呪われた家

高瀬 甚太
 
 午前0時を報せる柱時計が、その日に限って鳴らなかった。
 そのため、岩瀬幸吉は、眠りに就く時間を逸してしまった。というのも、岩瀬は神経質な性質で、毎日、決められた時間に決まった行動をしないとすべてが崩れてしまう、それほど繊細な男だった。
 常に午前0時の時計の音と共に風呂に入り、午前1時に就寝、翌朝6時に目を覚まして出勤の用意をし、8時に家を出る。判で押したような生活をする岩瀬が、その夜に限って、就寝時間が午前1時半を過ぎてしまった。
 それが原因で、岩瀬はその後、眠れなくなってしまった。
 何度も寝返りを打っているうちに、岩瀬は、突然、どこからか声をかけられたのだという。最初は気のせいだと思い、やり過ごしていたが、そのうち、その声がはっきりと聞こえてきた。
 ――こちらへ来てください。
 誰もいないはずの部屋の中で、その声が聞こえたことに驚いた岩瀬は、頭から布団を被り、声が聞こえなくなるまでじっと待ったという。
 その声は、しばらくの間、続いたが、やがてあきらめたのか聞こえなくなった。岩瀬は震えながらそっと布団から顔を出し、周りを見渡した。
 すると、闇の中に何かが潜んでいるような気がして、岩瀬はブルっと体を震わせた。震えながら岩瀬はじっと闇の中に潜む何かを見つめた。
ガサッ……。音がした。その音がしたかと思うと、闇の中に潜んでいた何かが急に動き始めた。
そ のとたん、岩瀬は金縛りのような状態になり、動けなくなった。
闇の中から怒りを含んだ男の声が聞こえてきた。
 「こっちへ来いと言ってるだろうが」
 岩瀬はそのまま気を失ってしまった。気が付くと、家の玄関口、半分開いたドアのところに挟まれた状態のまま倒れていたという。
 恐怖を感じた岩瀬は、その日、家を出るとすぐに神社へ行き、神官にお祓いを依頼した。
 お祓いを受けた岩瀬は、ようやく心を落ち着かせ、その日はいつもより早めに出勤した。
 岩瀬は行政書士の仕事をしていて、自営業なので自由がきいた。妻に先立たれ、子どもたちも独立して、五年前から広い家の中に一人で暮らす岩瀬は、時折、行きつけのバーに寄って帰宅することがあった。
 昨晩、恐い目にあった岩瀬は、その日はすぐには家に帰る気にはなれず、梅田で食事をした後、午後8時頃、行き着けのバーに立ち寄った。
 「よぉっ、久しぶりだなあ」
 入るなり声をかけられて岩瀬は驚いた。よく見ると親友の井森だった。岩瀬は、この店をよく利用するが、井森に会ったのは初めてだった。
 「おまえ、この店によく来ているのか?」と聞くと、井森は、
 「今日は特別なんだ。ここのママさんに連絡をもらって、本を出版したいので相談に乗ってほしいと頼まれてな。それでやって来たというわけだ」
二人のやりとりを見ていたママが驚いて二人に聞いた。
 「あら、お二人、お知り合いだったのですか?」
 「大学時代の友人でね。一緒によく麻雀をしたものだ。しかし、会うのは久しぶりでね。三年ぶりになるかな? なあ井森」
 岩瀬はこの店の常連で、一週間に一度か二度は顔を出すという。
昔話に花を咲かせ、二人でグラスを交わしているうちに、岩瀬が昨夜の不思議な体験を話し始めた。
 一通り話を聞き終えた井森は岩瀬に尋ねた。
 「そんなことがあったのは今回が初めてか?」
 「初めてだ」と言った後、岩瀬は、
 「ただ、何となくおかしなことはあるにはあった」と言った。
 そのおかしなこととは、ここ二、三年、時折、不思議な夢を見て、朝、起きた時に、部屋の中の様子が違っているような錯覚を覚えることがあったという。
 「夢というのは、毎回、似たような夢なのだ。ある時は海に、ある時は森の中で、場所はそのたびに変わるのだが、海にいる時は波にさらわれ、森にいる時は森の中で迷うといった具合に常に不安な状況に陥れられる」
 と岩瀬は話し、
 「朝、目を覚ま すと、夢をみた日に限って、部屋の中の様子がいつも少し違っているんだ」と語った。
 「部屋の様子が少し違うというのは?」
 井森が岩瀬に尋ねると、岩瀬は笑って、
 「いやあ、夜、眠る前に枕元へ置いてあった本が違う場所に置いてあるとか、時計が思ってもみない場所に置かれてあるとか、他愛もないものさ」
 と照れくさそうに言った。
 井森は、岩瀬の話を聞き、何となく自身の第六感に響くものを感じた。
 「今日、おまえの家に邪魔していいか?」
 岩瀬に尋ねると、岩瀬は、
 「いやあ、そりゃあ、願ってもないことだが、お前はいいのか?」
 と応え、井森の来訪を喜びながらも、
 「昨日の夜のことだが、どうしてああいう現象に出会ったのだろう。不思議でならない」
 と思い出したように首を捻り、腕を組んだ。
 井森は岩瀬に思い当たることがないかを尋ねた。だが、そんな現象に出会うようなことなどまったく思い当たらないと岩瀬は応え、再び首を捻った。
午後10時を過ぎた時間に井森は岩瀬と共にバーを出た。途中、車を拾い、岩瀬の家まで直行した。梅田から約三十数分、新御堂を走り抜けた山深い静かな場所に岩瀬の家があった。
 「女房が生きていた頃、この場所を気に入ってなあ、無理をして購入したんだ。辺鄙な場所だし、近隣に人家も少ないから寂しいのだが、おれも今では気に入って喜んで住んでいるよ」
 岩瀬はタクシーを降りると、玄関のドアを開けながら井森に説明をした。
庭のある、二階建ての瀟洒な建物は豪邸と呼ぶに相応しいほどの家だった。井森は家の周辺をそれとなくチェックし、土や木々にも注目した。
 玄関を開けて家の中に入った時のことだ。井森は一瞬不穏な霊気に包まれ、身構えた。しかし、岩瀬は井森のそんな様子にまったく気付いていなかった。
 「この家は新築なのか?」
 岩瀬に尋ねると、岩瀬は、
 「いや、売り家を買ったのさ。すごくいい条件で売られていて、おれも女房も思わず目を疑ったほどだった」
 と語り、「しっかりした家だろう」と鼻高々に自慢した。
 「家を買う時、前の入居者のことを調べたか?」
 井森が問うと、岩瀬は、
 「少しは気になったけど、前の持ち主が中規模の鉄工所の社長さんだったということぐらいしか聞いてない。それよりも、こんな立派な家が破格の値段で買えると聞いて、何としても手に入れたい。そう思っておれも女房もそっちの方に頭がいっていた」
 と笑いながら応える。
 「奥さんは何で亡くなったんだ?」
 話題を変えて岩瀬に聞いた。
 「交通事故だよ。こんな場所だから車がないと動けないだろ。女房も買い物に出掛ける時や用のある時はいつも車で出掛けていたんだ。あの日、スーパーへ買い物に出掛ける途中、反対車線から急に飛び込んできたトラックにぶつかってそのまま――。即死だったよ。かわいそうなことをした」
 奥さんが亡くなったのが五年前、以来、岩瀬は一人でこの家に住んでいるという。
 風呂に入り、寝酒を飲んだところで、井森と岩瀬は別々の部屋で寝ることにした。午前1時。岩瀬の就寝予定の時間通りに眠りに就いた。
 夜中、ふと目を覚まし、時計をみると午前3時だった。その時、突然、岩瀬の悲鳴が響いたので井森は、驚いて立ち上がった。
 岩瀬の部屋のドアをノックするが返事がない。鍵がかかっていてドアを開けることができなかった。
 なおもドアを叩き続けるうちに、ようやくドアが開き、岩瀬が顔を覗かせた。
「どうしたんだ? こんな時間に」
 岩瀬が寝ぼけ眼で言う。井森は、「大丈夫か?」と聞いた。すると岩瀬は、
 「えっ……?」
 とキョトンとした表情で井森を見る。
 「おまえの悲鳴が聞こえたので心配になって来たんだ」
 「悲鳴――?」
 「そうだ。すごい声がした」
 岩瀬は何も覚えてなく、自分がそんな悲鳴を上げたことさえ記憶にないようだった。
 井森は部屋に戻り、再び布団に横になり、岩瀬のことを考えた。その後、何ごともなく朝を迎えた。
 翌朝、岩瀬と共に家を出た井森は、岩瀬と途中で別れ、役所に向かった。岩瀬の家の前の住人について調べようと思ったのだ。
 だが、個人情報保護の問題があって役所では詳しいことは何一つ教えてくれなかった。仕方なく井森は、不動産会社を訪ねることにした。三軒ほど回ったところで、幸運にも岩瀬に販売したという不動産会社に遭遇することができた。
 その不動産会社の社長は、とても気さくな人物で、井森の問いに抵抗なく応えてくれた。
 「岩瀬さんの前の住人は山本八郎さんと言いましてな、大阪市内で鉄工所を経営されていました。家を建てられたのは平成になる直前でしたから景気のよかった頃だったと思います。バブルが弾けて、経営していた会社が傾き、山本さんも相当苦しかったんだと思います。家を手放したいと申しまして――。しかし、建設当時の金額が高かったものですから売ろうにも買い手が現れません。そのうち、山本さんはどうしようもなくなったんでしょうな。忽然と一家揃って行方不明になりました。夜逃げしたのだと噂になりましたが詳細はわかりません。債権者が協議して、山本さんの家を債権者の一人が譲り受けることになりました。どうしてそうなったのか、その辺の事情は私にはわかりませんが、ともかく、その方が山本さんの家に入居することになりました。
 ところが、三年ほどして、その方の奥さまが交通事故で亡くなり、一緒に住んでいた祖母も同じように交通事故で亡くなるなど不運が続き、その方自身も二年ほどして自殺されました。
 岩瀬様が購入されたのは、そんなことがあった二年後のことです。前の入居者のことを説明し、お伝えしなければと思っていたのですが、奥さまが大そう気に入られ、ともかく購入したいというばかりで、結局、ろくに説明もしないまま、住まわれるようになりました」
 不動産会社の社長はそう言って説明し、
 「何かありましたか?」
 と聞いてきた。
 「いや、特にありませんが、少しお話を聞いてみたかったものですから。ありがとうございます」
 礼を言って不動産会社を出た。
 不動産会社の社長の話を聞き、岩瀬を苦しめている根本原因はあの家にあると井森は確信し、岩瀬に電話をした。
 ――じゃあ、今から帰ることにするよ。
 岩瀬は、手の放せない仕事を抱えていたようだが、すぐに家に戻ると井森に伝えた。
 2時間ほどして岩瀬は家に戻って来た。
 「急に帰れなど、何があったんだ?」
 岩瀬は、門の前で待つ井森に尋ねた。
 「岩瀬の悪夢の原因について、少し目処が付いた。門を開けて庭を見せてくれないか?」
 岩瀬は怪訝な顔をしたものの、素直に門を開け、広い庭を井森に見せた。
 「この間は夜に来たものだから気付かなかったが、ずいぶん広い庭だなあ」
 井森はひとりごとのように言い、庭の隅々を見て回った。
 「岩瀬、あれは何だ?」
 庭の奥まった場所にこんもりとした赤土のふくらみがあった。
 「いや――。今まで気付かなかった。おれがやったものではないことだけは確かだ」
 井森と岩瀬はその場所に近付いた。
 椎の木のすぐ下にこんもりと積まれた赤土の山は、ごく最近、掘り起こされた土ようにも見えた。
 「スコップがあるか?」
 岩瀬にスコップの有無を確かめると、岩瀬はすぐに納屋へ行き、少し大きめのスコップを手にして戻って来た。
 「スコップをどうするんだ?」
 「ここを掘るのさ」と井森は答えた。
 こんもりとした赤土のところを掘り始めたところで、井森が岩瀬に言った。
 「岩瀬、すぐに警察に連絡してくれ」
 
 警察車が急行して、普段静かな岩瀬の家の庭は大騒動になった。
 こんもりした土の中から複数の死体が発見されたのだ。中年女性と八十代とおぼしき女性の遺体、そして五十代の男性――。それだけではない。他にもその周辺の土の中に複数の死体が埋められていたことがわかった。
 第一発見者の井森がまず疑われた。次に家の所有者である岩瀬に疑いがかけられた。だが、すぐに井森と岩瀬は無罪放免となった。
 遺体の身元が確認されたことにより、別の容疑者が浮かび上がったのだ。
検死の結果、行方不明になっていた遺体は山本八郎氏一家四人とわかった。また、その他にも数名の遺体が発見され、これらの人物と関係のある者が容疑者として浮上した。
 木下章一、四八歳。不動産会社社長。井森が訪ねた不動産屋の社長がその容疑者だった。
 不動産会社社長は警察の取り調べにこう応えている。
 ――山本八郎とは家の販売の件で確執がありました。負債を抱えて身動きが取れないから一日も早く家を売りたい。そう言って私のところへ相談にきたので、それは大変だろうと思い、こちらも親切に対応しました。ところがバブルが弾けた時期でもありましたから思うような値段では売ることができませんでした。三億円で建設した家も販売するとなると七千万円でも買い手がつきません。それを説明しても山本さんは納得してくれませんでした。私もいいかげん嫌になって、この話をお断りしようと山本さんのお宅へ出向きました。
 すると山本さんが「おまえのところへ任せていたから売り逃した」と言いがかりを付けて、「損害賠償を請求する」と言い始めたんです。そんな道理が通るはずがありませんので、「どうぞご自由に」とお応えしました。すると山本さんは、突然、私の胸ぐらを掴んで殴りかかってきたのです。それを避けるために私は、テーブルに置いてあったガラス製の灰皿で対抗しました。山本さんの攻撃を防ごうとして灰皿を振り下ろすと、それが山本さんの頭に当たりました。山本さんは床に倒れ、そのまま動かなくなりました。あわてた私は、家の人を呼び、救急車を呼ぶように言いました。
だが、事情を知らない息子さんは、私が山本さんを故意にやったと思い、父親の仇と思ったのでしょう。包丁を持って来て私を刺そうとしました。もみ合いになっているうちに息子さんが手にしていた包丁を奪い取ろうとしていつの間にか、私は息子さんの胸に包丁を突き刺していたのです。
 こうなったら後戻りはできない。そう思った私は、悲鳴を上げて逃げ惑う山本さんの奥さん、おばあさんを包丁で刺し、遺体が見つからないように四人を庭に埋めました。
 山本さんは夜逃げをした。行方不明だと、触れ回り、世間もそれを信じました。しかし、庭に埋めた死体がいつ発見されるかと思うと心配でなりませんでした。
 死体の臭いは、備長炭を買い込んで、異臭を吸収させ、それを季節事に取替えたことにより防ぐことができました。だが、新しい入居者がいつなんどき、その遺体を発見するかしれず、ずっと心配でなりませんでした。
 山本さんの次の入居者は、山本さんの債権者の一人でした。その方の動向に気を配り、注意して見守っていましたが、ある時、その債権者の方の奥さんとお婆さんが、私の会社を訪ねて来て、こう言うのです。「一度、あの庭をすべて掘り返して、草花や木を植え替えたいので園芸の会社を紹介してほしい」と。私は困りました。遺体が発見されればすべてが露見してしまう。必死になってくい止めようとしましたが、奥さんやお婆さんはなかなか聞き入れてくれません。困った私は、これはもう殺すしかない。そう思って殺人方法を考えました。
 殺して庭に埋めるのはもう嫌でした。その思いがありましたから、事故死を考えたのです。奥さんはいつも車で行動していました。走行するルートは決まっていたので、予め、そのルートの曲がり角で待ち伏せをし、チャンスを待ちました。するとうまい具合に計画して間もない時期にそのチャンスがやってきました。この道路はトラックがよく走る道路として知られています。トラックの運転手をめがけてフラッシュを焚き、目がくらんだ運転手が急ハンドルを切ったところで対向する車線を走る奥さんの車に衝突する、そんな計画を立てていましたが、ずばり的中し、トラックは奥さんの車に衝突、奥さんの乗る車は大破し、奥さんは即死でした。
 お婆さんは簡単でした。毎朝、お婆さんは早朝に散歩に出掛けます。そこを狙って車で……。残された主人はもう私が手を尽くすまでもありませんでした。奥さんと母親を亡くした主人は生きがいを失ったのでしょう。自殺という形で絶命しました。
 誰も住まなくなったこの家の庭で、偶然、私は、私が殺した山本さん一家の死体だけでなく、その近くに別の死体があることを発見しました。なんとそ こには二体の遺体が埋められていたのです。私が埋めた遺体よりずっと古い遺体でした。誰のものかわかりません。でも、殺したのはおそらく山本さんか、山本さんの息子であることに間違いはないと思いました。
 あの日、私が山本さんに襲われた時、あのまま抵抗できずに終わったら、私もきっと山本さん家族によって庭の土の中に埋められていたに違いないと思いました。
 岩瀬さんが入居した時も、常に気を遣いました。庭の死体が見つかったら大変なことになってしまう。そう思い、常に気を配っていましたが、岩瀬さん夫婦は庭には興味がなさそうで、庭いじり一つすることなく、放ったらかしにしていました。それで私も安心したのです。これだけは言っておきます。奥さんの事故死には、私は一切関与していません。本当です。
 夜中に岩瀬さんを脅したりももちろんしていません。それはきっと岩瀬さんの勘違いだと思います。
 
 不動産会社の社長の自白は以上の通りだった。
 「それでは私がみた悪夢の記憶や、先日体験した幽霊のようなものは、やっぱり私の妄想だったのだろうか」
 井森は岩瀬に言った。
 「それは多分、おまえに遺体を見つけてほしくて、死者たちが現れていたんだと思うよ。だが、おまえはなかなか気付かなかった。おれに話してくれてよかった。そうでなければ……」
 岩瀬はどうなっていたのだろうか。井森は考えただけでも恐くて、押し黙った。
 三日ほどして岩瀬から電話がかかってきた。
 「この間はありがとう」
 岩瀬はそう言った後、「おれ、あの家、出ることにした」と井森に告げた。
 「出て、どうするんだ?」
 井森が尋ねると、岩瀬は、
 「おれの実家が島根にある。そこへ帰ることにした」
 と明るい声で言う。
 仕事はどうするんだ? とは聞かなかった。何ごとにも慎重な岩瀬のことだ。きっといろいろ考えた末のことだろう。
 島根に引っ越す岩瀬を見送ったのはそれから一カ月後のことだ。
〈了〉

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