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ホテルこの世の果て

朝になると日が昇り、夜になると日が沈む。日本に住む我々には、それが当たり前のように感じる。季節や地域にもよるが、六時頃には空が明るくなり、十七時頃に暗くなる。ただ世界は広く必ずしもそうとは限らない。

たとえば、北極に近い地域では夏場になると日が沈まない。二四時になっても明るく、場所によっては一日中太陽が沈まないこともある。これを「白夜」という。その反対に「極夜」というものもあり、これは白夜の反対でいつまで経っても、太陽が昇らず、暗い状態が続く。ずっと夜なのだ。

白夜や極夜は極地と呼ばれる、この世の果てのような場所で起きる。地球は丸いので果たして「果て」とはなんなのかとは思うが、南極では六月の日照時間が0時間ということも珍しくない。極夜なのだ。寝る時も暗く、起きる時も暗い。日本にいてはわからないけれど、そのような世界もあるのだ。

いつだったか僕は一月に北極圏に近い地域に行ったことがある。極夜までは行かなかったけれど、日の出が十一時で、弱い光のまま十五時前にはその光は失われていた。気温もマイナス三十度で、この世の果てがあるならば、まさにそこはそのような場所だった。

そんなホテルが神奈川県にあった。田園都市線沿いにあり、その名は「ホテルこの世の果て」だ。田園都市線は東京の渋谷駅から神奈川の中央林間駅までを走る。渋谷区から始まり、世田谷区を通り抜け、川崎区を通り、横浜を走る。乗車率が非常に高く、通勤ラッシュの時間帯は身動きが取れないほどだ。この世の果てという感じはしない賑わいをみせる。

「ホテルこの世の果て」は東京を抜けて神奈川に入って数駅ほどの場所にある。JRとの乗り換えもある駅なので、やはり人が多い。そんな場所にあるのだ。何がこの世の果てなのだろうか。ホテルのある駅を降りて、線路沿いを数分歩けば、その姿が見えて来る。

外観はどこにでもあるラブホテルという感じだ。特徴を説明しろと言われても困るほど型にはまっている。大きなエントランスがあり、白い壁の三階建ての建物。横には大きくないけれどひっそりと入れる駐車場もある。看板に「ホテルこの世の果て」と書かれているが、「て」の最後の部分が伸びて、「この世の果て」を丸く囲んでいる。

フロント部分は薄暗く、青い弱い光でぼんやりと包んでいる。部屋は二種類あり、それぞれ十部屋ほどあるようだ。その種類は「白夜」と「極夜」。このホテルの特徴はこの部屋作りにこそある。この世の果てを体感できるのだ。

それぞれに照明のオン、オフはない。白夜の部屋はずっと明るく(それは眩しいほどに明るい)、極夜の部屋はずっと暗い(目が慣れれば物があることは認識できる程度)。女性は極夜を選びたがる傾向があるそうだが、男性は白夜を選びたがるそうだ。

ただこのホテル、実はインターネットで予約することができ、その時に白夜を選んでおけば、極夜の部屋が満室のように装ってくれるサービスもある。つまり男性なら女性にばれないように、白夜を選択することができるのだ。

私は今回、極夜を選んだ。真っ暗な部屋を見たかったからだ。部屋をボタンで選ぶと、フロントの小さな窓から鍵とカンテラを渡される。決して明るくはないが、極夜の部屋に入るとその明るさが唯一の希望のように感じる。

部屋は寒々しかった。カンテラを近づけて何があるのかを確認する。部屋は広く、物はあまりない。床は芝生のような感じで、ベッドはなく、キャンプ用のマットレスが敷かれている。その上に寝袋がある。お風呂場も暗く、浴槽はなく、シャワーだけで、蛇口をひねると勢いのない水がタラタラと流れた。あとで聞くと白夜の部屋は水圧が痛いほどあるらしい。

僕はカンテラを消して床に置く。マットレスに寝転び天井を見る。カンテラの光が消えると部屋は真っ暗で、やがて目が慣れてくると天井に星空があることがわかった。とても綺麗な星空だ。

数分ほど見ていると天井に白いカーテンのようなものが見えてきて、その白いカーテンはゆらゆらと揺らめき、徐々に緑やオレンジ、赤と光を変える。オーロラだ。私は男性なので、もし女性とくれば断然、白夜の部屋に行きたいけれど、極夜の部屋もありかもしれない。ロマンチックだった。

白夜にも何かしかけがあり、それはたいそう美しいらしい。この世の果てはどちらにしろ美しいのだ。そして、この部屋にカップルで来れば、果てるのだ。それがこのホテルの魅力だ。田園都市線沿いのこの世の果てで果てる。極限の地で愛を確かめ合う。ロマンチックではないか、とても。

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