誰が母を殺したのか

十一回
ACT3 長部智宏の苦悩
 
 長部智宏は、届いた招待状を前にして思案にくれていた。
 定年を一年後に控えて問題が持ち上がっていたからだ。
 長部には年の離れた妻と三人の子供がいた。子供たちはそれぞれ成人して家を離れている。長女は東京で結婚し、外資系の会社に勤めていた。二女もまた名古屋の書店に勤務しており、三女はこの春、短大を卒業して大阪の企業に入社した。問題は、長部の両親の介護にあった。
 長部の両親は共に高齢で、これまでは元気でいたが、夏に父が脳溢血で倒れ、この秋には母が胃潰瘍で入院し、二人で暮らすわけにはいかなくなった。そこで誰がめんどうをみるかが問題になった。
 長部の兄弟三人が集まって検討した結果、二人の兄弟に押しつけられる形で長部の家でめんどうをみることが決まった。
 長部は三人兄弟の真ん中だったが、長男と三男は、神戸と名古屋に住んでおり、両親の住まいに近い長部の家で暮らしたほうが父母も喜ぶのではないかということになり、長部の妻、春江が快く了承したことで、決定した。
 この秋、両親は隣町から長部の家に引っ越して来た。一緒に住んでみると、その世話が思っていた以上に大変だった。父は動けないし、母もまた術後とあって介護を必要とした。当然、妻の春江の肩にそれらがどっとのしかかることになった。少しでも負担を軽減しようとお手伝いを雇ったりもしたが、経済的な面でずっと雇い続けるわけにもいかず、そうなるとやはり春江に負担がのしかかっるてくる。
 長部が家にいる時は、出来るだけ妻の手助けをしたが、それでも仕事柄、不在の時が多く、妻にかかる負担を軽減するまでには至らなかった。
 そういう時期であったから、大阪へ行って一泊でもということが厳しい状況だった。
 長部の妻、春江は、長部より十歳年下の四十九歳だった。美人というわけではなかったが、気さくで心やさしいところを長部は気に入って結婚をした。警察関係の仕事とあって時間に不規則なところがあり、また、休みが取れない時もあったからどうしても春江にしわ寄せが行く。長部には子供たちと休日を一緒に過ごした記憶がほとんどない。そんな長部に対して、春江は文句一つ言うことなくずっと長部を支え続けてきた。
 そんな時期に届けられた招待状は、長部の同僚、松村の娘からのものだった。招待状には「おじちゃん、必ず来てくださいね」と松村の長女、幸恵の文字で書き記されていた。
 親友の松村とも長い間会っていなかったし、幸恵の花嫁姿も見たかった。春江はいいと言ってくれたものの、それでも長部は悩んでいた。春江に介護の疲れが見えていたからだ。
 そんな長部の元に一通の手紙が届いた。長部は驚いた。思いがけない人物からの手紙であったからだ。その手紙を見て、長部は大阪行きを決心した。
 長部は、春江に、
「申し訳ないがやっぱり結婚式に出席することにした。悪いが二日ほど留守にするがよろしく頼む」と断り、幸恵宛てに、結婚式に出席する旨の返事を送った。
 長部の元に届いた思いがけない手紙とは、田村健一からのものだった。田村健一は、二十数年前に長部が逮捕した常習窃盗の男だった。
 二十数年前、長部は市内の外れにある漁村で起きた「若妻殺人事件」の調査に躍起になっていた。当初は簡単に終わる事件のはずだったが、解決の糸口が見えないまま悪戯に時間だけを浪費し、暗礁に乗り上げていた。長部は同時期に起きた、連続窃盗事件にも関わっており、こちらの事件は、犯行の様子と被害者の供述などから田村を割り出し、市内のパチンコ店で逮捕した。
 田村は当初、事件への関与を否定したものの、結局、裁判で懲役三年の結審を受け、刑務所に入った。刑務所を二年六ヶ月で出所した田村のその後の様子を長部は知っていない。
 その田村が十数年ぶりに長部に手紙を送ってきた。長部は田村の身の上にいったい何があったのかと驚いた。
 手紙には、田村の文字で、以下の内容が納められていた。
「長さん。お久しぶりです。元気でおられるでしょうか。私、元来、こらえ性がないのでしょうか。これまで店を点々としながら今日まで来ました。その私もこの秋で還暦を迎えます。体調もおもわしくなく、病院へ行って診察してもらったところ、医者から末期のガンを宣告されました。余命三カ月もないようです。これは、独り身ということもあって、身寄りの少ない私に気遣って医者が教えてくれたものですが、ガンだと聞いても別に驚きませんでした。それよりもよくここまで生きて来たなという思いのほうが強かったものですから。
 ただ、そうなると死ぬ前に一度、どうしても長さんに会っておきたいと思うようになりました。
 実は私、ずっと長さんに隠してきたことがあります。本当は何も言わずに墓場まで持って行く決心をしていたのですが、それでは仏さんが浮かばれないのでは――、最近そう思うようになりました。長さんに話せなかったのには理由があります。二十四年前の未解決の事件について、出来たらお会いしてお話したい。そう思っております。お忙しいとは思いますが、ぜひとも私の希望を叶えてくだされば幸いに存じます。
 近々大阪へ来られる用はないでしょうか。もし、来られるようでしたらぜひともお会いしたいのですが。連絡先住所は左記に記しておきました。ご連絡いただければと思います」
 長部は田村の書いた「二十余年前の未解決の事件」、というところに着目した。一時、その事件のことで田村を疑ったこともあったが、田村にはアリバイがあり、シロだということを確信していた。長部の心証からいっても田村には殺人など出来そうになかった。だが、この手紙によると、田村は事件に関与していないまでも、あの事件について何かを知っていたことになる。
 そう思うと長部はじっとしていられなくなった。あの殺人事件の真犯人を捜し出さないと、長部は大手を振って退職することができない。長部は大阪行きを決心すると、急いで田村に連絡を取った。
<つづく>

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