第25回「人生、あるがまま」文字起こし

翠:120°禅の遠藤翠です。

S:元ラジオディレクターのSattomoです。音声配信番組「人生、あるがまま」第25回の配信となります。今回は前前から遠藤さんに対して色々ちょっと思うことがあってですね。それも含めてちょっといろいろぶっちゃけ話する回にしたいなあと思うんですけど、いかがです?

翠:うん、いや、もちろん、飛んでくる矢は避けるけどもね(笑)。「ほう、そうか」で行こうかな、考えてみれば「放送か」なんちゃってね。いや、これはおじさんジョークでございますからね。さらりと、捨ててくださいよ。

S:それでまず参院選も終わったところで自民圧勝ですよ。単独過半数改憲勢力の2/3を上回るというところで、まあこの状況結果を受けて、遠藤さん、どう思ってるのかなっていうところから聞きたいんですけれども

翠:まあ、世界情勢も含めてね、私なりに分析してみるとね。ここであのスタンスを取らないと結構後ろが詰まっててね、この後に話しますけどね。まあ突発事故的に安倍さん襲撃事件があったわけだけどもね。

S:まだまだ生々しいんだけど、今収録しているのが、2022年7月のもう中旬ですからね。ちょうど参院選終わってひと段落ついたと言っていいかどうか分からないですけど、そんなタイミングで収録してますからね。

翠:そうですね。簡単に言うと、誰かさんのシナリオ通りでね。例えば、なぜか維新は勝ったのにね、ただし比例で野党第一党だとか、マスコミもなかなか苦しい言い方するよね。比例で第一党になったってしょうがねーじゃねー。本来だったらあの立憲も公明も乗り越える。後ろの人たちはそれを望んでたんだよな。それでご存知のように松井さんと吉村君は辞任しますっていう言い方したでしょ。わざわざ、あれはさあ、期待どうりお前らやれなかったじゃねえか馬鹿野郎という事だよね。これも日本独特で、大阪じゃだめなんだよ。東京の誰かが出てこないとね。維新は全国勢力になれないんだよね。日本人は、大阪ふたりのあの大阪弁が悪いわけじゃないんだけども、まあそういうことで次へ譲ると言うか、「お前らもやめとけ」何て言われたんだろうな。これは想像でございますけどね。

S:これは遠藤さん独特の視点でございますからね。まあ、変なおじさんが変なこと言ってんなぐらいで、どこかで繋がることもあるかもしれないっていう話でございますね。

翠:あれだ、お耳を汚してごめんなさいってやつ。ただね、今後想定されることっていうのはちょっとシビアなんだよな。例えば、この参院選の前だけど、ユーチューブ見てたらテレビの宣伝やってましたね。美人自衛官がどうのこうのなんて、五六人の若者と一人の女性が写ってて、戦車が後ろにあったかな、そういうドラマが始まったんですよ。おや?出て来たぞなんて僕なんか思ったわけ。もうあと3年間選挙無いから思うがままですよね。だから今相当世界は詰まってきてる。
まあ、ウクライナがどうだこうだ言っても、ウクライナよりもねこっちの方、つまり中国の方だよね。こっち側が煮詰まってんじゃないかという気がするよね。簡単に言うと、習近平が今必死に三度目の首席就任を今仕掛けてるわけでしょ。

S:そうですね。年内にありますもんね。

翠:どっかの誰かが言ってたんだけども、ディープステートは2025年までに習近平を辞めさせるとか、あるいは何かを起こすぞっていうか、とにかく2025年までなんだって、それまでの間に彼は追い詰められる可能性があるわけだよね。そうした時によくある手段として戦争を起こすってやつがある。国民の目を外に向けるってこと。そうすると誰が出て行くんだっていう話。もうそれの練習ずっとやってる。それに今の日本の自衛隊は統合されているでしょ。簡単に言うと、10個船がいたら全部が米軍と共有しちゃったよね。その時に、おそらく米軍は前に自衛隊出していくよね。それはもう当たり前の話なんですよね。着々と準備されているように思いますっていうことですよね。だからこの3年はそんなにのんびりしていられない感じもしますね。

S:この後そういう可能性があるっていうことを、頭の隅に置いておく必要ができちゃった。参議院選挙の結果を見ると感じますね。

翠:ただしあくまでもこれは勝手な推測だけど、ただどうも煮詰まってる。

S:アメリカ国内も多分に詰まっているでしょうし、ウクライナもロシアもちろん煮詰まってるし、今お話しいただいた中国も煮詰まってますし、日本は…何なんでしょうね。

翠:いや、本当だよね。今の日本の状況ってなんだろうね?まだマスク付ける付けないをぶつぶつ言ってんだよね。それでまたコロナを流行らせようとしてる。これも要するにそこへ向かうための指令だよね。もっとやれっていうかんじなんだろうね。

S:ああ、そんな感じしますね。

翠:まあこれも致し方ないって言い方すると怒られそうだけど、偉そうに言うとこれをどうやったら止められるかっていうねこと。例えば野党がまったく期待できないしね。野党のこれ悪口でもないし、別に良い口でもないんだけどもね。しょうがないよね。どうしようもないよね。もう野党の存在が無くなった。今回でね。

S:ああ、そうですね。

翠:だからこのままね、知らない間にね、進むんだろうなあと。しかしね、これ本当に何かできないのかっていう思いが、やっぱりねしてくるよね。

S:敏感な人たちはそれ思ってると思いますよ。なんとかしようってツイッター見ていても、スペースのトーク内容を見ていても、そういう話題が多いですからね。ちょっと全然話変わっちゃうんですけど。あの以前ね、遠藤さんツイートで祖父の呪縛っていう内容のツイートされたんですね。で内容ざっとご紹介すると。これ遠藤さんが書いた文章ですよ、「私を育てた祖父は、明治生まれで早稲田出身。彼は私に一度も勉強しろと言わなかった。中学の時、担任が家に来てIQが高いから、私、これ遠藤さんね。私を勉強させてくれと頼み込んだんだが一蹴。」でここで続くって書いてあったんですよ。で僕、これハートマーク押して、どうなったんだろうって楽しみにしてたんですよ。

翠:はいありがとうございます。いや、忘れてたよ。その時に違う方向へ急に興味が言っちゃったんだろうね。忘れてました。申し訳ございません。

S:その続きをここで聴かせていただけないかなと思いまして。

翠:うちの祖父は明治生れって書いたのは、もう実に厳しかった。

S:ああ、そうですか。

翠:しょっちゅうではないけど、悪い事すると馬乗りになって竹刀で叩かれたこともあるしね。それを見た隣のお母さんがね、俺の同級生のお母さん、遠藤さんもうやめてくださいよっていうぐらいね、隣近所がそう言うくらいすごかった。まあ彼なりにね、決していじめではなくて、彼なりに考えてくれたんだと、今はちゃんと分かってますけどね。で、その延長線上で怖いというイメージに縛られてました。だから勉強をやれと言われなかったのは幸いなんだけれども、その後祖父から、担任が家に来てな、お前のIQがなんか高いそうだから遠藤君を勉強させてやってくれなんて来たけど、俺は言ってやったよ。貴方はうちの息子の一生面倒みるんですか?って、担任に言葉を返したんだって。僕は、なんでそういう言い方になるかと思ったんだけど、今だと言いたいことはよくわかるんだけどね。それを恨みを持った担任がね(笑)。まあ、本当はどうか知らんけどもね。要するに僕はちょうど中学校の2年から3年になる頃に、高校の受験勉強がやっぱり始まるわけですよ。

S:そうですね。そういう時期ですね。

翠:それでその地方ですから、あの東西南北に高校があって、これが一番上のレベルなのね。それでその時の担任が三年まで続いて担任でね。僕は後半から不良とつきあうというか、不良になりましてね。昼めしどきはだいたいあの塀を乗り越えて、うちの中学校は崖の上にあったんで、塀を乗り越えて、飛び降りて下の食堂に飯を食いにいってるとか、まあそういうことを普通にやってましたんでね。まあ、これは皆さんよくやることだと思ってるんだけども、つまり不良連中とお付き合いをはじめましてね。多分、この辺もうちに来てまで頼んでやったのにって言いながら落ちたんで、その時は別に何もなかった、学力が足りないんだろうと思ったらそうじゃなくて、もしかしたらね、これは僕のあくまでも私的な意見だけど、内申書で落ちたなと思っちゃった。ただこんなことはね、誰にでもあることだしね。ところが、これでわたしがやっぱりだいぶ道が違っちゃったよね。

S:それはそうでしょうね。全然違うでしょうね。

翠:東京から来た、おしゃまなちょっとかわいい女の子が生徒会長になったんだけど、この子と、僕、付き合おうとしてたんだけども、相思相愛になるはずだったのに、高校に入ったらね格差がでちゃったね(笑)。
だから僕は二流の私立に行っちゃったんだよね。そしたらね、やっぱりね、ふられちゃったね。甘酸っぱいというか、それで僕は変わっちまったというか、要するに勉強はもともとしてないんで、まあ一切勉強しないんでね。つまりまとめちゃうとね天の配剤になっちゃったわけですよ。そのおかげで僕は3年になって、大学試験受けに行かなきゃなって言う時に家でしちゃったんだ。それから僕は千葉県のなんとかっていうところにやってきて働いた。

S:一応、第二回、第三回がちょっと前の配信になるんですけれども。ちょっと遠藤さんの人生を振り返っていただいている回があるんで、まだお聞きでない方、ぜひそっちも聞いていただきたいなと思うんですけれども。

翠:そうですね。まあ、この辺でやめとくけどね。ただこれも全て天の配剤であると言う考え方だね。

S:これはねピンとこないですよ。僕も何言ってんだこのおっさんっていうふうに思ってましたから。でも次のお話するとなるほどって思われるかなと思うんですけど。実はね、スペースをやってても感じるんですけれど、最近“悟り”に関して意外に皆さんなんか心の奥底に関心があるんじゃないかなって思うことが多いんですよ?

翠:そうなのよ。あの何それって言う人が殆どじゃないのかなと、僕のツイッターの一番最初に固定ツイートがあって、それで仏陀は禅を教えたかったんだよなんてことをつらつら書いてあるけど。私を初めてフォローする方が、意外と最初にそこをいいねするんですね。総インプレッションがね前回一回やってたのが消えたんだけど、合計すると20万超えてんだよね。まあ10年ちょっとやってれば、それはなるのかもしれんけど。えっと思った瞬間、そんなに皆さん興味あるんだっていう世界がちょっとわかりかけてきたっていうところですよね。

S:ぶっちゃけ話しますと、僕は番組作るにあたっても色々と遠藤さんと何十回とこう禅問答的な会話をしてきているんですね。で、この人単なる頑固おやじなんじゃないかなって思ってました。悟りなんて知らなくたって生きていけるし、憧れはありましたよ。やっぱり僕は侍の本とか読むのが好きだったので。

翠:はい、武士道ね、

S:はい、剣の達人ってやっぱり悟りっていう言葉が出てくるんで憧れはあったんですけど、本当に有るのか無いのかも分んないもので、このオッサンはあるってゆってそうなんだろうなって言う、どうなんだろうなぁ、かなり疑心暗鬼な部分はあったんです。正直。

翠:うんうん。

S:ただ遠藤さんは優しいから、僕がなんとなく気づくんじゃないかっていうような所をツンツンツンツンって、つついて下さってたんですよね。実はそれである時、「ああ、そうか」っていうのが矢張りありましてね、瞑想して、そこで「僕が間違ってました。ごめんなさい」に変わったんですけれども。もうそれこそ4月に知りあって4、5、6、と3か月ぐらいは、「この人、本当大丈夫かなあ」って思ってました。スミマセン。

翠:いやいやいや。

S:まあ悟りってなんかこう曖昧模糊としてるようなものだと思うんですよ。

翠:本当だよね。

S:うん。でもぶっちゃけ、その悟りってそんなに良いもんなんですか。

翠:悟りを開いた後、じゃあどうなっていくかっていう時に仏教用語で言うとね。これも分かりづらいから、ちょっとだけ説明しますけど、仏教用語で言うとね「三昧」ですな贅沢三昧とかいうじゃん?つまりその前は人生を楽しむというそういう感覚はまずなかったね。私というのはひどい世界に住んでたなあっていう気がしますよね。いつもいつも不安とね、苛立ちとね。まあ、俗によく言ういろんな「我執」だね。執着心がいつもいつも頭の上に乗っかっててね。それ普通よ。だけども認識がガラリと変わるってことかな。

S:今までの認識の仕方が、がらりと変わっちゃうんですね。もう世の中の捉え方が変わっちゃいますよね。僕もまだまだですけれども、悩むことじゃないことに悩んでたって言うか、何て言うのかな?もうもう全てがガラッと変わるんですよね。頭の使い方がっていうか。うんうん。これを言葉にするのは難しいなあ。

翠:まぁ、ものの見方がね、まるで変わるからね。いつもまた悩んでいることが、いや別にそんなことで悩むことねえだろっていう世界に入るよね。

S:ただ、普通は僕なんかも未だにそうですけれども、嬉しければ嬉しいで悲しいことがあったら悲しいけれども、その悲しいって言う気持ちをなんとか誤魔化すというか、コントロールして普通の平静な生活を楽しもうっていうような。やっぱ人生経験を重ねると、感情のコントロールというか、思考のコントロールは多少うまくなるのでそれで乗り切れるし、それで問題もないなと思うんですよ。

翠:うんうん。

S:ただ悟りって全然そういう次元の話ではなくて、そういう思考に囚われないっていう発想に変わるので。その時はもちろん悩みますけれども、そこから離れるっていう技術になってくると思うんですよね。

翠:そうですね。例えばティクナットハンというお坊さんももう亡くなられたけれども、「気づき」という言い方するんだけどね。その「気づき」というのは、別に悟りとか、それとまたちょっと違って、「ああ、私は今嫉妬で怒っている」とかね。つまり感情を一歩引いて眺めている自分に気がつく。これに気が付いてるのと気がついてないのだと、本当に天と地の差でね。もう幾らこういう話をしても恐らくわからない。まるで理解の場所が違うところに立ってるわけだよ。相手はあの陸地にいて俺は海の中で喋ってるのに、さあ、「おめえ、水冷たいか」って言ったら、俺は冷たくないよ陸地に居るよとかいう風に、どうしようもない落差だよね。

S:つまり「思考」で分かることはできない。だから思考で説明しようとする人の話を聞いちゃうと「ほう、そうか」っていうね。
冒頭で出てきました。うん。はい、「ほう、そうか」っていう答えしか。多分、遠藤さんはもうなさらないんじゃないかなって思えてきます。

翠:永平寺の道元さんっていうね、あの。偉いお坊さんがいらっしゃるけど、700年続いてる永平寺ね。彼は「只管打坐」ただ座りなさいと言っていたね。理屈も言葉も何もいらない。ただ、座りなさい。こんなこと言ってるけどさ。Sattomo君、そこまでやって悟って何があるんだよっていう感じはね、たぶん皆さん感じるんじゃないかと思うんで。

S:そうですね。まあ多くの人が絶対そう思うと思いますよ。

翠:なんで悟りを開かなきゃいけないんだって。あるいは悟りたいんだ。でも、なんでもいいよ。ただね、僕は悟ったその喜びを知ってるからね。オススメしたい。仏陀が言った言葉を「方便」と言うんだけども、何かに例えてね「悟り」はいいものだって言う。要するに宝の山が向こうにあるんだだからはげみなさいっていう。生まれて死ぬまでの間に「生きる」という修業をして、皆さんが悟りを啓くところへ行くべきだっていうことなんですよ。「行くべきだ」ってなぜ言うかというと、納得するんです。自分の生きてきた生き様を納得するんです。本当に腹の底からね。よく腑に落ちるっていうけどね。本当に腹の底にね、腑に落ちるっていう言葉がね。分かりやすいかもしれない。納得するんです。腹の底から生きていることを納得するんです。

S:本当に悟っている人を先生にしないと、そこには多分たどり着かないだろうなというか、何に気づいたらいいかっていうことを、背中を押してもらってくれる人が居たから、僕も気づいただけであって。先生を間違えると、無理だろうな。まあ今回はこんなところですな。ということで、第25回「人生、あるがまま」ここまでのお相手は

翠:120°禅遠藤翠と

S:元ラジオD•Sattomoでした。

2人:バイバイ。

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