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『革命前夜』はたぶん私のために書かれた本だと思う

「今日、昭和が終わったのだそうだ」

この書き出しで、ぐっとひ惹きこまれた。

須賀しのぶ『革命前夜』。

描かれるのは1989年、ちょうど私が20歳になった年。著者は少し年下のようだが世代は近く、同時期の出来事をリアルタイムで知っている。

1989年1月は自粛ムードが重たく、笑ってはいけないような雰囲気すらあった。同年11月に起こったベルリンの壁崩壊は、まさかとの思いと、歴史的事件を(ニュースで)目撃したという興奮が入り交じった気持ちだった。『革命前夜』はその二つの期間、私も多感だったはずの平成元年の物語である。

さらに、そういった時代感覚だけでなく、作中で引用される音楽や風景が私の趣味や経験とかなり重複しており、やけになじみ深かった。この小説は私が読むのを待っていたかのように、私のために書かれたかのように錯覚した。無論、それは間違いなく錯覚だ。


主人公が憧れるリヒテルの『バッハ平均律全集』はツマが大事にしている。

主な舞台となるドレスデンには、世界的に有名な交響楽団、シュターツカペレ・ドレスデンがあり、作中でも語られている。

私はホルンのペーター・ダムが在籍した同楽団の音が好きで、ケンペ指揮『シュトラウス・オーケストラ曲全集』、サバリッシュ指揮『シューマン交響曲全集』が棚に並んでいる。よく見たら1989年2~5月ルカ教会で演奏されたCD(ブロムシュテッド指揮)も手元にあり、これはその当時の音なんだと思うと感慨深くなった。


そして、作中もう一つの舞台となるライプツィヒには、1度だけ訪れたことがある。ヨーロッパに行ったのはその1度きりなのに。もしかして、見られていたのか。

ライプツィヒでは、たまたま日曜の午前にフリーな時間が取れたので、トーマス教会でパイプオルガンと少年合唱団の歌声を聴き、不覚にも涙したのを思い出した。(1週間程度の滞在だったが、英語もドイツ語もわからなくて辛かった。)

トーマス協会の調べは作中でも描かれていて、なんだかキュンとした。おじさんのキュンは気持ち悪いと思うが、致し方ない。

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トーマス教会。

決して最初からバッハやメンデルスゾーンに興味があってライプツィヒを訪れたわけではなかったが、ああいう音楽が生まれたのはこういう土地や環境から生まれてきたのだなぁと、そこで漠然と思った記憶がある。決して三味線や琴ではない。パイプオルガンでありオーケストラなのだ。

ベルリンの壁崩壊はライプティヒのニコライ教会が起点だったと知ったのは、ライプツィヒを発つ直前で、一目見ておけば良かったと後から後悔した。駅の売店でその当時のことが書かれているらしき英語版のパンフを買ったがまだ読んでいない。


さて『革命前夜』である。

音楽を志す若者の挫折と成長、バブル期の日本に象徴される享楽な消費社会と戦争の跡が残る共産圏の対比、監視社会と自由、郷土愛など、深掘りすればそれだけで成り立つようなテーマが描かれる。450ページ超の長編だが、文章は平易で読みやすく、後半はミステリー仕立てというなんとも欲張りで贅沢なエンターテイメントで、一気に読み進められた。

深刻なテーマを暗くなりすぎずに娯楽小説に仕上げるのは作者の手腕であるし、もしかしたら時代の要請なのかもしれないなぁとも思いつつ、楽しく読んだ。かなり楽しく読んだ。非常に満足度の高い本でありました。


少しだけあらすじを。

主人公は、国内の音楽大学に進み数々の賞を勝ち取り、晴れて憧れのバッハゆかりの地にやってくる。その心の奥には、家庭環境や社会環境からの逃避の部分も少なからず持ちながら。

僕がこの国にやって来たのは、日本ではとうの昔に失われてしまったものが、きっと残っていると信じたからだ。

DDR(東ドイツ)が舞台だが、学友の留学生は北朝鮮、ベトナム、ハンガリーと、ほんの最近(当時)まで戦乱や抑圧のなかにあった国ばかりである。

アメリカの犬となるかわりに繁栄を手に入れた国から来た、甘っちょろい東洋人

自分の立ち位置を思い知らされながらも、専門とする音楽では学友達の必死さに刺激を受け、さらに監視社会と戦う人たちと間近に交流しながら、次第に精神的な強さを身につけていく。

僕がここで感銘を受けた音は、思えば皆、戦っている。
(中略)
人はいつか必ず、戦う。破壊せねばならない。その時を迎えたと、僕はおそらく知っていたのだ。戦わなければ、平穏は手に入らないのだから。

若さ故の悩みに立ち止まらず、自己を見つめ、戦うべきところに立ち向かう。そんな頃が私にもあった、気がする。いやいや、まだまだ遅くはないんじゃないか。


ただし、主人公はすごい才能をもったエリートで、モテる。その部分は共感できない。単純な嫉妬である。ああ、もしもピアノが弾けたなら。


「#読書の秋2020」課題図書になっていなければ、手に取っていなかったと思います。良き出会いをありがとうございました。

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