ある日、突然、夫が死んだ

高瀬 甚太

 人生の先輩であり、私にとって兄のような存在であった鹿島武彦が亡くなった。訃報を聞いたのは鹿島が亡くなった翌日の朝だった。
 生前、鹿島に死を予感させるものは何もなかった。健康でタフで、常に元気な鹿島の死を誰が予見できただろうか。長い付き合いの私ですら鹿島が亡くなるなど想像したことがなかった。
 通夜に出席し、鹿島の妻の沙織に挨拶をした際、何が原因で鹿島が死んだのかを聞いた。沙織は大学時代の同期生で、その頃からの顔見知りだから遠慮せず聴くことができた。
 沙織は、手にした白いハンカチを固く握りしめ、私に語った。
 「いつものように彼は書斎でパソコンの前に座って原稿を書いていました。夕方になって買い物に行くために声をかけたんです。その時、鹿島はパソコンに向かったままの姿勢で片手を上げて私に『行ってらっしゃい』と応えてくれました。
 スーパーで買いものをして、途中、クリーニング屋に立ち寄って、帰ったのが1時間後です。『ただいま』と言うと返事がありません。出掛けたのかと思って書斎を覗くと先ほどと同じ姿勢でパソコンの前にいました。『ただいま』ともう一度声をかけましたが、返事がなかったので、おかしいなと思って――」
 沙織は極めて冷静に鹿島の死の瞬間を語った。
 誰にも別れを告げることなく、突然、この世を去った鹿島は、比較的健康体で、突然死に至る兆候がまるで見られなかったことから、変死として警察で解剖され、ようやくその死因が脳梗塞によるものとわかった。しかし、沙織の証言によれば、鹿島には脳梗塞に至る兆候などまるで見られなかったという。
 喪服に身を包んだ沙織は、通夜、葬儀と続く間、一切取り乱すことなく、弔問客に対応し、立派に喪主の役割を果たした。
 葬儀を終えて沙織に声をかけようと思ったが、大勢の知人たちに囲まれた沙織に近づくことができず、その日は挨拶だけをして、その場を辞した。
鹿島の死から一週間が経ち、沙織のことが気になって電話をしてみた。だが、応答がなく、不在を告げる声が、私の不安を掻き立てた。
 
 鹿島武彦は、過激で、奔放な作風でカリスマ的人気を持つ作家だった。その著作物は数知れない。私の出版社からも数冊、鹿島の本を出版していた。
本来なら極楽出版で発刊できるような作家ではなかったのだが、沙織の紹介と、その後の付き合いが功を奏して出版することができた。当然のことながら本の売れ行きは悪くなかった。
 鹿島と沙織が交際するきっかけを作ったのは、大学時代、私たちが開いた弁論ライブに、鹿島を招待したことによる。大講堂を借りて、『今を語り、今を突破する』をテーマに、全国の学生たちを集めての一大弁論ライブを企画した私たちは、数名の文化人に参加を要請し、招待したのだが、積極的に参加したのは鹿島ただ一人だった。その他の文化人は、ギャラの安さと学生たちの正直な反応が怖くて全員、参加を拒んだ。
 学生たちの弁論は、一方的に自分の考えを述べるだけのものでしかなく、聞いていて退屈するものが多かったが、鹿島の弁舌は、さすがにカリスマと言われるだけあって、内容、話しぶりで聴衆を虜にし、絶大な拍手を巻き起こした。この大会を企画し、進行に努めたのが私と菊池沙織、徳井伸の三人だった。
 この大会が二人の縁を結んだのか、私たちが気付かないうちに、沙織と鹿島の交際が始まっていた。私が知ったのは、写真週刊誌で、『密会!』と題された記事を見てわかったもので、その時の衝撃はと大きかった。菊池沙織は、私たちグループの絶対的アイドルで、沙織を巡る攻防が繰り広げられていた最中の出来事だったからだ。私はもちろん、グループ全員の落胆ぶりはひどかった。三日三晩、呑み歩いても、そのショックから立ち直れななかった。
 当時、鹿島は既婚者で、子供が二人いた。二人の仲は不倫であったから、世間の激しいバッシングを受け、非難の嵐の中で沙織は孤立した。
 私たちは、沙織を助け、励ますために動こうとした。だが、その前に、鹿島の離婚が発表され、日をおいて沙織との再婚が正式に発表された。
 学生時代から私たちの中心にいた沙織は、結婚しても何ら変わらなかった。相変わらず明るくて面倒見がよく、私が出版社を始めた時も、自ら率先して、鹿島に著作の発刊を願い出てくれたほどだ。
 そのおかげで私は、鹿島の本を数冊発刊でき、おまけに鹿島と無二の親友のごとく付き合うことができるようになった。その時から鹿島は、私の人生の師で、何物にも代えがたい友人となっていた。
 しかし、ここ一年ほどは鹿島や沙織の顔を見ていない。私が忙しかったこともあるが、それ以上に彼らも多忙を極めていた。国際的に活躍するようになっていた鹿島は、近年、海外へ旅することが多くなっていた。
 沙織もまた、結婚後、エッセイストとして雑誌に寄稿するなど活躍し、テレビなどのコメンテーターとして名を馳せていた。
 
 夫を亡くした沙織のことが心配で、葬儀の後、一週間ほどして何度か電話をかけた。だが、何度かけてもつながらなかった。携帯のアドレスを聞いておけばよかったのだが、留守が多いのか、一向に電話に出なかった。心配になった私は、二週間後の日曜日、住まいを訪ねた。
 鹿島の住まいは西宮の山手にあり、建物自体はそれほど大きくはなかったが、庭の占める面積は大きかった。門の前でチャイムを鳴らすと、いつもならお手伝いの声が対応するのだが、この日は誰も出ない。人の気配がしない鹿島家を前にして、私の不安はさらに募った。
 沙織の出演するテレビ番組が週に二本ほどあった。その局に連絡をして、沙織の様子を探ってみようと考えた。幸い、局のプロデューサーとは顔見知りで、何度か一緒に酒を呑んだことがある。電話をするとすぐに連絡が付いた。沙織のことを尋ねると、
 「鹿島沙織は、しばらく番組を休ませてくれと言って、当分、こちらには来ていない。旦那の死が相当ショックだったのだろうな。早く出て来てもらいたいんだが――」
 プロデューサーはいかにも残念そうな口調で答えた。
 「そうか……。家にかけても誰もいなくて、少し心配になったものでそちらへ電話をした。携帯のアドレスを知っていたら教えてもらえないか」
 「家にもいないのか。どこへ行ったんだろうなあ。私も何度か携帯にかけたのだが出なくてね。アドレスを教えるから、連絡がついたら俺のもとへ電話をしてくれるよう言ってくれないか」
 プロデューサーからアドレスを聞いた私は、早速、携帯に電話をかけた。しかし、沙織は電話に出なかった。不吉な予感がした私は、沙織の知人を片っ端から当たって連絡を取った。
 葬儀の時の沙織の様子を思い浮かべてみたが、気丈にふるまう沙織の姿しか思い出せない。会場で、多くの知人に囲まれていた沙織には、悲壮感などまるでなく、醸し出すムードも暗くなかった。それなのになぜ――。葬儀を終えて何があったのか、今のところ思い当たることは何もなく、手がかりもまた何もなかった。
 
 鹿島の葬儀から四十九日が経った。この日まで、私は沙織の家と携帯に何度か連絡を取ったが、ずっと連絡が取れずにいた。
 四十九日のこの日に至っても連絡が取れない。そのことに不安と焦りを感じた私は、葬儀会場へ連絡をして、鹿島家の四十九日法要を依頼されていないかどうかを尋ねた。
 ――鹿島様の四十九日法要ですか。当方が承っております。
 予期せぬ葬儀会場の責任者の言葉に、驚いた私は、法要の時間を教えてくれるよう頼んだ。
 ――本来なら本日ですが、鹿島様の御意向で明日になっています。
 ――明日ですね。何時から始まりますか。
 ――午前11時から始まります。
 ――法要の予約は、どなたからありました?
 ――鹿島沙織さまです。
 ――鹿島沙織からいつ頃、連絡がありましたか?
 ――葬儀を終えてすぐに法要の予約をなさいまして、代金もすでにその時、お支払していただいています。
 ――葬儀の日に予約しているんですか? その後の連絡はありませんか?
 ――はい。以後の連絡は一度もありません。
とにかく明日だと、その時、私は思った。明日、沙織が現れればそれでいい。元気な顔を見ることさえできれば――。
 鹿島と沙織の恋愛について、私は多くを知っていない。写真週刊誌で初めて知ったぐらいだから、沙織と鹿島が付き合っているなど考えた者は誰もいなかった。
 年齢が違い過ぎたし、私の知っている沙織の好みのタイプではなかったはずだ。沙織の様子からもまったくそれを窺い知ることができなかった。二人の恋愛はいかにも唐突で不自然なように思えた。
 二人がどのような愛を育んできたのか、私には知る由もなかったが、鹿島の死によって、沙織に一体何が起きたのか――。理解できないことが多すぎた。
 午前11時少し前、私は鹿島の四十九日の会場にやって来た。それほど広い場所ではない。来場する者も限られていたのだろう。出席者は十名ほどで、親類縁者に限られていた。もうすぐ法要が始まろうという時間になっても沙織の姿はなかった。11時の時刻を告げたところで住職が姿を現し、厳かに読経を開始した。
 この日、とうとう沙織は会場に姿を現さなかった。親戚筋の一人が、沙織に代わって集まった人たちに対応した。
 「鹿島さんの奥さん、沙織さんは来られていませんね?」
 沙織の代理を務める親戚筋の男性に尋ねると、その男性は、
 「葬儀の日に、頼まれましてね。料金その他すべて手配が終了しているので、四十九日当日、私の代わりに世話をしてもらえないかと。その時、お金もいただきまして、今日、世話役としてやっているようなわけでして――」
 と当惑気味に語った。
 四十九日の法要にも姿を現さないということは、一体どういうことなのか、判断に苦しむ沙織の行動であった。一体、何があったのか、彼女はどこへ消えたのか。最悪の展開が脳裏を過り、私は、来場した一人ひとりに、葬儀の後、沙織から連絡を受けた者がいないかどうかを尋ねてみた。
 沙織は誰にも連絡を取っていなかった。葬儀の翌日から、沙織は忽然と姿を消している。話を聞くうちにそのことが明らかになり、沙織の身を案じて、私は身を震わせた。
 
 世の中には死後の世界を論ずるものが多くいる。死後の世界を信じて、死に導かれる者もいた。愛する人の死に、生きていることの儚さを知り、愛に殉じてこの世を去った者もいる――。
 自ら命を絶つことは悲劇しか生まない。いや、罪である。そう断じた人がいる。沙織は、鹿島の死に絶望し、愛に殉じたのか、殉じようとしているのか。それとも何か他の理由があって、現実から逃れているだけなのか。私の杞憂は募り、深刻度は増した。
 沙織の消息を調査する術はないか、試行錯誤を繰り返しつつ、今一度、原点に戻って考えてみることにした。
 人は恋をすると、誰かに話さずにはおれなくなるという。それが本当なら、彼女は、鹿島と恋愛をしている時点で、誰かに話していた可能性がある。大学時代、沙織の友人に誰がいたか。男の目線でしか沙織を見ていなかった私には、沙織の友人、何でも話せる、心を許した友人の存在がすぐには思い浮かばなかった。
 学生時代を回顧する中で私はようやく徳井伸のことを思い出した。弁論ライブを沙織と共に企画し、運営した仲間で、大学時代、行動を共にした仲のいい友人である。しかし、彼とは卒業してしばらくして疎遠になったままだ。
 学生時代、あれほど仲がよかったのに、なぜ音信不通になったのか――。
卒業後、大手の建設会社に就職した徳井は、東京本社でしばらく働いた後、北海道の札幌支社に転勤になった。そこまでは知っている。だが、その後、音信不通になってしまった。
 仕事が忙しいのだろう、落ち着けばまた連絡が来る。そう考えてそのままにしていた。しかし、あまりにも連絡が無さすぎることに気付いて連絡をしたのが半年後のことだった。だが、連絡が付かなかった。彼は仕事をやめ、携帯のアドレスも替えていた。
 そう言えば、私と同様に徳井も沙織を愛していた。いや、あの頃の仲間のほとんどが沙織を愛していたから、徳井だけがどうというわけではなかった。寡黙で自己表現の苦手な人間であったから、コミュニケーションがうまく行かないことが多かった。私もそうであったが、沙織に交際を申し込んだ連中がことごとく討ち死にする中で、徳井だけは沙織に交際を申し込まず、片思いのままでいた。口下手で寡黙な彼に、お前も討ち死にしろ、と何度か、けしかけたことがあったが、徳井は笑って応じなかった。
 弁論ライブの時も、言い出しっぺが沙織で、私と徳井の二人が沙織の意見に賛同し、三人で企画を進めた。お調子者の私はともかく、沙織が徳井に協力を要請したことが意外で、多分、受けないだろうと思われた徳井が引き受けたことはそれ以上に意外だった。
 徳井の消息を尋ねようと思い、学生時代の仲間に聞いたが、私と同様に徳井の消息を知っている者は誰もいなかった。学生時代、徳井と懇意にしていた人間は少ない。唯一、私ぐらいの者で他にはいなかったのではないか。徳井を探し出したところで、沙織の行方がわかるわけでもないと思ったが、その時、なぜか、私の脳裏に徳井の存在が浮かんだまま消えなかった。
 学生時代、徳井の実家を何度か訪ねたことがあった私は、西宮市に住む徳井の実家を訪ねることを思い付いた。
 その日の午後、阪急梅田駅から特急電車に乗った私は、西宮北口で宝塚線に乗り換え、仁川駅で下車した。
 おぼろげな記憶を頼りに阪急仁川駅から山側に続く道を歩いた私は、瀟洒な住宅街の立ち並ぶ一角に徳井の住まいがあったことを思い出し、記憶を辿りつつ、ようやく家を探し当てた。
 『徳井』の表札を見た私は、迷わずチャイムを鳴らした。すぐに返事が返ってきた。
 女性の声であった。
 「突然、失礼します。私、ずいぶん以前、学生時代に徳井くんと親しくしていた者です。徳井くんの消息を知りたくてお邪魔しました」
 「……」
 返事が返って来なかった。そりゃあそうだろう。学生時代といえば三十年以上前のことだ。徳井の両親が今も健在かどうか、定かではなかったし、学生時代の友人が突然訪ねてきたことに徳井家の人が不信感を抱くのは当然のことだったろう。
 しばらく門の前で待った。徳井の住まいは、学生時代、この家を訪れた時と、まるで変っていないように思えた。木造の旧い建物はしっかりとした造りで、色あせることなく建ち、風格さえ感じさせた。
 しばらくしてドアの開く音がし、ゆっくりと門が開いた。顔を覗かせたその人物を見て、私は驚きのあまり声を上げた。
 「沙織さん!」
 夫の死を悼み、喪に服しているはずの沙織が、徳井の家にいることに私は一瞬、パニック状態になり、わけがわからないまま、ただただ沙織を見つめていた。
 「井森くん、先日はありがとう。徳井もいるわ。入って」
 沙織に促されて、門をくぐり、家の中へ入った。
 通された応接室に、徳井がいた。白髪が増え、少し頬の皺が目立ったが、間違いなく私の知っている徳井伸であった。
 「久しぶりだなあ、井森」
 徳井が懐かしげな表情で私を見た。
 「卒業以来だな。それより、どういうことなんだ。沙織がこの家にいるなんて」
 会った喜びよりも先に、沙織の存在が気になって尋ねた。
 その時、沙織がお茶を持って現れた。
 「井森くん、ごめんね。驚いたでしょ」
 徳井の隣に座った沙織が言う。
 「そりゃあ、驚いたよ。腰を抜かしそうになった」
 私の率直な実感だった。目の前の二人を見ても、私はまだ、信じられずにいた。
 「それにしても、井森くんがこの家を訪ねてくるなんて、驚いたわ。落ち着けばそのうち説明したいと思っていたけど、――相変わらずいい勘をしているわね」
 年老いたとはいえ、沙織は相変わらず美しかった。その沙織が、私の瞳を見つめて、徳井が説明しようとするのを遮り、ゆっくりとした口調で語った。
 
 ――学生時代、徳井くんと私はみんなに内緒で交際していたの。誰にも知られないようにしたのは徳井くんの配慮なの。あの頃、私、何人もの人に交際を申し込まれて、すべて断っていたから、そのことに徳井くんが気を使って、卒業して落ち着いた頃に発表しよう、そう考えていたの。そんな時、弁論ライブで招待した鹿島武彦と出会い、彼に誘われて、食事を共にした。年齢もずいぶん上であったし、紳士的でやさしい彼の言動に、私は何の心配もなく、安心しきっていたわ。
 鹿島に誘われてホテルで食事をしていた時、突然、カメラのフラッシュが焚かれ、『深夜のホテルで密会!』とスクープされた。週刊誌の記者に写真を撮らせ、既成事実を作り上げる。それが鹿島の常とう手段だと知ったのは結婚してずいぶん後のことで、その時はそんなことなど夢にも思わず、ひたすら鹿島に迷惑をかけてしまったことを後悔した。スクープされたことで、周囲は騒然とし、徳井との仲も疎遠になり、鹿島が離婚したことで、私は、周囲に煽られる形で鹿島と結婚をすることになった。
 結婚するまではわからなかったことだけど、鹿島は嫉妬心の強い男で、常に私を監視して、行動を束縛し、酒に酔ってはひどいDVを行なうような非人道的な人だった。外見とまるで違う彼の性格に私は辟易し、一日たりとて心の休まる日はなく、一日も早く離婚したいと考えるようになっていたわ。そんな私の気持ちを悟った彼は、DVを強め、監視を一層厳しくするようになり、私は囚人のような生活を強いられることになった。
 彼は、海外旅行に行く際も必ず私を同行させ、仲のいいおしどり夫婦を演出した。そのおかげで、私もメディアに露出するようになり、エッセイストとして活躍できるようになった。彼にはその点でとても感謝している。でも、売れてくればくるほど、私の離婚は難しくなり、愛のない空しい日々を鹿島の元で過ごさなければならなくなった。
 そんな時、偶然、私は徳井くんに会った。テレビ局のイベントに出演した時のことだったわ。イベントの責任者が挨拶をしたいと申し出があって、会うことになった。広告会社の代表という肩書を持つその男性は、丁寧に挨拶した後、
 「覚えていませんか?」
 と私に聞いた。えっ? と思ってその人の顔を見て、驚いたわ。白髪混じりの長髪、黒縁のメガネ、風貌は変わっていたけれど、徳井くんだということがすぐにわかった。
 「ご活躍のようでぼくも嬉しいです」
 徳井くんはそう言って私に笑顔をくれた。その途端、私は顔をくしゃくしゃにして泣いた。泣きながら徳井くんの胸に飛び込んでいた。どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからなかった。
 徳井くんは、そんな私をやさしく抱きかかえ、話を聞いてくれた。普通なら話せないような鹿島との生活を吐露した私を、徳井くんは労わり、慰め、そして一言、
 「ぼくとやり直してみませんか?」
 と言ってくれた。信じられない言葉だった。徳井くんは、私と別れて以来、ずっと独身で来たと語った。原因は、私に裏切られたことによる女性不信だった。徳井くんは、私が鹿島に心変わりをしたことに傷つき、その時の傷が元で、女性を真剣に愛せなくなっていると語ったわ。
 徳井くんの傍にいると、私は心から安心できた。学生時代からそうだった。他の誰にも感じたことのない、不思議な安堵感、安らぎが徳井くんと一緒にいると得られた。
 でも、私は、鹿島と離婚することはとても難しいと徳井くんに訴えた。一方的に私の方から離縁すれば、マスコミの寵児である彼は、メディアを使って私を徹底的に追い落とすことだろう。メディアも当然、彼の味方をする。この年になって、そんなバッシングを受けるのは辛いし、今の地位も失いたくない。ずいぶん自分勝手な言い分だが、それを徳井くんは受け止めてくれ、鹿島の元から脱出する計画を練ってくれた――。
 
 沙織はそこで話を一時中断させた。
 鹿島は、私が沙織の友人ということもあって、常に快く接してくれ、著作物を私の会社で発刊するなど売り上げに多大な貢献をしてくれただけでなく、兄のようにリードし、私をさまざまな著名人に紹介するなどして、私の交際範囲を大きく広げてくれた稀有な存在でもあった。その彼が――。信じられない思いで沙織の話を聞いていた。
 
 「ここからはぼくが話をするよ。ぼくの計画だから沙織には関係ない」
沙織の話を受け継いで、徳井が代わって話を始めた。
 
 ――鹿島の監視の目は異常に厳しくて、ぼくたちは会うこともままならなかった。唯一、イベントの仕事を一緒にしたことで、仕事の話になると、鹿島の監視も緩まり、仕事を口実に沙織と会った。鹿島は、自分の手先になる人物を常に沙織の傍に配していて、逐一報告させることを常としていた。そのくせ、自分が浮気する分には平気なのだからあきれる。彼の浮気性は相当なものだと、鹿島の行動を内偵していてよくわかった。まともな形での離婚は難しいと悟った私は、沙織に、鹿島の体調はどうだと確認した。沙織の話から、鹿島は異常なほどの健康お宅で、定期検診を欠かさず行い、食事や運動にも気を配り、実践していることがわかった。ただ一つ、不整脈の症状が現れていることだけが唯一の欠陥で、そのことを普段から鹿島は気にしていることを知った。そこでぼくは一つの計画を立てた。沙織の話から、鹿島がパソコンに向き合う時間帯を知ったぼくは、その時間、買い物に行き、家を留守にするよう沙織に伝え、鹿島のパソコンにメールで衝撃的な映像を送った。
 鹿島はメールが届いたことに気付いて、メールを開いた。そしてその映像を見た鹿島は、ショックのあまり不整脈に異常を来し、それが元で脳梗塞を起こした。彼の死は、偶然ではない。ぼくが仕組んだものだ――。
 
 意外な話の連続に、私は言葉もなく、茫然自失した。
 「鹿島に送った衝撃的な映像とは何だ?」
 ようやく我に返った私が問うと、徳井は、こともなげに語った。
 「沙織から、鹿島が、これまで多くの女性をたぶらかして妊娠させ、数多くの水子を作っていることを聞かされていたので、水子の霊の画像を大量に送ってやったんだ。効果があるかどうか確信はなかったが、多分、日頃から気にしていたんだろうな。計画通り、ショックを受け、不整脈を発生して脳梗塞を起こした。メールと画像は、沙織に消去してもらうよう頼んでおいたから証拠は残っていない」
 「買い物に行っている間に、亡くなっていたと医師に告げ、医師による解剖でもそのことが実証されたわ。通夜と葬儀を行った後、私は夫を亡くしたショックで家を離れたということにしておいた。誰にも見つかるはずがないと信じていたから、井森くんが現れた時は本当に驚いたわ」
 沙織の言葉に、私は怒りを禁じえなかった。
 「私は、沙織が鹿島の後を追って、自殺をするのではと心配して探し回っていたんだぞ。徳井の家にいるなど、夢にも思っていなかったから、私の方こそ驚いた。どうして連絡してくれなかったんだ」
 沙織は黙して何も語らなかった。徳井もそれは同様だった。
 「徳井の家を訪れたのは、一縷の望みを持って訪ねただけで確信など何もなかった」
 「ごめんなさい。でも、鹿島の死で解放された私は、一日たりとも鹿島と暮らした家に住むことができなかったの。最愛の夫に死なれた悲劇の未亡人としてしばらくの間、生きるけれど、ほとぼりが冷めたら、本格的にこの家で徳井くんと一緒に暮らす。井森くんが、今、徳井くんが話したことを警察に訴えてもそれはそれで構わない。私たち、その覚悟はできている」
 沙織の言葉を聞きながら私は静かに席を立った。
 「そんな話、おそらく誰も信じないだろう。荒唐無稽の話だと馬鹿にされるのが落ちだ。それに確たる証拠もない。徳井の話を聞いた時、私もそう思った。鹿島は脳梗塞で亡くなった。たとえそこにどのようなプロセスがあったとしても、それが疑うべくもない真実だ。沙織にお願いしたいことは、たとえ虚像であったとしても、鹿島の晩節を汚さないよう努めてほしい。それが私の最大の願いだ」
 徳井家を出ると、六甲の山並みが紅く染まっていた。夕闇の時間はあまりにも短く、すぐに夜になる。私は急ぎ足で駅を目指した。
〈了〉

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