理科の専科教員になって体験することの素晴らしさに気づいた話。
今年、理科の専科教員になった。
10年ほど教員をしているが、正直、理科をほとんど教えたことがない。まったくの初心者だ。
だが、子育てと仕事の両立を考えると、専科教員を断る理由はなかった。
理科という教科は、魅力にあふれている。学校で学習する教科の中でも圧倒的に自分自身で体験できる機会に恵まれているからだ。
一回の授業で得られる知識はせいぜい一つか二つなのだが、その知識にたどり着くまでの過程で実に多様な体験ができる。
先日、6年生と食塩水、アンモニア水、塩酸、炭酸水の4つの水溶液を判別する授業をした。
観察したりにおいをかいだり蒸発させてみたりして、その授業で得られた結論としては「食塩水には本当に食塩がとけている(蒸発させて出てきたから)。でも、アンモニア水や塩酸や炭酸水には、何がとけているかわからない(蒸発させて何も残らなかったから)。」というものだった。
結論だけ見ると「最初からわかっていたことでは…?」と首を傾げたくなるようなものだ。「わからない」が結論にくるなんてもやもやするなぁという子どもの反応もあり、もっともだと思った。
だが、この時間の子どもたちの学びはこの結論だけではない。むしろ、結論にいたるまでの過程でとても多くのことを学びとっている。
たとえば、初めてアンモニア水の臭いをかいだ子どもたちは、
「鼻がこわれる!!」
「塾でやったから刺激臭は知ってたけどこんなにおいだとは思わなかった。」
「おしっこのにおいじゃないじゃん。」
「意外とこのにおい好きかも。」
などと言っていた。素直な反応が実に微笑ましい。おそらく確実に、強烈に自分のなかでアンモニア水への認識を深めていたことだろう。
また、塩酸の臭いについてはさらに反応は様々だった。まったく臭いを感じない子。「脳をつきぬけた」と言う子。加熱したことで臭いに気づく子。
同じものを扱っているのににおいに対する感じ方が人によって違う、ということが実証された体験だった。
他にも、加熱した直後の蒸発皿をぬれ雑巾に乗せてパリンと割ってしまったり、食塩水を蒸発させると火を止めてからも残った熱で次々と食塩が浮き出てきたり、炭酸水は時間とともに泡が全然見えなくなったり…。
実際に「体験」することの価値を大いに感じられた時間であった。
このように、理科の学習は直接体験できるという意味でとても魅力的だ。体験は、そのものが生きた学びであり思い出であり少し大げさに言うと「青春」である。
子どもたちと一緒に体験を、子どもの「初めて」を共有できる。なんて、すばらしい教科だろう。
今年は私自身が「初めて」の理科専科なので、一回きりの鮮度の高い学びを、心に焼きつけていきたいと思っている。
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