怪奇幽霊ビル殺人事件

高瀬甚太

 たまに場末のバーに出かけ、酒を呑むことがある。午後10時台と、こうした店では忙しい時間帯のはずだが、私以外の客をこの店で見たことがない。カウンターだけの店はいつもひっそりしていて、私は端に座って一人、ちびちびとウィスキーを舐めるようにして呑むのが常だ。
 7席ほどしかないこの店が満席になったところなど、これまで目にしたことがない。店の印象もよくなかった。暗くて……、暗いだけならまだいいのだが、常に陰鬱な雰囲気が漂っていて、座っているだけで気分が重くなる。
ママが一人で店をきりもりしていて、金曜日と土曜日に一人、助っ人が来るが、その女性も明るさを与えてくれるような人ではなかった。性格もあるのだろうが根暗な印象が漂っていて徹底的に無口だ。唯一、ママだけが妙に明るい。
 よく潰れないものだと、噂されるのだが、実に十年近くほとんど休むことなく営業を続けている。私にしても、そんな店になぜ足を運ぶのか、とよく言われるのだが、改めて問われると答えようがなくて困る。いいところなどまるでなかったからだ。
 正月明けの金曜日、仕事が忙しくて一カ月近く立ち寄っていなかった。店の名前は『秋風が吹いたら冬になるかも……』という長くてほとんど何の意味も持たない店名だったから、覚える気にもなれず、私は省略して『秋冬』と呼んでいた。
 場所は、梅田と扇町の中間地点にあり、梅田の喧騒とは程遠いひっそりとした場所にあった。店の入ったビルも、よく壊れないものだと感心するような旧い建物で、狭い階段を上った三階に、その店があった。
 「編集長、お願いがあるんだけど……」
 エラの張った顔を私に近づけ、ママは大きな口を思い切り開け、甘えた口調で私に言った。
 「お願いって……、いったい何ですか」
 体を後ろにのけぞらせながら聞いた。女性に甘えられるのは嫌いな方ではなかったが、ママに甘えられると怯えが先に立つ。
 「このビルの四階に『四季満開』というお店があるの知っているでしょ」
 「名前だけはね。でも一度も入ったことがない」
 このビルの名前は「大阪梅田センタービル」といい、名前だけ聞けばどんなに大きなビルかと想像するが、何のことはない。四階建ての10坪に満たない建物で、一階は大衆食堂とうどん屋、二階がブティック……、こんな場所になぜブティックがあるのか不思議でならなかったが、とにかくブティックが存在し、対面に、以前は洋食屋があったが、高齢のために引退して今は空き家になったままの部屋があり、三階には「秋風が……」の店と「太閤秀吉参上」というわけのわからないゲイバーがある。最上階の四階を「四季満開」が二部屋を借り切って営業していた。一階の店以外は全店舗午後6時開店という典型的な夜の店で、驚くことに二階のブティックもそうだった。
 「『四季満開』のママから相談を受けてね。あそこ二部屋借りているでしょ。その西側の部屋で最近、おかしなことが頻発しているんですって。一度みてもらえないだろうかというので、うちの店の常連に出版社の編集長がいるから聞いてみようかって言ってしまったの。悪かったかしら」
 エラの張った顔に乗っかった玉ネギ頭が大きく左右に揺れる。ママは頼みごとをする時、いつも顔を左右に振って甘え顔をするのが癖だが、見ていて怖気づき逃げ出したくなる。特異な表情もそうだが、玉ネギ頭が落下してきそうで声を上げそうになることもしばしばだった。
 「私に聞かれても応えようがないよ。私は単なる出版社の編集長でしかないから」
 体よく断ったつもりでいたが、ママはそうではなかった。電話を手に取ると、
 「ああ、ママ? 私、『秋風が吹いたら冬になるかも……』のママよ。この間言ってたでしょ、西側の部屋でおかしなことが起こるって、今、ちょうど、編集長が来てるからそっちへ行ってもらうわね」
 慌ててママに「そんなこと言ってないよ!」と叫んだが、ママはそんなことなどまるで関係なく、
 「さあ、行って、行って」と私を四階に上がる階段に向けて追い出した。
四階に上がるのは初めてのことだった。階段は暗くて狭い。こんな階段を上ってまで行きたい店ってあるのだろうか、エレベータなど設備されていなかったから、一階から四階まで上がるのは大変な運動になる。
 四階に上がると、意外にフロア全体が明るいことに驚かされた。階段を挟んで東と西にドアがあり、東に「四季満開」と書かれた看板があり、西に「続・四季満開」と書いた看板があった。
 とりあえず、東側のドアを開けた。どういう造りになっているのか、それも気になっていた。入ってみると、店内が思いのほか広いのに驚いた。三階の「秋風が……」と面積は一緒のはずだが、どう考えてもこの店の方が広く感じられた。
 「編集長さんですか?」
 ドアを開けた途端、カウンターの奥にいたママらしき女性に声をかけられた。細面の妙齢の美人だ。顔とスタイルをみて、私は少し安堵した。
 「ええ……、三階のママに頼まれてきました」
 「申し訳ありませんね。どうぞ、こちらへお座りください」
 店内には五名ほど先客がおり、カウンターとボックス席が二つ、ホステスも若い女性が三人ほどいた。照明も三階とはずいぶん違い、隅々まで明るく店内を照らしだしていた。
 「実は……」
 私が席に着くのを見届けると、間髪を入れず、ママが話し始めた。
 
 ――ここ数カ月前から西側の店で不思議なことが起きているんです。西は呑むよりも食事を主とした店にしていて、予約客だけのお店にしています。予約客がいない時は店を開かないのですが、おかげ様で、一日五名を限定にしていますが、予約が取れないといった状況が続いています。
 去年の春のことです。料理人の後藤嗣郎が和食をモチーフにした料理を作っていた時、突然、電気が切れました。驚いて店の客にお断りをしようと店内に顔を出すと、電気が点いています。回復したのかと思って厨房へ戻ると、やっぱり消えたままになっていました。
 その時はしばらくして照明が点きましたが、料理人の後藤には違和感が残ったそうです。
 翌日、後藤が仕込みをしている時、スイッチを捻ってガスを点火すると、いきなり大きな炎となって天井に昇ったそうです。火事になると焦ったようですが、その時もすぐに火が収まり、平常に戻ったと言います。
 しばらく何事もなく過ぎましたが、一カ月ほど過ぎた日、やはり厨房で後藤が仕込みの準備をしていると、スイッチを付けていないのに、換気扇が急にゴワーッと唸り声のような音を上げて回り出したそうです。その時もすぐに収まり平常になったと、後藤から私に報告がありました。
 二カ月ほど何事もなく過ぎ、そういった現象があったことさえ忘れかけていた後藤は、開店の準備をするために店を開けようとしました。すると、ドアというドア、窓という窓が一斉にバーンと音を立てて開き、窓と言わず、ドアと言わず、腐った臭いのする風が吹き寄せてきて、後藤は意識を失って床に倒れてしまい、私が店にやって来るまでそのまま失神状態で倒れていました。
 それからずっと毎日のように、天井が軋んで落下しそうになったり、強い力で階段から突き飛ばされそうになったり、異常な現象が多発して、一度は警察にも相談しましたが、取り合ってくれませんでした。それではと思って霊媒師に相談し、お祓いをしてもらいましたが、まったく効果がありません。このままでは、何が起こるかわからない。もっと危険な状況が起こるのでは、そんな恐れを抱いています。どうか、お願いします。私たちをお助けください――。
 
 早速、私は西側の「続・四季満開」を覗いてみた。料理人の後藤が一人で厨房に立ち、店内には二組の客が後藤の作る料理を食していた。
 厨房に入り、後藤に挨拶をすると、六十代前半と思われる坊主頭の後藤が、忙しげに包丁で白菜を細かく切りながら、「お世話になります」と挨拶を返した。
 「今日はまだ何事もなく過ぎていますか?」
 と聞くと、後藤は、
 「いつも10時過ぎに異変が起こります。多分、もう少ししたら何かが起きると思います」
 と声を潜めて言った。
 「続・四季満開」の後藤は、グルメ通にはよく知られた料理の鉄人で、さまざまなメディアでことあるごとに取り上げられている有名人であった。ずっと北新地の有名料亭で料理長を務めて来たが、創作料理で勝負したいと思い立ち、友人の「四季満開」の経営者であるママの信楽泰子に相談して、四年ほど前に開店したのだという。
 それなら、何もこんな旧いビルの不便な四階でやることはないのにとは思ったが、どんな悪条件化にあっても自分の料理を食べたいと思ってくれる人だけに提供したいとの思いがあり、ここを選んだのだと彼は語った。
 予約客以外受け付けず、午後6時の開店から閉店の11時まで一日五人限定、創作料理コースの料理料金が三万円。これが後藤と「四季満開」のママが決めた設定で、厳しい条件であるにも関わらず、どこで情報を得るのか、三カ月先まで予約がびっしりだと後藤は語った。
 後藤の言う午後10時が近づいてきた。私は店内を見て回り、ビルの外に出て、ビル全体を見守った。旧いビルではあるが思いのほかしっかりした建物だった。隣は空き地で、草が茫々と伸び、荒れ放題といったありさまで、「大阪梅田センタービル」の存在がなおのこと荒涼としてみえた。
 「四季満開」に戻って、ママに、
 「この店の前は、ここに何があったのですか」と聞いてみた。
 ママは、
 「私が店を開店させる前、東側には南米パブ『ホトホト』という店があったと聞いています。西側には、『シュガーレス』という地中海をモチーフにした料理の店があって、どちらも結構流行っていたそうです。ところが、二つとも同じ時期に店を閉めて……。一体何があったのか、それさえ知らされずにここに店を開いたのですが、最近になって、二つの店が仲たがいをして犬猿の仲であったことを知りました」
 「仲が悪かったわけですか?」
 「西側にあった『シュガーレス』と東の『ホトホト』は始終、喧嘩ばかりしていたようです。どちらも南米と地中海、外国をモチーフにしていましたし、客を奪い合っていたのではないでしょうか」
 「どちらの店も流行っていたのであれば共存共栄できたでしょうにねぇ……」
 「二つの店にはそれぞれ三人の従業員と一人の経営者、都合四名ずつ働いていたようです。でも、四年前のある日を境にして、同時に閉店しています」
 「同時にですか。何かあったんでしょうかねえ」
 「事情はわかりませんが、おかげでうちはここで商売ができたようなわけで、よかったといえばよかったわけですが……」
 『四季満開』のママは、突如として二つの店が同時に閉店したことに奇異な思いを抱いているようだった。
 「このところずっと続いている異常な現象がそのことと関係していると思っているわけですか」
 「――そうです。気になっています。何かしら胸騒ぎがして」
 午後10時になった。私は緊張した面持ちで『続・四季満開』に出向き、厨房の扉を開けた。すると、ガラス窓が突然、光を放ち、ガタンと大きな音がしたかと思うと、窓が一斉に開け放たれた。後藤は腰を抜かして床に転げ落ち、泡を吹いて言葉もなかった。
 開け放たれた窓の前に立った私は、その窓から外を覗いてみた。こうした現象が立て続けに起きる時は、何か、目に見えないものが誘導しようと工作している場合が多い。大切なことは恐れてはいけないということだ。
 窓外に目をやると漆黒の暗闇があった。大阪キタのまばゆいネオンも、この地域までは届かない。しばらく目を凝らして闇に眼を向けていると、すぐには気付かないほどの小さな光の束がゆらゆらと闇の中で揺らめいているのが見えた。
 その光の束は、まるで手招きでもするかのように私を誘った。目の前の位置にあった光の束が下方へと流れて行く。急いで階段を駆け下りてビルの外に出ると、私の頭上で光の束がゆらゆらと揺れていた。光の束は、私がビルの外へ出たのを確認すると、再び私を誘うようにしてゆっくりと空き地の方へ向かった。
 光の束は空き地の中央で停止すると、空き地の草地の中へ一瞬のうちに消えた。しばらく待ったが、光の束は二度と姿を現さなかった。
 四階に戻ると、『四季満開』のママが後藤を慰めていた。どうやら後藤は、この店を辞めたいとママに訴えているようだった。
 「編集長、どうでした?」
 ママと後藤が同時に階段を上がって来た私を見た。私はそんな二人を安心させるために、
 「大丈夫です。原因がわかりましたから」
 そう告げた。そして、おもむろに、
 「ママ、明日、夜が明けたら警察を呼んでください」
 と言うと、ママも後藤もキョトンとしてキツネにつままれたような顔をした。
 「奇怪な現象が度々起きる場合は、何かの意思が働いて生じている場合が多いのです。そんな時は恐れずに感性を研ぎ澄ませて、その声を聞いて上げることが大切です」
 「……編集長はその声を聞いたのですか?」
 ママが信じられないといった顔で私を見た。
 「ええ。このビルの隣の空き地には死体が埋められているようです。その死体を見つけ出してほしいために、死体の霊が異常な現象を引き起こしていたと思います」
 ママも後藤も呆気に取られた表情で私を見た。どうやら私がおかしくなったと思っているようだ。信じられないのも無理はなかった。
 夜明けを待って、半信半疑のママが警察に電話をした。もし、警察が来て、空き地に死体などなかったらどうしたらいいのだろう。そんな不安を抱きながらの電話ではあったが、10分ほどしてパトカーが二台、到着した。
 「一応、掘り起こしてみますが……」
 警官は私の話を聞いて、信憑性を感じなかったようだ。やれやれと、ため息を洩らしながらスコップで私が指し示した空き地の場所を掘り始めた。
 かなり深い位置まで掘ったところで、警官が私に言った。
 「いい加減にしてくださいよ。こうした狂言は罪に値しますよ。これだけ掘ってなければ死体など……」
 警官の言葉を遮ったのは、ママと後藤の悲鳴だった。警官のスコップの先に髪の毛が巻き付いていた。それを見た警官は、慌ててその先を掘り始めた。
 白骨化した二人の遺体が空き地の土中から発見された。一体、誰の死体なのか、警官は大急ぎで鑑識を呼び、応援を要請した。
 
 白骨化した死体を特定する作業は難航した。一週間後になって、一人の男性が警察に出頭して、ようやく身元が割れた。と同時に出頭した男は、すべてを自供し、逮捕された。
 男は四年前ま で「大阪梅田センタービル」四階で営業していた『シュガーレス』の店長だった。
 
 ――『シュガーレス』と『ホトホト』は、同じフロアで同系統の店舗を営業していたため、客の奪い合いが高じて犬猿の仲となり、ことあるごとにいがみ合い、小競り合いを繰り返していました。
 四年前のある時、決着を付けようということになり、近くにある公園で決闘することになりました。私を入れて三人、向こうも三人、いきり立って公園で向かい合いました。もし、喧嘩に負ければ、負けた方がこのビルを出て店を畳む、そんな取り決めができていました。
 喧嘩は『シュガーレス』が優勢のうちに進みました。ところが、焦った『ホトホト』の従業員が、武器を持たない約束をしていたのに、隠し持っていたナイフを取り出して、うちの従業員の胸を一突きしたのです。それを見て怒った私は、近くにあった石で、ナイフで刺した男の頭を一撃しました。血まみれになった二人を見て、私たちは喧嘩をストップしました。ナイフで刺されたうちの従業員は即死、私が石で一撃した男もほとんど即死の状態でした。恐怖に駆られた私は、とにかく警察へ連絡しなければと思い、携帯電話を手に持ったのですが『ホトホト』の店長に諌められ、残った四人で相談した結果、二人の死体を隠そうということになりました。隠し場所に窮した私たちは、ビルの隣が空き地であることを思い出し、その土中深く、二人を埋めました――。
 
 『シュガーレス』の店長は、新聞やテレビで、空き地から白骨死体が発見されたというニュースを知って、これ以上、隠し通せないと思い、自首したと語ったが、他のメンバーは逃走し、しばらく行方がつかめなかった。全国に指名手配され、ようやく逮捕されたのが半年後だった。
 遺体が空き地から発見されてからは、『続・四季満開』で起きていた異常現象はピタリと姿を消した。辞めたいと言ってママに泣きついていた後藤も、今はそんなことなど忘れたかのように元気に料理を作り、相変わらず予約が半年先まで取れないといった好況が続いていた。
 
 久しぶりに『四季満開』に出向いたのは、事件から二週間後のことだ。その夜、いつものように『秋風――』を訪問した私は、誰一人として客のいない店の中で、エラの張った玉ネギ頭のママのセクハラ攻撃に遭い、這う這うの体で四階に上がり、『四季満開』のママに会った。
 ママは浮かない顔で私を迎えると、
 「気になって仕方がないのよ」
 と話を切り出した。また、異常現象でも起こったのか、と思って尋ねると、ママは、
 「編集長、教えてくれませんか? 四年前に埋められた遺体が、なぜ今頃になって……、その意味がわからなくて」
 と言う。私は、「これは私なりの考えですが」と断って、
 「人間社会の時間観念と霊界の時間観念は違うと思います。また、空き地に埋められた死者に霊界での変化があって、今、見つけてもらわねば浮かばれない、そういった危機意識があったのかもしれません。はっきりとした理由はわかりませんが、今回の事件で死体が発見されたことによって、今、死者たちはようやく平穏に過ごせるようになったと思います。そのうち、ひょっこり、お礼のあいさつに現れるかもしれませんよ」
 と説明した。するとママは、
 「お礼は結構です。編集長、お断りする方法があったら教えてー」
 と言って、甘えた顔で私の腕を掴んだ。三階の『秋風――』のママの時とは大違いだ。そう思いながら開いた扉に視線を移すと、エラノの張った、玉ネギ頭のママがニッコリ笑って立っていた。
 思わずゾッとして、急いで帰り支度を始めた。幽霊より『秋風――』のママの方が断然怖い――。
〈了〉

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