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黒と白

 寝室の姿見鏡に映る自分を見ながら哲司は顔をしかめた。
「喪服に白いマスクはなぁ…」
 独立前に勤めていた会社で入社以来世話になった上司にして、自分の会社の主要取引先の社長が急逝し、その日の午後に社葬が執り行われる。
「社葬だろ。マスクは黒の方が…」
「パパ。何してるの」
 妻の早苗が苛立ち気味に寝室を覗きながら言った。
「社葬に白いマスク。まずくないか?」
 早苗はあきれ気味に言った。
「もう。直ぐ出ないと式に間に合いませんよッ」
          *
 コロナとはいえ社葬に参列する関係者は多く、記帳を済ませて受付に向かう行列が長く伸びていた。ソーシャルディスタンスで間隔を空けて並んでいたせいか、参列者の顔が否応なく目に入る。誰も彼も黒いマスクをしているように思えて哲司は落ち着なかった。

 …やっぱり社葬には黒いマスクだよなぁ…

 哲司は俯き気味で受付へと進んだ。
 間もなく受付の順番となろうかという頃、受付ブースを見た哲司は唖然とさせられた。応対者全員が黒いマスクをしていた。

 …おお。これはマズいぞ…
                            
 哲司は慌てて俯こうとするのだが、ブース内の一人と運悪く目が合ってしまう。
 自分くらいの年齢で厳つい風貌の受付の男は、哲司をジッと睨み続けた。
          *
 『取引先関係』の受付でドーンと立っているその厳つい男は、落ち着かない様子の哲司をジッと睨みながら相対した。

 …いやいや。まずい雰囲気だ。受付を早く済ませてこの場から離れなければ…

 哲司は、記帳表と香典をその男に渡して受付を済ませ、その場からさっさと立ち去ろうとしたが、その男に呼び止められた。
「西村?」
 哲司は、恐る恐る振り向く。
 鬼のように厳つい風貌の男。
 でも、哲司へ向けられた眼差しはそれまでとは打って変わって穏やかで親し気だった。
「俺だよ、俺」
「?」
「今泉だよ」
「えっ?」
 その男はマスクを外し、笑顔の素顔を晒して見せた。
「お、お前。今泉かよ」
「そう。三十年振りか?」
「もうそんなになるか…」
          *
 社葬の後、二人は昔連れ立ってよく通った居酒屋に行った。
 哲司が独立する直前に今泉は海外赴任となり、以来日本を離れていた。
「いつ戻ったんだ?」
「先々月にな」
「連絡くらい寄越せよ」
「スマン。余裕なくてな。それに戻る早々、社葬だろ」
 今泉、苦笑。
「でも、本当に残念だよ…」
 今泉は落胆して言う。
 そして二人は、故人を偲んだ。
          *
 酒が回って赤ら顔の今泉が言った。
「そう言えばお前、受付で緊張してたよな」
 そんな彼の顔に赤鬼のそれを重ねながら、哲司は言い訳した。
「お前に睨まれたからなぁ」
 白いマスクで気後れとは言えず西村はそう返した。
「別に睨んでたわけじゃないぞ」
「マスクでお前だと判らなかったしな。目つきの鋭い人に睨まれて、ちょっと引いた」
「普通に見てただけだぞ」
「お前だって判ってりゃ、平気だったさ」
「会うのが久しぶりだろ。マスクで顔も隠れてるし、顔を見ながら、お前かどうか確認してたんだよ」
「確認?」
「老けたよ。お前」
 流石にムッとして、哲司も言い返す。
「お前こそ」
 酒が進み、お互いの近況話となる。
 今泉には娘が二人いるが、どちらも結婚して家を離れていた。だから現在は、夫婦二人の生活らしい。
「娘たちが居る時はそんなに感じなかったんだが、居なくなってみると家の中がガランとしちまってな」
「寂しいのかよ?」
「ちょっと違うなぁ。つまり、夫婦二人の生活って久しぶりだろ。でもその頃は、家も広くなくてさ。現在は一軒家に住んでるんだが、妙に広くてな。慣れてないんだろうな」
「わかるよ。うちも一人娘が嫁いで、夫婦二人きりになって、その生活に慣れるまで時間がかかったよ」
「お前もか。俺だけじゃないんだな」
哲司は、もう直ぐ娘夫婦の間に子供が生まれることを伝えた。
「そうか。初孫か?」
「あぁ。初孫だ」
「いつ生まれるんだ?」
「来月の初めだって聞いてる」
「そうかぁ。西村も、おじいちゃんになるんだな」
「どうも、そうらしい」
「俺たち。もうそんな年齢になったんだな」
         *
 西村は、次の一軒を誘った。
「行きたいが、明日病院なんだ」
「なんだ。具合が悪いのか?」
「いいや。実は、孫の顔を見に行くんだよ」
 今泉は孫の待受け画像を見せた。
「女の子でさ。可愛いんだ」
 今泉は、生まれたばかりの孫娘の待受け画像を見せた。

 …猿みたいな顔だな…

 デレデレ、にやにや顔の今泉には申し訳なかったが、哲司はそう思って内心苦笑した。
 そこへ妻の早苗から電話が入った。
「えっ。陣痛が始まったって?」
「そうなの。早まったみたい。今どこです?」
「まだ、今泉と一緒だけど」
「早く戻って来れない?」
「ああ。わかった。直ぐに戻るよ」
 電話のあと、哲司は今泉を見た。
「二件目を誘っといて、悪いな」
「いいさ。気にするな。俺も明日は都合があるし。神様のお導きさ」
「今度また、ゆっくり飲もう」
「そうしよう。初孫か。可愛いぞ」
          *
「病院だからなぁ。マスクは白だろう…」
 翌朝、姿見鏡に映る黒マスク姿の自分を見ながら哲司は呟いた。
「パパ。支度まだですか?」
「母さん。白いマスク無いの?」
「ありませんよ。今、うちには黒いマスクしか残ってないんです」
「昨日。白いやつ見かけたよ」
「あれが最後の一枚。買いに行ったら黒しかなかったんですよ」
「病院だから。やっぱり白いマスクでないと…」
「黒でも白でも、コロナを防ぐのなら良いマスクですよ」                   
「でも、病院だしさ」
「そんなに気になるなら病院で買えば良いじゃない」
「これ開けちゃったし。使わないともったいないしさ」
「ぐずぐず言ってないで、早くして下さいね」
          *
 哲司は、孫との面会手続きをする妻をロビーで待った。
予想より来院者は少なかったが、白いマスクをしている人がやたらと目について見える。病院の購買で白いマスクを買うべきか思案していると妻が戻って来た。
「母さん。やっぱり白いマスクの方が…」
「まだ言ってるの」
          *
 若い女性の看護師に案内された二人は、室内を一望できるガラス窓の連なる新生児室前の廊下で待つように言われた。
 既にそこには、西村夫妻と同年配らしい先客がいた。
 落ち着いた素振りの夫人とは対照的に最近アニメで流行の派手な格子柄のマスクをしている亭主の方は、廊下に面した窓ガラス越しに孫を見てやたらと燥いでいる。

 …なんだ。あんなマスクを病院にしてきて… 

 哲司は、その男を見ながらイラっとしながら思った。
「パパぁ…」
 突然、哲司の隣にいた看護師が燥いでいる夫婦を嗜めるように言った。
「おう。奈々か」
「奈々かじゃないわよ。病院だから騒がないって、いつも言ってるじゃない」
「おお。スマン、スマン。でも可愛くてなぁ…」
 愛想笑いを浮かべながらで二人のやり取りを眺めていた哲司だったが、ふとした拍子に男と視線が合ってしまう。
 そして二人は、ほぼ同時に『あっ』と声を上げた。
「今泉、か?」
「西村。お前、なんでここに?」
「お前こそ」
「俺は、孫があそこに居るから…」
「えっ」
「紹介するな。お前の隣にいる看護師。俺の下の娘の奈々だ」
 看護師は二人に挨拶をする。
「あぁ。そうでしたか。どうも…」
 今泉は、上機嫌に言った。
「いやぁーッ、昨日から奇遇の連続だな」
「まったくだ」
 哲司はそう言いながら、今泉のマスクへ視線を向け続けた。
「どうした。俺の顔に何かついているか?」
「お前のマスク。派手だな」
「あぁ、これか。奈々の子からのプレゼントでさ」
「流行のアニメのか?」
「好いだろう。これをしていればさ、鬼でもコロナでも退治してくれるぜ」

 …それより前に、お前が退治されちゃってるだろう…

 内心苦笑する哲司を妻の早苗が呼んだ。
「パパ。見て、見てッ」
 ガラス窓越しに初孫を見て哲司は、今泉に聞いた。
「あのさ。そのマスク、どこで買った?」

(END)
(次回アップ予定:2021.5.12)

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