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経験して初めて知る本物のすごさ

プロ野球を見ていて、なんで打てないの!とか、なんでストライクが取れないの!とかやきもきするが、一度自分で野球をやってみるとその難しさがよくわかる。あれが、どれだけすごい技術であるか。

これは、どの分野にも当てはまる。絵画しかり、音楽しかり、お笑いしかり。

文章を作ることもまさにそうだ。拙いものを毎日書き続けてみているが、自分で書いてみると、作家さんのすごさが(たぶんわかると言ってほんの入り口だけだろうが)わかってくる。日記ですら。エッセイストなんて誰でもなれると思ったら大まちがいだ。


この歳になって、初めて夏目漱石を読んでいる。驚いた。ここから、ちゃんと読まなきゃと思っている。

若い頃に読んでおけばという気持ちは、実はさらさらない。若い頃には読む気が起きなかったし、その時はその判断だったし、いまの年齢で読むからこそ面白いと思えることが多いと思っている。

それにしても、すごい。どこかで似たようなものを読んだ気がしたとして、それはここからはじまっているのだ。これは明治に書かれた文章であり、それまで口語体のこんな文章はなかったのだ。夏目前と夏目後で違うのだ。音楽ならモーツァルトであり、ベートーベンであり、ビートルズなのだ。

こういうことを知っっているのと知らないのでは、いろいろなものの感じ方が全く違ってくるのではないか。やはり、古典は重要だ。思い知った。いままで読んでいなくて誠にごめんなさい。


ツイッターで面白いことを言っている人だって、一朝一夕に真似の出来るものではない。まして、軽い気持ちで絡んでいった相手の、その奥に横たわる知識と思考の量に気づいたときには、とにかく近くにある穴を見つけて頭だけでも隠したくなる。

頭隠してケツ?出てたって誰も気にしないよ。