島ちゃんの恋

 マスターの父、芝本義春は、元々、腕のいい大工であったが、四十を超えた年に、足場が崩れて木材が落下、右足首と腰に重傷を負い、それがもとで大工を廃業し、実母の実家である酒類販売店を手伝うようになった。
 義春は軽トラックに酒を積み、店に酒を卸す仕事をしていたが、ある時、得意先の一軒である『えびす亭』を訪問した際、店の主人、春日から声をかけられる。
 「芝本さん、お願いがあるのやが聞いてもらえんやろか」
 頻繁に出入りこそしているものの、挨拶程度でこれまで会話らしい会話をしたことのなかった義春は、春日の丁重な問いかけに一瞬、ギクリとした。『えびす亭』は芝本酒類販売店にとって大のお得意先である。まさか、契約の打ち切りや、卸価格の交渉ではないだろうなと、疑心暗鬼にかられながら、義春は春日の話に耳を傾けた。
 「わしもこの春で八十歳を迎える。この商売を始めた時、こんなに長くこの商売を続けられるとは夢にも思っていなかった。この年まで続けられたことに感謝しているが、それも、もう限界に近づいている。跡継ぎもいないし、きれいさっぱり廃業するつもりでいた」
 廃業――、義春の胸がドキンと鳴った。売り上げの相当数を占めるこの店が廃業すると、芝本酒類販売店にとって大きな痛手になる。
 「ところが、お客様方に店を廃業する意志を告げたら猛反対を喰らってなあ。ご存じのように『えびす亭』は常連の多い店で、それだけにこの店を愛してくれる人の数も半端ではなかった」
 「そりゃあ、そうでしょう。『えびす亭』は、この町の名物です。廃業するとなると、客は反対しますよ」
 「そこでわしは考えた。廃業せずに店を後進に譲ろう、そう決めたんだ。――芝本さん、あんた、今年でいくつになる?」
 「私ですか、私は今年で五十歳になります」
 「五十歳か、年の頃もちょうどいい。あんた、この店を引き継いでやってくれないか」
 「えっ!?」
 寝耳に水とはこのことだ、と義春は驚き、考えたこともない話に、咄嗟に言葉が出なかった。
 「突然、言われても――」
 戸惑う義春に、春日は言った。
 「それもそうだ。じっくりと、でも、できるだけ早く決めてくれ。わしが倒れてからでは遅い。わしはあんたに決めている。頼んだぞ」
 一方的な春日の言葉に右往左往しながら、義春は家に戻ると、早速、妻の秋江に相談をした。

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