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現象学的漫才

名著、竹田青嗣『哲学とは何か』

 現象学をマジメに学んでいらっしゃる哲学徒ならびに哲学研究者の方には誠に申し訳ない報告がある。
 私は竹田青嗣の『哲学とは何か』という歴史的な名著を読んでいて思った。この本は竹田青嗣氏が単なる哲学研究者ではなく、てつがく者であることを示す本である。いやいや、それはその前に書いた『欲望論』だろ!というツッコミが入りそうだが、残念なことにその分厚い著書を私はまだ読んでいない。それどころか買ってもいない。さらに買うつもりすらない。だって、分厚いんだもの。
 それはともかく竹田氏は『哲学とは何か』のなかで、「現象学的還元」と「判断中止(エポケー)」についてとてもわかりやすく解説してくれている。
    私は、この名著を読んでいて、不埒でかつ本質的な現象学の、てつがく理解に達してしまったのである。

フッサールの現象学的還元の方法(『哲学とは何か』p.97より引用)

 現象学的還元の方法の核心は、「主観」を原因と考え、「客観」を結果と見なす根本的視線変更にある。ここで、「エポケー」(判断中止)とは、「客観が何であるか」という問いを消去(括弧入れ)しておくことを意味する。「エポケー」が必要な理由は、「主観」と「客観」という構図で考えるかぎり、その「一致」の証明は不可能だからどこまでも謎が解けないためだ。だから問題を「主観」の領域だけに限定し、この領域を内省的に洞察して、たとえばリンゴを見るという近く体験において、対象の存在確信がどのように構成されるかの構造を把握するのである。その構図が「ノエシス-ノエマ構造」である。
 フッサールの「現象学的還元」の手順を整理すると、①エポケー、②「超越論的主観」(「内在意識」)の領域の確認、③「内在意識」における対象確信の構成の構造の把握、となる。
(長いので途中省略)
 この内在意識の主観の基本構造が、「ノエシス-ノエマ」構造。基本的には「ノエシス」(赤い、丸い、つやつやという知覚像)から「ノエマ」(これはリンゴだという確信)がたえず構成されている。この「ノエマ」が、構成された対象確信である。

 まあ、こういうことがつらつら書かれている。
 大事なのは「エポケー」という判断中止。対象にとらわれず、自分が感じたことを疑うってことなのよね。
 つまり、漫才で言うと、対象について妄想とかでボケている相方に対して、まず「アホかっ」って突っ込むことなんです。

チュートリアル「バーベキュー」

 チュートリアルとかブラマヨみたいな漫才を思いうかべてほしい。
 チュートリアルの漫才で、バーベキューの具を刺す順番のスタンダードを徳井が述べるネタがある。ピーマン、肉、たまねぎ、肉、ピーマン、たまねぎという順番がスタンダードなのか、ピーマン、たまねぎ、肉、ピーマン、たまねぎ、肉という順番こそスタンダードなバーベキューの具の刺し方なのか? 重要な問題だと徳井が述べる。福田は「アホかっ」とツッコみ、徳井の妄想を解く。

ブラックマネーズ「御堂筋のすもう」

 御堂筋で誰かとケンカをするのに、得意な相撲なら勝てるかもしれない。相撲でケンカの相手をして、それも得意の押し出しで、御堂筋通り沿いに梅田から難波まで相手を押してどんどんいけばいいということになる。しかし、途中、信号待ちで待っているときに押し出せない。そしたら、そのときに、こいつ本気で押す気がないなと悟られたらどうする? と吉田が言う。そしたら、青になっているほうの信号へどんどん押し出したらええやないか、と小杉が言う。そんなことしたら、難波やなしに天満橋のほうに行ったらどなんすんねん、と吉田が言う。そこで「アホかっ」と小杉がツッコむ。

「エポケー」としての「アホケー」

 この二つの漫才ネタ事象を見れば明らかであるが、主観-客観関係を「アホかっ」のツッコミひとつで判断中止(「判断停止」と呼んだほうがいいと思うけど)させているのだ。
 これは「エポケー」ではなく「アホケー」と呼ぶことにしよう。
 そしてこの方法を、「現象学的還元」ではなく「現象学的演芸」と呼んで覚えよう。
 さらに、チュートリアル、ブラックマヨネーズを「現象学的漫才」として記憶に定着させよう。そしたら比喩としての「リンゴ」は不要になる。

 相方のツッコミによって、ボケが妄想に入っている客観(超越)をいったん内在意識(私の脳ミソのなか)と切り離して、自分の見えているものから客観と思っていることを再構成することが出来る。つまり、福田の「アホケー」によって、徳井の信じているバーベキューの具の刺し方がほんとうにスタンダードなのか、そもそもバーべーキューの具の刺し方にスタンダードなるものがあるのかという問いとして、内在意識が切り離される。ああ、そうか、ピーマンのつぎがたまねぎ、つぎが肉という与件やいやいやピーマンのつぎは肉、肉、玉ねぎという与件もある、でもバーベキューって、そんなのはどうでもいいんだよね、スタンダードなんてない、という対象確信。

 福田が徳井のバーべーキューにおける客観妄想をアホケーで切り離し、内在意識として再構成する中で、真のバーベキューを確信するという現象学的還元。

 これはわかりやすい現象学入門でしょ。

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