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思い出との付き合いかた

思い出との付き合い方って、難しい。
それが苦しい思い出だとしたら、なおさら。
僕みたいな若造には、それを忘れることもできなければ、上手く乗り越えることもできない。

ただ苦しい思い出の中にも、温かさを見つけることはできる。
そして、温かさをたくさん見つけられる思い出は、自然と自分を前に進ませてくれる。

そんなことが分かった気がした、淡くて淡くてしかたない、夏のはじめのお話です。

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彼女とはじめて会ったのは、2年前の春。

サークルのひとつ下の後輩になった彼女は、カワイイとキレイが8:2ぐらいの雰囲気をまとっていた。
決して目立つタイプではないが、くりっとした目と明るいキャラクターで、男女問わず”いい子”と言われて人気があった。
僕と彼女は特段仲がいいわけではなかったが、僕と話しても楽しそうに笑ってくれる彼女が、僕にはとても魅力的に映った。
彼女はただのかわいい後輩だったが、いつか彼女を好きになることは、最初から予感していた。

そして、かわいい後輩のまま、彼女との別れのときはきた。

もしかしたら、好きにならないように無理していたのかもしれない。
確かに一緒にいると楽しいけど、彼女が気を遣ってくれているのは明らかで、どこかぎこちなさが漂っていた。
何より、彼女は男子から人気があったし、彼氏もずっといた。僕とは釣り合うはずがなかった。
そうやって、彼女の方を見ないようにすることで、自分を保っていたのかもしれない。

どちらにせよ、僕と彼女は、先輩と後輩の関係のままお別れすることになった。

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「今日で会えるの最後ですよ」
7月のある週末、サークルの集まりにOBとして顔を出したとき、彼女がそんなことを言った。
9月から1年間留学に行くらしく、次に僕が顔を出す頃にはもうサークルには来ないらしい。
僕は、そっかー寂しくなるなーと、間抜けな返事をするしかない。
彼女が帰国するときには、僕は就職して東京に行っているはずだ。
ただのサークルの先輩後輩の関係ということは、きっと今後会うことはない。
いつもカラッとした彼女でもさすがに寂しそうに見えたのは、僕の気のせいだろうか。

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”ただの先輩と後輩”
その夜の僕は、やたらとこのフレーズを心の中で強調していた。
まるで自分に言い聞かせようとするかのように。
しかし、僕の心は、なぜかそれを受け付けない。
現実は間違いなく”ただの先輩と後輩”にすぎないのに、である。
心が熱く燃え上がるわけでも、胸が苦しくなるわけでもない。
ただ心がさざなみのように揺らめくのだ。
そして、そのさざなみを感じるのは、決まってこう自分に問うたときだった。
「本当にこのままでいいのか?」

この違和感の正体を確かめたくなった。確かめなくちゃいけない気がした。
彼女にLINEを送る。自分に戸惑いながら打った、たわいもない文章。
15分ほど経って、彼女から返信がくる。
「またご飯行きましょ〜笑」
……これはうやむやになって結局行かないやつだ。文末の「笑」で確信する。モテる女の子ってこういうの上手いよなー。
などと思いながら、親指を立てたキャラクターのスタンプをポンと返す。
あーあ、これじゃ心の違和感も分からずじまい、とがっかりしていたのだが、どうしたことか、
思ったより彼女が乗り気なのである。
気がつけば、2週間後にふたりで食事に行くことになっていた。

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2週間後、僕らは海鮮居酒屋にやって来た。
僕が何気なく魚が食べたいと言ってみたところ、彼女が目をキラッキラさせて「めっちゃ好きです!!!」と賛同してきたのだ。
選んだのは、少しリーズナブルで騒がしいぐらいの店。オシャレなお店にしなかったのも、”ただの先輩と後輩”だから。
お造りの5種盛りを、マグロしか分からんとか笑いながら、ふたりで分け合った。
メニューを見ながら美味しそ〜とはしゃぐ笑顔や、鯛のあら炊きを綺麗に食べる手つきを見て、今ではキレイとカワイイが7:3だな、などとうっとりしてしまう。

彼女はずっと笑顔だった。僕との時間が楽しいからだといいな。お刺身が美味しいからだとしたら、ちょっと悲しい。
彼女の笑顔を見るたびに、僕の心の中で例のさざなみが生まれる。

サークルの話、彼女の留学の話、僕の就職の話など、一通り話題は落ち着いた。
相変わらず僕の心は少しだけゆらめいている。
やっぱり僕は、この感情の正体を確かめなくちゃいけない。僕にとって彼女は何なのか。
自分の心の動きを丁寧に確かめながら、こう聞いてみた。
「まだあいつと付き合ってんの?」
この質問の答えを聞いて僕が何を思うか、それが彼女への思いを物語っている、そう考えて彼女からの返事を待った。

少し困ったような、照れたような顔で、彼女が頷く。

僕の心が、一番大きく揺れた。

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お酒は飲めないはずなのに、なぜかその日はいつもより余計に飲んでしまった。
ぼんやりする頭でふたり、帰り道を歩く。
そして、ついにふたりの家の分かれ道まで来た。
今の僕に君を呼び止めるなんてできるはずがない。心の中のさざなみを抑えながら、「留学頑張って」など別れのあいさつを交わす。
君が一本道をまっすぐ歩いて帰っていく。
どこまで見送るか迷いながら、最後に一回振り返ってくれないかな、なんてとことん女々しいことを考えている。
最後は、そんな願いさえ叶わないのがこわくなって、僕の方から振り返らずに歩き出してしまった。

家に帰ってシャワーを浴びていると、アルコールでふわついていた頭が少しずつ覚めてきた。
なんだか夢が終わっていくような感じがして寂しかった。
ここ数日抱いていた淡い期待は、シャワーと一緒にあっけなく流れてしまう。

バスルームから出ると、彼女からお礼のLINEが来ていた。
こちらこそありがとうと送ると、程なくして彼女からスタンプがひとつだけ返ってきた。

この瞬間、彼女との約束は完全に終わってしまった。
そして、明日から君との予定がないと気付いて、少しだけ世界を息苦しく感じるようになった。
ただ、次の約束を作ることはもうしないし、できないだろう。
だって、僕と彼女は、ただの先輩と後輩の関係なのだから。

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淡い思い出が、またひとつ増えた。初恋よりも、叶わなかった恋よりも、ただただ淡い思い出が。
結局、心のさざなみが何なのかは、最後までよく分からなかった。
けれど、この思い出のおかげで僕はは、少しだけ前に進めそうな気がする。
いい思い出とは言えないかもしれないし、大した出来事ではなかったはずなのに、不思議とおもりがとれたような、心に引っかかったものがとれたような、そんな感覚がある。
この思い出に悲しい影はなく、どこか温かさや優しさを感じる、薄い橙色に見える。

こうして淡く儚く始まった、一年前の夏だった。

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