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今年の終わりに

2019年が終わりますね。

今年は秋から冬にかけてのsolito〜独奏〜シリーズが一つの山場だったから、やはりギターと1対1で向き合う時間が多くて、その中で気づかされた事もたくさんありました。

元々solitoシリーズでは、「フラメンコギターの豊かさを伝えたい!」というテーマがありました。
でも、そう思いながらも実際にギターを弾いていると、フラメンコギターの豊かさって一体何なのか、僕自身のイメージもぼんやりしていることに気づかされた。
伝統の厚みが豊かさ?音色が多彩なこと?リズムが複雑なこと?曲のバリエーション?
と、いうよりもそもそも「豊かさ」って一体何だっけ・・?

生き方の価値観同様、フラメンコギターにも色々な意味の豊かさがあるから、結局人それぞれの答えがあるんでしょうね。

僕は今、フラメンコギターは、人生劇場のようなものだな、と感じています。
ギターという楽器を生き物に見立てるのと同じく、弾いている音そのものも生き物だと思う。でもそれは単独で生きているのではなく、一つの集合体として活動しているように思います。
ベース音、ゴルぺ、旋律、リズム、コード、それぞれが別の生命体のように生き生きと脈打って息づいている。それらが独立しつつ絡み合い、影響しあい、支え合って共存し、小さな社会、生態系のようなものを作り出している。一つの旋律が問いかけ、一方がそれに応え、皆が同調して声をあげたり囃したり、またはひっそりと聞き耳を立てたり。
フラメンコギターを弾くと、曲の進行の中で勝手にそんなやり取りが始まる。その時、僕は弾く人でもありながら一番側で聞いている人、そのドタバタ劇を見守る人でもある。

そうして放たれた音は、お客さんに受け止めてもらって、千差万別の解釈でまた違うものに生まれ変わる。そこから先は無限のバリエーションと循環が待っている。

・・・そんなことがsolitoツアーの中で僕なりに垣間見た、フラメンコギターの豊かさでした。

ドタバタ劇場が豊かなものになるか、そうでないかは結局のところ僕自身の人生が映し出されるのかな、と思います。

2019年は、僕にとって準備の年でした。
来年春から、次なるステージに向け新しい生活が始まります。

しばらくは落ち着かないだろうけど、それも含めたこれからの人生が、豊かな方向へ行くと良いなと思います。

そして、皆さんへさらに豊かなギターを届けられることを願います。

良いお年を!

そして来年もよろしくお願いします。

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