散文ぶん殴れ

ベッドの上で体育座り 熱帯夜

わたしは些細なことでかなしくなる、とおもっていたけれど、わたしのなかでは些細なことではないのかもしれないと思ってきたこの頃。

今日も今日とてかなしくなった。
わたしはかなしくなる天才か?

なんでもかなしいほうに捉えられる自信がある。

あの人ならどう考えるか、
尊敬している人の考え方を盗むといいと聞いたことがある。

でもわたしには尊敬するひとはいない。
わたしはなにも定まっていない。自分の好き嫌いを明確に話せる人になりたい。
ぜんぶ曖昧でなにも特徴がない。
それがわたしだ。と自分では思っているけれど、他人の目にはどう映っているのか。それはわからない。

他人の気持ちはわからなすぎる。
わからないからこそいいのかもしれないし、でもわかりたいと思うときもある。

この世はわからないことだらけだ。
わかっていると思っている人も、実はわかったような気になっているだけかもしれない。

でも人には信念というものがある。
真実かはわからないけど、自分の中ではそう信じている、ということだ。
それを他人に押し付けるのは違うと思うけど、自分の中のお守りにするにはいいと思っている。

でも、それもわたしにはない。

わたしにはなにがある?

それは自分で見つけなければいけないものなのか、他人に見つけてもらってもいいものなのか。

かなしいきもちのいまは、自分で見つけられそうもない。

きっとたくさんのものを持っているのに。
それに気づけないだけで。

だからわたしは人に執着するのかもしれない。

わたしのことを認めてほしいのだ。

わたしは自分にいじめられてばかりだから、
人にはやさしくされたい。

もちろん、わたしも人にはやさしくしたいとおもってる。


そろそろなにを言いたいのかわからなくなってきたのでおわりにする。

深夜一時の熱帯夜  夏  ひとり  寝ころぶ

7月ももうおわる


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