泣き菜(ツァイ)の炒めものつくるので みんな食べてください。 みんなが食べてくれたら、 泣き菜(ツァイ)はなくなるので あとは、 死に菜(ツァイ)の炒めものも 食べてほしい ゆれもみんなの菜(ツァイ)を食べるからね おあいこよ
ベッドの上で体育座り 熱帯夜 わたしは些細なことでかなしくなる、とおもっていたけれど、わたしのなかでは些細なことではないのかもしれないと思ってきたこの頃。 今日も今日とてかなしくなった。 わたしはかなしくなる天才か? なんでもかなしいほうに捉えられる自信がある。 あの人ならどう考えるか、 尊敬している人の考え方を盗むといいと聞いたことがある。 でもわたしには尊敬するひとはいない。 わたしはなにも定まっていない。自分の好き嫌いを明確に話せる人になりたい。 ぜんぶ曖昧で
日記を書くということ。 書き始めてわかったが、日記は自分のことをわかっていないと書けないということ。 もちろん、その日あった出来事を記すだけの日記もあるだろうしそれもいいだろう。 しかしわたしはその日あった出来事は仕事に行った、くらいしかないので書けない。 そうすると自分の中身とか、思ったことについて話すことになる。 しかしわたしは自分がわからない。 困った。 文章を書き始めてみるけどうまくまとまらず下書きに留める。 わたしは自分のことをなにもわかっていない。
わたしにはこれといって好きなものがない。 好きってなんだろう。 いつも思うこと。 好きな人はいたはずだが、好きがなにかよくわからなくなって自問自答することがよくあった。 ほんとうに好きなのか? 好きと言えるのか? 考えてしまう。
わたしは、いつ死ぬかわからないと思って生きている。 割と本気でそうおもってる。 だから好きな人には好きって言うし、欲しいものは買う。 欲しいものなんて特にないんだけど。 欲しいものもしたいこともあまりない。無欲だ。 でも会いたい人に会いたい、好きな人と一緒にいたい、この欲はずばぬけてあって、これだけで生きていると言っても過言ではないくらいだ。
冷やし中華はじめました的な勢いで、 noteはじめました。 今日はわたしの好きな歌詞について話そう。 わたしは君と出会えたからあんなにつらかった過去の出来事も許せるよ的な歌詞がめちゃめちゃ好きだ、ということに気づいた。 例えば、サンボマスターのI'm in love光る海 「出会えてよかったよ通り過ぎた日々それを少しは好きになれそうさ」 だとか、 BUMP OF CHICKENの新世界 「君と会ったとき僕の今日までが意味をもらったよ」 だとか。 それくらい