャプテンマーベルで80年台のサミュエルLジャクソンを再現してみせたMCUである。カネも人手もある。
 だが、本作の旧ピーターたちは中年の顔を見せた。トビーマグワイアとアンドリューガーフィールドが腰痛を訴え、互いにストレッチする。つまり、彼らにも時間が流れたのである。彼らは「あの後」もスパイダーマンをやっていた。
 それは、若いトムホランドのピーターもこうなるということであり、トムピーターも幾つになっても親愛なる隣人をやる、ということである。幾つになっても、傷がどれだけ増えても、あの言葉を忘れない。それはスパイダーマンとそのバースに向けられた希望である。


・これはMCUスパイダーマンの完結編である

 あとは語るほどのことでもないことを語ろう。これはMCUスパイダーマン三部作の完結編であり、ピーター・パーカーがピーター・パーカーになって終わる。
 なんかスーパーパワーとスーパーコネクションとスーパーテクノロジーを与えられ、銀河の運命を決する戦いにまで参加した10台の若者は世界と共にリセットされ、誰も正体を知らない親愛なる隣人と、ボロいアパートの部屋と、あの言葉だけが残った。
 かくして、スーパー頭が良くてコネクションもある天才少年という近年の設定を踏まえつつ、貧乏暮らしを強いられる街のヒーローという「初心」に帰った。この辺の脚本のパワーはほとんど曲芸であり、2時間半でこれをやるのはマジで凄くてどうかしている。

  帰るべき家はもう無い。自分で作るのだ。彼は大人になった。

 あにはからんや、この三部作はスパイダーマンのオリジンだったのだ。蜘蛛に噛まれて云々をすっ飛ばしたと思ったら、三部作全体が終わった時にスパイダーマンが生まれるとは。なんというすごい映画だろう。俺は泣いた。


・未来へ

 エンドゲームがMCUを見てきた俺たちへのご褒美なら、ノーウェイホームはスパイダーマンを見てきた俺たちへのご褒美だった。何度でも見たい。そして俺は何度でも泣くだろう。

 あとはあれです。マット・マードックが出てきて超嬉しかった。Netflix版ドラマシリーズは終わってしまったが、MCUで回収してくれる前例になってくれたこともまた嬉しい。パニッシャーも出してくれ。おわり

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