見出し画像

ドロップアウト

「ねぇ、一緒に不幸にならない?」

出会いは、そんな訳のわからない一言から始まった。

======

5月、春真っ盛りのこの季節。
天気は晴れ。平日だが、講義が休講となったため、今日は大学へと行く必要がなくなった。
せっかくだから少し外に出かけてみようと、家族にラインで伝言を残し、自転車をふらふらとこぎ始めてたどり着いたのは、いつもの海岸だった。

「日本の砂浜百選 砂沙美海岸」

草書体のような文字が刻まれた石のモニュメントを横目に、現在進行形で優しい波の音が響く、人気のない砂浜へと足を踏み入れる。

ザク、ザク、ザクと、
一定間隔で発せられる自らの足音に耳を傾けながら、一直線に歩みを進めていく。
すると砂浜の端に、海のほうへとまっすぐに伸びる堤防が見えてくる。
その先が今回の目的地。かつて通っていた学校の廊下よりも細く伸びる堤防を歩き、そのまま端へとたどり着く。
堤防の端はささやかに円状に広がるコンクリートで固められた基礎があり、そのこじんまりとしたスペースの中央に、これまたこじんまりとした黄色い蛍光塗料で全体が塗りたくられた灯台がぽつんと立っていた。

その灯台の下に腰を下ろし、一冊の文庫本を開き読み始める。
現在時刻は午後4時30分。
一時間ほど過ごしたら帰ろうと決め、ザザーンという海の音色をBGMに読書に興じることにした。


「一緒に不幸にならない?」

急に声を掛けられ、一瞬肩がびくりと震えた。
声のした方向へと振り向くと、そこには女性のシルエット。

黒髪黒目の、全体的にほっそりとした印象で、
服装は上は白無地のシャツ、下はジーンズ。
靴は今の時期にしては珍しいサンダルだった。

黒い髪は肩まで伸びており、前髪は目のあたりに届くか届かないか、そんな絶妙な長さ。
そのためか表情が見えずらかった。
それとなぜか体全体が湿っている。特に髪の毛に関してはなおさらで、頬に黒く細い髪が張り付いていた。
何を考えているか分からない。怪しい。そんな印象を受けた。

何用か?
開口一番、意味不明なことをしゃべった彼女に、私は少し戸惑っていた。

「えっと、ごめんね? 急に。
わけわかんないよね?」

当然だ。さっきから何を言っているんだ。
再度口を開いたかと思えば、また訳の分からないことを口にする。

新手の宗教勧誘か、はたまたこの時代に人さらいの類か。
どっちにしろ怪しい人物であることに変わりはなかった。
不穏な予感が私の脳裏をよぎる。

「さっきからなんなんです?
これ以上意味の分からないことを言うようならば通報もやむを得ないですけど」

「そっ、そういうのじゃなくて...!!」

やはり怪しい。
そう思った私はすぐさま距離を取ることを考えた。
読みかけの本を閉じ、ノールックでデニム柄の手提げかばんへとしまい、後ずさりながら立ち上がろうとする。
ここは海に突き出した堤防の端の端。通り道は一方通行。
通り道をふさがれたらたまったものじゃない。

「待って!!」

ふいに左手首をつかまれる。
がっしりと、細い体に不相応な強い力で。
このままではまずい。非常にまずい。
私の体に悪寒が走る。

「待って!! 本当に待って!!」

グイっと、さらに強い力で女性のほうへと引っ張られる。
立ち上がろうとしたところをひっぱりあげられたので、足元がおぼつかない感じになり、女性のほうへと態勢が崩れた。
その時初めて、女性の顔がはっきり見えた。

その表情は黒一色だった。
特にその目の瞳孔はクレヨンで思いっきり塗りつぶしたかのように黒い。
何かにとりつかれたかのように、必死な表情でじっと私を見つめている。

自分が女性の表情に気を取られているその隙を突いたのか、私のもう片方の手にも、ぎゅっと力が込められた。

必死に振りほどこうとするが、私の手を女性は逃がしてくれない。
表情一つ変えず、握る手に力を込めていく。

「話、聞いてほしいの。ね?」

暗い表情がさらに黒くゆがんでいく。
捕まえたといわんばかりに、女性の口角が徐々に上へと上がっていった。

徐々に堤防の末端へと追いつめられる。
その先は海。落ちればひとたまりもない。

心臓の鼓動が鳴りやまない。脳が危険信号を発し、体中が青ざめていく。
もういっそ楽になってしまおうか。
そう思った矢先であった。

ふいに女性の手から力が抜けた。
今までの拘束は何だったのかと思うくらい。あっさりと。
その表情からは歪みが消え、何か憑き物が落ちたかのようなに、一変してどこか遠方を見つめている。

急にどうしたのだろうか。

しかしチャンスは生まれた。逃げるなら今しかない。
女性の手から自分の腕を思い切り引きはがし、近くに転がっていた鞄を素早く抱える。
その時女性がその場に尻もちをついたが、今はそんなことを気にしているような場合ではない。
恐怖と困惑で頭が支配されている今は、真っ先にこの現場から離れておきたかった。
態勢を立て直すとともに、足場の悪く、細い一直線の堤防をできうる限りのトップスピードで駆け抜ける。
堤防を抜け、横長に広がる砂浜にたどり着く。足は止めない。とにかく恐怖の対象から離れるために、なるべく遠くへ、自身の駐輪した自転車の場所へ。

砂浜を3分ほど駆け抜けたところで、ようやく駐輪場所の海岸入り口へとたどり着いた。

ここまでくれば大丈夫だろう。
安心し、手を膝につく。
後ろを振り返ってみれば、先ほどまでいた堤防に女性の姿はなかった。

あれ?

いない。

一抹の不安がよぎり、すぐに顔を起こし、自転車へと向かう。
その不安は、最悪の形で現れた。

「さっきぶり」

女性が自転車に座っていた。
ありえない。追いつくはずがない。あの長い砂浜をこんな短時間で駆け抜けられるはずがn「 ね ぇ 」

「ごめんね。いきなり話しかけて」

「私、昔っから言葉足らずなの、だからあんな声のかけ方しかできなかった」

「どうしていいか分かんなかったの、だからちょっとパニックになっちゃった」

「ごめんね、けどもう時間がないの」

「ちょっとひとりじゃ心細かったから、ひとりでするのが怖かったから」

「けどあなたがいた、ちょうどこの日に、この時間に、ひとりで、ぽつんと」

「もしかしたら私と同じかもしれないかと思って、つい話しかけちゃった」

「そんなに怖がらなくてもいいのに。どうせ私と同じでしょ?」

「だからここに来たんじゃない? そうでしょ?」

「あなたなら、わかってくれるよね、わたしのきもち」















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?