ぼく嘘で小説の楽しさが増したかも
浅生鴨さんの新刊『#ぼくらは嘘でつながっている。』(以降『ぼく嘘』)を読んだのは、『三体』を後半まで読み進めていた頃だった。つまり『三体』を中断して読んだ。
よく『三体』を途中で置いておけたものだ。出来心だった。やむを得なかった。新刊イベントの配信が迫っていたのでそれまでに一度読んでおこうと思ったのだ。悪気はなかった。
『ぼく嘘』 を読み終えた後、すぐに『三体』に戻り、そのまま一気に『三体Ⅱ』上下まで読み終えた。
すごかった。『三体』は面白かった。すごく面白かった。さらにいえば『三体Ⅱ」がもっとすごかった。めちゃめちゃ面白かった。語彙が貧困なのはネタバレしないためだ、と言い訳させてほしい。
そして、『ぼく嘘』を途中に挟んだのは、正確だった。
『三体』の面白さを、さらに強く感じたと思う。気のせいではない。
『ぼく嘘』を読むことで、「嘘」や「フィクション」への視点がひろがり感度が高まったのだと思う。
それだけでなく、特に『三体Ⅱ』は、読みながら『ぼく嘘』の思想を基礎にして書かれたのではないかと錯覚した瞬間があった。
さすがに出版の時系列が逆なので、『ぼく嘘』が『三体Ⅱ』の解説本なのではないかと。そう思うほど繋がりを感じた。
もしかして、同じ著者なのではないか。それは違うか。
『ぼく嘘』は、情報との向き合い方、他者との関わり方、自我の曖昧さについて、深い思考を促してくれる。それだけでなく、フィクションやファンタジーを愛する著者の文芸論でもあり、その部分が私にはいちばんのホットゾーンである。
すべての読書好きが、『ぼく嘘』を一度読んでおいた方が良いのではないかとさえ、思った。
そう思うのは私だけかもしれないから、知らんけどね。