Cascade Crest 100Mile Endurance Run 2018
アメリカはシアトル郊外のイーストンで開催されたトレイルランニングレースに出場した時の備忘録です HP:http://www.cascadecrest100.com/
【目標】
25時間台/30位台でフィニッシュ
【不安要素】
①直前の仕上がり確認のつもりだったONTAKE100miが開催されず。
②8月入ってから、体調不良及びぎっくり腰で、一切テーパリングできず。
【事前準備】
・Podcast 100times100miles「Cascade Crest100パート1~3」×5セットでイメトレ
・NHKグレートレース「UTMF2018」を、もう一度観終えてからアメリカに向けて出国
▼Start〜Stampeed Pass(区間36.2mi)
「本当にここがスタート&ゴールなのか?」と思うほど前日は閑散としていたのに、現地に到着した7時40分ごろには、スタート&ゴールのゲートも建てられ、ランナーと関係者で賑わっていた。
”スタート前日の消防署。不安でしかない。’’
「トレランにはトラブルがつきもの」とは言ったもので、スタート前のなにがしかのトラブルを期待していた。少しナーバスになっている証拠だ。
’’ドロップバック。それぞれの入れ物で準備。ほぼ野ざらし状態。’’
前日のイメージ通り、ドロップバックを置いて、ゼッケンと記念品をもらって、朝食をいただくことに。塩気の強いスクランブルエッグと痩せこけたサラミのような形状のソーセージとフワッフワッのブルーベリー入りのパンケーキを押し込む。
8時からのブリーフィングまでの間に、丹羽さんと挨拶を交わす。
妻と丹羽さんの奥さんがレース中一緒に行動することになり、旦那衆もひと安心。
’’スタート前のブリーフィング。今日を迎えられたことへの関係者に対する感謝を、大きな拍手で応える。’’
「そろそろじゃない?」といった声を聞き、そそくさとスタート地点に移動するとアンセムが。カナダ国家斉唱中にGPSウォッチを起動させようと操作していると事前に設定していたモードが表示されず、なぜかすべて初期設定に。続くアメリカ国家斉唱の間も、無礼ながら脱帽する余裕もなく、スタート前からプチ・パニック(事件は現場で起きている)!!妻とハグを交わし間もなくして、ファイブ、フォー、スリーとカウントダウンが始まる。意外にも時刻通りにスタート。
’’アンセム中。時計のトラブルでそれどころではないっ’’
「スタート前にバタバタすると、なぜだかレース運びがうまくいく」ジンクスがあるものの、これほどまでにスタート直前でざわついたのは初めてかも。ちなみに時計は、何が表示されるかわからないままデフォルトの「ランニング」に設定。いつもは「心拍・距離・ストップウオッチ」を常に表示させながら、時刻と高度、ペースを切り替えられるようにしているけど、「ランニング」にはそんな組み合わせがない。「おそらくロードランニング仕様なんだろう」ということでスパッと諦め、「心拍とストップウオッチ」だけの組み合わせで走ることに。スタートして山に入るまでの平坦な場所はウォーミンアップも兼ねてしっかり走り、自らの体調と心拍の上がりをチェック。そもそも8月に入って体調不良が重なりスタートまでの3週間はテーパリングどころか走ることをやめざるを得ない状況で体調回復に専念せざるをえなかった。いざ走り出してみたら久々のランニングによくある体の重さはスルーしつつも、左腰上部の筋肉のハリはさすがに気になった。フォームを調整しながら負担をかけないようなポジションを確認し山に入ることに。スタート直前の天気は最高気温が17度、最低気温が3度で、天気は曇りで時折雨がパラつく予報。高度を上げ続ける序盤は、肌寒くアームバンドを早めに装着。空には雲が敷き詰められ、日本とはスケールの違う「これぞアメリカ!」的な大きな景色は楽しむことができなかった。
この区間のコースは、上りが意外と走れる斜度で、下りも気がつくと走らされてる感じのコース。病み上がりだと自らに言い聞かせながら心拍数を頻繁に確認していたので、走りにリズムが作れず気持ちよくない展開が続く。
Blowout Mtn(14.2mi)を出た後、外国人ランナー(彼らからするとむしろ私が外国人)4.5人とパックになり前後で会話しながら気持ちよく走っていたものの、心拍が170-180で張り付いてしまったので、次のエイド(Stampeed Pass)からは彼らについて行かずペースを落とすことに。同時に、時計の心拍表示を辞めて「ストップウォッチ・距離」に変更。心拍を確認しないで走るのは初の試みだったものの、おかげで走りに集中することができたので、ゴールまで設定を変えることはなかった。
Stampeed Pass(36.2mi)では、藤岡さん夫婦がエイドで迎えてくれて、スタート以来の日本語での会話でリフレッシュ。ランナーを応援するクルーの熱い応援に感激しながら、デポバックからエネルギーを補充し、名残惜しさを感じつつもすぐにエイドを後にした。タイムは予定通り。
▼Stampeed Pass ~Hyak(18.1mi)
Blowout Mtn(14.2mi)を過ぎたあたりから、既にPCT(Pacific Crest Trail)のルート上を走っている。
PCTだからと言って何か特別なものがあるわけではない(当たり前だ!)。ところどころ設置されている標識にはハイカーと馬は通行可能だけど、バイク(自転車)はNGと表示されている。
「ランナーはハイカーと馬の中間の、どちらかと言えばハイカー(人間)寄りなんだろうな」、「さながらケンタウルスかな」とか、どうでもいいことを考えながら走り続ける。このあたりで、左のアキレス腱が疼き始めた。「どうどうどう」と乗馬気分で御してみる。念じるよりも声に出すほうが紛れた。
PCTでは多くのハイカーとすれ違った。ゴールのバンクーバーまではあと少し。そんなハイカーとの一期一会を楽しみたいと思い、適当かどうかはわからないけけど「Have a nice trip!!」と笑顔で声をかけ続けた。「good job」「nice work」といった反応が嬉しく、かえって元気をもらう。このあたりから脚の熟成もはじまった。膝上の小さな筋肉がプルプルと震え始める。攣らないように脚裁きををコントロールしながら少しペースを緩めてやり過ごそうとしている時に、イヤホンしながら走るランナーに抜かれた。ハンドボトルにザックなしスタイル。パンツのポケットはジェルらしきモノでパンパンに膨れ揺れている。抜かれ際に「調子はどう?」的なことを聞かれ、「ちょっと疲れてきたかな」と返したら、こちらを振り返りイヤホンを耳から外し、笑顔で「Keep Smiling!」。「知っとるわ!」と心の中でツッコんだけど、こういうちょっとしたやりとりが刺激になる。
Olallie Meadow(62.4mi)では日本人のボランティアスタッフに遭遇(旦那さんが石川弘樹氏と知り合いらしく、石川氏からCCを薦めてもらい走ったことがあるらしい)。日本人2位(1位は丹羽さん)で全体で29位よ、と教えてもらう。ここで初めて順位を意識するようになった。エイドを後にし、ロープをつたって急斜面を数百メートル下るポイントに到着。軽々と下っていると、上方にいる後続のランナーから声がした。ランナーに顔を向けてから数秒後、脹脛に痛みが。痛みの原因は上から転げ落ちてきた岩だった。「Rock!」って言ったんだと、ぶつかってから理解した。これぞ本場のロッケンロール!! 大きな声で内田裕也のモノマネをしてみたが、笑い声は聞こえなかった・・・。
そしてCC名物のトンネルへ。「雨が降ってきたのでトンネルで雨宿り。ラッキー♪」なんて気分にならないぐらい、ヘッデンに照らされた闇夜に包まれたトンネルはとても不気味。
気持ちは恐る恐る、ただ走るスピードは落とさずに一気にトンネルに飛び込む。明かりは自らのヘッデンのみ。
’’トンネルの中では、こんないたずらも’’
聞こえるのはトンネル内を滴る雨音と自らの足音だけ。足音は鈍く反響し近くににランナーが2、3人いるかのよう。手元の時計で測ったら距離にして4km。長いトンネルを出た時の開放感と外気の寒さを同時に感じながら、妻と丹羽さんの奥さんが待つHyak(54.3mi)に到着。予定よりも20分早く到着。約12時間で前半終了。
▼Hyak~Kachess Lake(14.9mi)
丹羽さんの奥さんはクルー対応に慣れていて、2本のボトルに水を補充してもらう。その間、ドロップバックからエネルギーを補充して、妻と二言三言会話した後、意気揚々とアウトするも、早々にロストする。ヘッデンに反射するコースマーカーとガードレールの反射板が混同してコースがわからない。無駄な距離を走ることを避けるため、その場に立ち止まり後続のランナーを待った。20分ぐらいのロス。この先2度右折するポイントを教えてもらい、少しペースを上げることに。サーフィスがロードから林道に変わり、ダラダラとした上りが続く。気温も徐々に下がり、風が強くなり雨が吹き込んでくる。動けなくなると死んじゃうなと思い始め少し不安に。Keechelus Ridge(62.4mi)まで600mUPのはずなのに、とても長く感じた。気弱になると体感距離にも影響する。次のエイドでは、妻と丹羽さんの奥さんに加えてペーサーが待っているので、気持ちがはやり6miのダウンヒルをいい感じで駆け下りた(ここでベストラップ4’46”/km)。予定よりも30分も早くKachess Lake(69.2mi)に到着。ペーサーは、ポートランドから遠路駆けつけてくれたマミコさん。ポートランドを3年前に訪れた際、フォレストパークで一緒に走って以来。マイラーの先輩に甘えて、残りの30miを引っ張ってもらうことに。
▼Kachess Lake~Finish(30.8mi)
まだ体力は残ってるしトラブルもない。目指すはゴール予定の時間に向かってマネジメントし続けられるかどうか。エイドを出た後は「Trail from hell」と呼ばれる煩わしい区間。入り口には今大会二度目の骸骨。うねったUP&DOWN、谷側が崩れ落ちてるトレイル、渡渉やぬかるみ、行く手を阻む巨木が点在し歯が立たなかった(走れなかった)。エイドで白湯をいただいた後は、Hyak後にもあったダラダラ続く林道が10mi。上り始めて間もなくマミコさんが「このペースなら(予定しているゴール時間に)間に合うよ」と引っ張ってもらう。「レースは最後までわからない」と、前週にあったBigfoot200の話題などで励ましてもらったりしながらも、正直ついて行くのがやっと。
’’遠くのヘッデンの明かりは、真夜中のマミコさん。’’
標高が上がるにつれ気温が下がり風と雨が強く吹き込んできた。またしても「死んじゃうかも」が過ぎる。同時に、ここに来て少し胃の調子が悪くなり、更に気弱になる。今思えば、この区間は無理してでも走りきれば良かった。リズムを切らすと、どんどん不調モードの深みにはまってしまう。
林道の終わりのNo Name Ridge(81.6mi)には予定よりも40分早く入り(マミコさんに感謝!)、またしても白湯で温まる。この先は終盤のハイライト「Cardiac Needles」が待ち受ける。飯能の天覚山のUP&DOWNを激しく(長く&高く&急)した感じ。UPが6回と聞いていたけど、どれがNeedleなのかわからなくなりカウントも忘れてしまう。開き直ってアップダウンを淡々とこなし続けたら、次第にリズムが出てきてカラダがまた動き出す。夜が明けて、どんどん空も白けてきた。「イケるぞ!」と手ごたえを感じ気分もアガる。
’’Thorp Mtn(86mi)のテッペン。濃霧と強風で、とにかく寒い。’’
ただ、急な下りで前腿が終わり始めている。おそらく蓄積した疲労で脚の動きが小さくなり、着地がブレーキになり前腿への負担が大きくなっているように思う。走り方をリカバリーできないまま、French Cabin(89.2mi)に到着。
途中でちぎってしまったマミコさんをエイドで待つことを理由に椅子に呼ばれて、早朝の白湯をすすり穏やかなひと時を過ごす。エイドスタッフに「10分ぐらい休んでるんじゃない?」と言われたあたりで、マミコさん到着。「『ここからはゴールまで気持ちよく走れる下りだ』って、藤岡さんが言ってたよ!」というアドバイスでスイッチ・オン!ゴールまでの残り11miを走り切る。そのために、背中は見えないけど前を走るランナーをただ追うことに専念。French Cabinでの休憩のおかげか、はたまた火事場のクソヂカラか前腿が再起動。見覚えのあるランナーをひとり、またひとりと抜き去る。どんどん脚がまわる。景色がグングン流れていく。疾走感がとても心地よい。標高も下がり体感温度も上がってきた。ゴールが近づくことを五感で実感できる最後の区間が、どのレースでも好きだ。応援してくれた仲間の顔や言葉が浮かんでくる。ここまでこれた体に感謝しつつ、ラストだと言い聞かせ更に鞭を入れる。
CC最後のエイドShirver Creek(96mi)のスタッフが見えてきた。ゼッケン番号を自ら声に出して申告するのもこれで最後。スピードを落とさず、そのままエイド前を通過。声援と「ゴールまで4mi」といったアナウンスに背中を押される。散乱する馬糞をケアしながら走っていると、ロードに出た。周囲に見えるのはフレッシュな朝ランの皆さん。「Good job!」と声をかけられ、笑顔で「Good morning!」と応える。前を走るランナーを追うことから、朝ランのランナーに向けて「100マイル走ったって、俺はまだこんなに元気だぞ!」とアピールすることにモチベーションが変わる。ゴールが近づき沿道で応援してくれる方々とハイタッチ。線路脇の砂利道をぬけて、前日の朝スタートした消防署のゲートをくぐる。24時間31分のタイムは、予定より1時間も早かった。
昨年仕留めるはずだった「念願の100マイル完走」なのに、こみ上げてくる感傷的なものは全くなかった。でも、何ものかに満たされている感覚。おそらく、1月から地道に地脚を強化し、4月からCC完走に向けて距離を踏み、同時にトレーニング方法を自分なりに工夫しながら積み重ねることができたことに対するものかもしれない。
ゴールではKachess Lake(69.2mi)で応援してくれたトレイルバターのJeffが声をかけてくれた。椅子と毛布を提供してもらい労をねぎらってもらう。放心状態のまま、ようやくひと息。この後は、未体験レベルの筋肉痛との闘いが待っている。
▼もうひとつのエンディング
ベタだけど、ゴールは妻と一緒にゲートをくぐり、記念撮影して、キス&ハグ・・・そんなプランだった。けど、ゴールに妻の姿は見当たらない。実は、最後のエイドを過ぎたあたりから「30分~1時間ぐらい早くゴールするかも!」と妻にメールしたもののレスなし。何度か電話を鳴らすも応答なし。妻とはKachess Lake(69.2mi)で25時過ぎに別れた。その後にスタート&ゴール付近の宿泊先に戻り、久々のアメリカでの夜の運転、時差ぼけ・・・、色々重なりきっと疲れて寝てることだろう。ただ、毛布に包まってる自分は体温がぐんぐん低下してきた。とにかく寒い!
ゴールでもらったパーカーを着る。レース中一度も使わなかったレインも着る。アイシングのための氷バケツはパス。(あったのかもしれないけど)ビールを飲む気にもなれない。
寒さに耐えていると、マミコさんがゴールに戻ってきた。French Cabin(89.2mi)を一緒に出た後、置き去りにしてしまった(本当にすいません)。マミコさんに妻が寝坊していることを伝えた後、記憶がない(おそらくそこで力尽きてしばらく寝オチ)。しばらくしてから、マミコさんに起こしてもらう。再度妻に電話するも不通。結局Jeffに依頼して、車で宿泊先まで送ってもらった。「日本人中年男性 100マイル走った後ゴールで死亡 原因は極度の低体温症か!?」と地元紙の1面を飾らずに済んだ。「死んじゃうかも」しれない最大のトラブルはゴール後にあった。「レースは最後までわからない」。
''当日の気温は夏らしからぬ天気''