「自分らしさ」が無くなったワケ
今日は休日。天気もいいし、愛車の洗車にでも行こうかな♪
仕事のことを考えなくっていいて、なんてパラダイスなんだろうw いかに普段、仕事という枠に囚われているかが分かる。
社会という制限の中で、窮屈に感じることあるよね
振り返れば学生時代にも、その面影が・・・
「学生時代は呑気に暮らしていたなぁ」と思っていたけど、テスト期間中は、こんな自分でもピリピリしていた。テストでいい点取らないと親に認めてもらえないと思っていたし、女子たちにも良いところ見せたかったしw
運動は全くダメだったので、自分がこの世で認められるには勉強でどうにかするしかなかった。そもそも学校って勉強するところだから、勉強できないとダメだと思っていたしね。
認められたかったんだよね。ずっと・・・。
人は環境に大きく左右される
自分で自分のこと「できる」とか「大丈夫」って思えていれば、人は目の前のことに挑戦できる。うまく挑戦できない人は、「自分にはこんな事できない」と初めから否定的に考えがちだ。
生まれたときは怖いモノも何も知らずに、生まれてきているはずだから、スタートはみんな一緒。ある程度の性格はあるのかもしれないけれど、やはり生まれた後の環境が、僕らの生き方・考え方に影響しているのだろう。大人になればなるほど、環境によって自分を形成されてしまう、というか、自分がよそ行きの顔を作り出すのかもしれない。
子供の言動は、その子そのもの
そう思って駐車場に向かったら、アパートの脇でいつもの野良猫が、小さな女の子と睨めっこしてた。
「ムムちゃん、おいで」
女の子が、あの野良猫にそう呼びかけている。
思わず俺は「おねえちゃん、この猫(こ)飼ってるの?」と聞くと
「ううん。飼ってないよ。遊んでるの」と言った。
あぁそうか・・・。
一瞬、実は飼い猫かと思ったよ。
「ムムちゃんって、おねえちゃんが名前つけたの?」って聞いたら
「うん、いつもムスってしてるから、ムムちゃん!」
やはり誰でも、あの顔ムスッて思うんだなw
ムスってしてるから「ムムちゃん」ってw
ムスちゃんには、ならなかったんだなw
ムムッ!( ̄^ ̄)って見えたのか?
子供の発想は豊かだなぁ
「ムムちゃん、ポッキー食べる?ほら!」
いや猫はポッキーなんぞ食わんだろ・・・って
え?なんかチョコ舐めてる??
そこで思った。
いつの日から俺はこんな固い頭になったのだろう?
もし俺がこの猫に名前をつけるとしたら、
もしかすると
〇〇ちゃん、いやダサいな。
□□ちゃん、うーんセンスないな。とか、
また周りのことを気にし出して、自分の意見をそのまま出せていないかもしれない。
この女の子のように、自由な発想と純粋な気持ちを思い出す必要があるのかもしれない。それが自分らしさに繋がるのかもしれないと思った!
「って、おい!俺の車のタイヤで爪研ぐなー!!」
ふと気がつくと、あの「ムム」がガリガリやっていたw
まとめ
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