ハンスト1日目

はじめのハンガーストライキ。
まさかこんなことをするなんて思ってもみなかった。

一昨年2017年11月から県民投票をやるべきではないかと動き出し、昨年2018年の4月に大学院を休学して、県民投票に向けた動きの一端を担ってきた。
4月16日に「辺野古」県民投票の会を立ち上げ、5月23日から2か月間、県民投票条例制定のために署名を集めた。
結果、合計10万筆を超える署名を全市町村に住んでいる沖縄県民からいただいた。

暑い日差しの中、スーパーの入り口に立って集めた署名。

目が不自由な方の代筆をしていただいた署名。

18歳になったばかりの高校生が行なった初めての署名。

少し考えが違うと言う学生と話しながらもらった署名。

お腹に赤ちゃんがいるお母さんが駆けつけて書いてくれた署名。

沖縄戦を体験したおじぃ、おばぁから、「がんばってよ」と声をかけられてもらった署名。

彼らの手、声、表情が頭の中に焼き付いている。

私以外にもたくさんの市民、県民が駆け回って集めた10万筆の署名。一人ひとりの県民投票実現の思いを決して無駄にしたくはなかった。

だからこそ、県民投票を沖縄県民みんなで行いたい。

私もいち宜野湾市民として2月24日に行われる県民投票で一票を投じたい。

県民投票への参加を拒否している宜野湾市、沖縄市、うるま市、宮古島市、石垣市の5市町が表明するまで、できる限り頑張りたいと思う。

これらの市長や議長、議員の方々とも対話を重ねてきましたが、なかなか不参加という態度を変えることはできなかった。

議員の意思は自由だが、最近明らかになった自民党・宮崎政久衆議院議員による予算否決の否決に全力を尽くせという内部文書の存在や、
本来行政の長として通さないといけない予算を拒否する市長の態度に悔しさを覚えていた。

どうしたら市長に考え直してもらえるか。
市民、県民、日本の人たちにこの不条理を伝えられるか。

沖縄の先人たちもハンガーストライキという方法で世論に訴え、暮らしや権利を守り、勝ち取ってきた。
私がいまそれをやることは何もおかしなことではないのではないかという思いに至った。


ここからは1日目の振り返り。

朝8時から始めて、直後の新聞での報道やお昼のニュースでハンストをやっているのを知った人たちが来てくれて、励まされた。

わじわじーしている市民・県民がこんなにいるのを目の当たりにできて良かった。

プラカードと水しかない中でハンストを始めたけど、今宜野湾市役所前にある物は、市民が持ってきてくれたもの。このような支えがあって署名集めもできたし、県民投票条例が制定できたと改めて実感した。

ありがたいことに、水やカイロなど、たくさんの仕入れがあって、"快適に"ハンガーストライキができているなぁという印象(笑)

パンの差し入れがあったのに、食べられないのは辛かった。

また、水だけしか飲んでないので、栄養ドリンクとかお茶などの差し入れもいただくが、飲めないのも辛い。

ハンストをやってみて思うことは、きついとわかっていてのハンストだけど、やっぱり早くご飯食べたいなあ…。


今日、特に印象的だったのは、辺野古の基地ができる前の大浦崎収容所にいた方が来てくれたことだ。
「あの海が埋め立てられ基地が作られるのは許せないし、投票できない市民がいるのはおかしい」ということを話してくれた。

また、23時頃に小中学校の同級生・後輩の母親や高校の同級生が「久しぶり。がんばってるね」と来てくれたのも嬉しかった。

少しでも早く宜野湾市、沖縄市、うるま市、宮古島市、石垣市の5市長に県民投票への参加を表明してほしい。




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