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遠巻きの寛容 第5回「寛容」

      寛容

 会場に読経の声が響く。
 祐平は、遺影で微笑む寛人に自分の知らない別人の彼を感じる。
 …寛人。お前、本当に死んだのかよ…
 祐平の心の問いに答えはなく、葬儀社の会場係の声が彼の耳に届いた。
「御親族の皆様。ご焼香を順番にお願い致します」
 焼香台の前に立つ親族たちの背中で寛人の遺影が見えなくなった。
      *
「御親族の皆様。ご焼香を順番にお願い致します」
それまで床に視線を落として喪主席に座っていた開斗だが、葬儀員の声で顔を上げた。
 彼の視界に映る祐平。
 …開斗。何も心配しなくて良いよ…
 彼は、焼香の匂に紛れて父の声が耳を過ったように思った。
「開斗」
 母の声に彼はハッとし、焼香を済ませた親族に会釈した。
「一般弔問客の皆様。ご焼香をお願い致します」
 一般の焼香客たちが立ち上がると彼は祐平の姿を見失った。
      *
 横一列三人の中で喪主から一番遠い位置で焼香を済ませ、遺影に手を合わせる彼の袖口から覗く時計に、香純は溜息を漏らす。
 そして、心の中で遺影の寛人に呟く。
 …これが、あなたの遺言なのね…
      *
 焼香後、図らずも二人は向き合う。
 見つめ合う二人。
 視線を落とした祐平は寛人の腕に自分と同じ時計を見る。
      *
 …今、一番必要なのは本当の寛容じゃないか…
 寛人の声が過ったような気がした。
 祐平は、彼の顔をもう一度見てから無言の挨拶を済ませると喪主に背を向けた。
      *
 席に戻ることなく式場の出入り口へ向かう祐平の後ろ姿を、開斗は目で追った。
「開斗。あなたは喪主なのよ。落ち着きなさい」
 小声で嗜める母親の顔を、開斗は見つめた。
「母さん。ごめん…」
 そう言って開斗は背を立ち、部屋を出ようとする祐平を追った。
 突然起きた喪主の不可解な行動にざわつく弔問客たち。
 戸惑の表情を浮かべる葬儀社のスタッフたち。
 会場の騒ぎに動じない香純を見た葬儀社の責任者は、スタッフに続行を指示した。
 香純は、寛人の遺影を見て微笑んだ。
 …後は、二人次第ね…
      *
「祐平ッ」
 駐車場でタクシーを待っていた祐平は、開斗に背を向けて歩き始めた。
「待って、祐平」
 止まることなく歩み続ける祐平を追って、開斗は駆け出す。
 歩みを徐々に早める祐平に開斗が追いつき、彼は祐平の背中に抱き着いた。
「ごめん。祐平」
「…」
「ごめんなさい」
 祐平は、彼の腕を解こうとするが力を強めて抗われる。
「俺を欺き、陥れようとした」
「本当にごめんなさい」
 祐平は、背中で泣く開斗を感じながら途方に暮れる。
「恨まれても。憎まれても仕方ない。でも俺は、祐平と離れたくない」
「…」
「祐平、愛してるんだ。信じて」
「少し、手を緩めてくれないか」
 開斗は、いっそうしがみつく。
「顔を見て、ちゃんと話をしたいから」
 開斗は、恐る恐る腕を解いた。
 祐平は、彼の両頬に手を当て、ジッと見つめる。
 そして静かに言った。
「今更、何を信じろって言うんだ?」
 開斗、表情が強張る。
「俺はもう。取り返しのつかないことはしたくない」
 開斗の目から止めどなく涙が溢れ落ちる。
 タクシーが停車し、扉を開けて待機する。
 そこに向かう祐平を青褪めて見送る、開斗。
 身を屈め、運転手と会話する、祐平。
 タクシーの扉が閉じる。
 だが祐平はそれに乗らず、見送って振り向くや足早に開斗の元へ戻り、彼を強く抱きしめ、キスをした。
 そして、彼の顔を見つめて言った。
「もう、俺から離れるな。死ぬまで、一緒に居てくれ」
      *
 会場に戻った二人は、好奇かつ無言の視線で迎えられた。
その中を開斗は祐平の手を引き、彼を親族席に座らせた。
開斗は喪主席に戻り、読経が止んだ。
      *
 出棺前、開斗と一緒にいた祐平に香純から話し掛けられた。
「桜井さん」
「あっ。香純さん」
「ご無沙汰してます」
「こちらこそ」
 香純、開斗と祐平を見て。
「開斗を宜しくお願いします」
「母さん…」
「安心して下さい」
 彼女は微笑むと、サリンジャーの短編集をバッグから出して言った。
「お棺に入れるのをお願いしたいわ」
「…」
「あなたが、一番相応しいから」
 本を受け取り、祐平は頷いた。
「火葬もここで?」
「そうなの。便利で良いわ」
 祐平、自分の腕時計を見る。
「そろそろかな」
「祐平さん」
「はい?」
「出棺の後も立ち会って下さいね」
「それは流石に…」
「寛人も喜ぶから」
「身内でもありませんし」
 二人を見て、香純は言った。
「もう身内よ。寛人にも。開斗にも」
 開斗、彼に頷いて見せる。
「火葬の間。あなたとお話したいけど良いかしら?」
 祐平、頷く。
「それでは後ほど…」
 開斗は不機嫌顔で言った。
「母さん。俺が邪魔なんだ」
「拗ねるなよ。ところで彼女の話相手の男性は誰?」
「西村先生。父さんの主治医だった」
「あの二人。好い雰囲気じゃないか?」
「そうかぁ?」
      *
 棺に眠る寛人の顔を、祐平は見つめる。
 彼の手に短編集を置き、心の中で祐平は言った。
 …また、逢おう…
      *
 火葬待ちのロビー。
「仲間外れにされたって。開斗、拗ねてました」
 香純、苦笑。
「二人きりで話したかったから」
 彼女は、祐平の前に腕時計を置いた。
「えっ。これって?」
「あの人の腕時計。事故が起きた時間で止まったまま」
「…」
「あの人の遺品と呼べそうな物はもうこれだけだから。受け取って」
「寛人。事故で失くしたと言ったけど」
「嘘をついたの。彼に渡したくなかったから」
「なんで?」
「あなたに嫉妬していたから」
 香純、指先で時計を撫でる。
「離婚直後にあの事故が起きて、捨てようと何度も思ったし、その機会はいくらでもあったけど出来なかったわ」
「介護で情が湧きましたか?」
「情ねぇ…」
「介護が献身的だったと、寛人は感謝していました」
「そう。嬉しいけど、違うわ」
「?」
「彼を独り占めできると思った。介護することで、彼の心に宿るあなたの存在を取除けると思った」
「…」
「でもダメだった。彼、あの短編集を自分が見える場所に開斗を使って置かせていたわ。それを初めて目にした時、もの凄く嫉妬し、絶望し、あなたの存在を怨んだわ」
「それでも捨てられなかった?」
「彼が眠っている時、捨ててしまおうと思ってあの本を手に取った。その時ディスプレー画面に文字が突然映し出された。そこに『僕はもう、自分で死ぬことが出来ない』って表示されていたわ」
 香純は静かに語り続ける。
「本を戻し、彼の寝顔を見てホッとしたのを、今でもよく覚えてるわ。どうしてかって。人間、辞めたくなかったからかな。あたし、あの人の希望を奪ってきたじゃない。あなたから彼を奪ったり、あの時計を隠して。でも寛人はあたしを憎まず、許しすらしてくれた。そんな彼から生きる希望の最後の一つを奪えないじゃない。もし、それを彼から取り上げてしまったら、彼を殺すことになる。彼、自分で死ぬこともできないの。寿命までの生きる屍になんてさせられなかった。あたしの介護はね、決して献身と言える行為じゃないの。独占欲と嫉妬に始まり、贖罪に終わる行為。ポジティブな感情によるものではなく、負の感情に根差した行為なの。だからこそ彼を介護し続けられたのかな。愛情しかなかったら続けられなかった。あたしは憎悪と贖罪でしか耐えられなかった」
「本当にそうなのかな」
「えっ?」
「贖罪と言いましたよね。きっとそれが、香純さんを救ったんですよ。あなただけじゃない。寛人や開斗、そして自分も。そうでなければ、こうして対話なんかできませんよ」
「そうね」
 香純は微笑んだ。
「香純さん。これからどうされる予定ですか?」
「結婚します」
「ほう?」
「主人の主治医だった先生と」
「先程、お話されていた方ですね?」
「あら。西村先生をご存知なの?」
「開斗から聞いて」
「そう」
「開斗には?」
「まだ。でも、反対しないと思うわ」
「どうかなぁ?」
「開斗には、あなたがいるじゃない」
      *
「ところで、レオンを以前から知っていたんですか?」
「いいえ。あのお店は、若杉に連れて行かれたのよ」
「えっ?」
「学生の時に別れた若杉と同窓会で再会し、不倫関係になってね。寛人と出会った頃は、それがギクシャクして。気分直しにゲイバーでもって感じになって行ったんです」
「そこに寛人が?」
「ええ。お前、ゲイを落とせるかって若杉にけしかけられて話したのが彼だった」
「話すと楽しくて。連絡先を彼に教えたら若杉、不機嫌になって。その上、あの店のママが若杉を凄く気に入って。一緒の写真を撮られたら増々不機嫌になって。二度と行くかって大変だったわ」
「若杉と寛人が渋谷で偶然会ったのは?」
「よく覚えてるわ。二人で婚約指輪を選んでる時、突然現れたから。デパートの宝飾品売り場よ。一人で来るようなタイプじゃないから、驚いたわよ」
 そこに開斗が現れた。
「そろそろだって」
      *
「先に行ってるわね」
 そう言って立った香純は、親族控室へ向かった。
 開斗、祐平の隣に座る。
「二人で何の話し?」
 苦笑いしながら、祐平は曖昧に答える。
「昔話だよ」
「仲悪いくせに。信じられないよ」
「お前。俺たちのことを誤解してないか?」
「誤解って?」
「彼女に会って話したの、今日が初めてだ。仲が悪くなるほど親しくないよ」
「ふーん」
「仲間外れされたと、まだ怒ってるのか?」
「違うよ」
 プイッと横を向く彼の前に祐平は、寛人の腕時計を置いた。
「それ。父さんの?」
「事故の起きた時間で止まってるらしい」
 開斗は、それを手に取って眺めていたが、不意に軽く振ってみる。
「あれっ。動いた」
「壊れてなかったんだな」
「そうみたい」
「オーバーホールに出してみようか」
「うん」
 葬祭場の案内員が二人に告げた。
「骨上げの準備が整いましたので、これから収骨室へ御案内させて頂きます」
      *
係員が骨上げの説明を始めた。
「お骨は、お二人様一組にて、箸で拾って頂きます。喪主様、ご遺族様、ご親族様の瞬番で、先ずは歯から拾い、次に足から頭へと骨壺にお納め頂きます。この仏様の御姿に似たお骨が喉仏と呼ばれております。最後にこれを故人様と一番親しかった方に拾って終りとなります。では、喪主様からどうぞ」
 開斗と共に係員から箸を渡された香純は、それを祐平に渡した。
「あなたが相応しいわ」
 戸惑う祐平に、開斗が言った。
「喉仏も拾ってやって」
「…」
「父さんが一番望んでるから」
 開斗からそう言われて背中を押された祐平は、箸を握った。
「さぁ。始めよう」
      *
 二人だけの葬儀場のロビー。
 開斗の隣で、祐平は骨壺の入った箱を膝の上に置いて座っている。
「本当に俺で良かったのかなぁ?」
 開斗はクスクス笑いながら言った。
「喪主様が許可したんだから良いんだよ」
 祐平、溜息。
「遺族や親族とかじゃなくて、故人との関りが一番重要なんだ」
「ありがとう。喪主様」
 祐平は、彼の頬にキスをする。
「こんな所で何だよ」
「お礼だ」
「誰かに見られたらどうすんだよ」
「誰も居ないよ」
「父さんの前だぞ」
「なら、ちゃんと慣れてもらわないとな」
「?」
「お前が寛人を預かるんだろう」
「うん」
「それって、うちに連れて帰るってことだろう?」
 祐平、にやけ顔。
 開斗、呆れて彼に言う。
「まったく、不謹慎な奴め」
                      (第5回『寛容』END)

(最終回『帰結』アップ予定:2021.3.30)

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