朝井リョウ著『正欲』で睡眠不足
朝井リョウ『正欲』が、すごかった。
昨夕閉店間際の書店で、冒頭の6ページをぱらぱらめくり、とんでもないぞと、ああコレは読まなきゃと思った(上記サイト「試し読み」で同じ箇所が読めるようです。知らなかった。)。お陰で心地よい睡眠不足である。
前半から、言葉が私の価値観をえぐって突き刺さる。自分を必死で守りながら読み進めていく緊張感があった。つい最近のトピックを取り込みながら、そこに漂う違和感を見事にあぶり出し、読者に突きつけてくる。すさまじい。
中盤から後半にかけて、登場人物達が関わり合い、生きる意味やひとつの真実に気づいていく展開に希望を感じる。しかし、結末は人によって感じ方が違うのではないだろうか。
この本については、あまり他人の感想を読みたくない。自分が感じたことを安易に他人の意見で修正せず、しばらく自分の中だけにとどめておきたい。そう思った。
朝井リョウ氏の作品を読むのはコレが初めてである。なんとなく青春もののイメージがあってなかなか手が伸びなかったが、こんなすごい作家さんだったのか。
さて、読み終えて表紙を見返すと、鴨である。
鴨は本編に一切登場しない。何を暗示しているのだろう。
著者の朝井さんが、この写真を選んだ理由は幾つもあるが、読者の考察にまかせる旨、インタビューで語っている。
なんだよ。そう言われると深読みしてみたくなる。
この鴨、よく見ると、左足に金具がついており、その先上方にまっすぐの線がうっすらある。
落ちているのではなく、吊されているのだ。「吊された鴨」だ。
ちょうど似たようなモチーフの絵画があった。
岩橋教章「鴨の静物」(三重県立美術館サイトへ)
吊された鴨の向きは異なるが、吊された脚と頭の位置のバランス、吊されていない方の脚の位置、羽の開き具合など、極めて類似している。岩橋の絵は、病室の見舞品として吊り下げられた鴨を描いたものとのこと。
本書の表紙も、鴨が吊された姿で間違いなさそうだ。
これはどう意味なのか。
「鴨」は、「鴨がネギをしょってやってきた」の言葉が示すとおり、社会的強者からみて欺しやすい人、搾取しやすい人をイメージさせる。鴨の側の見方では、虐げられる立場、弱者。少数派というのは広げすぎか。
また、「鴨の水掻き(かものみずかき)」という言葉がある。水上で気楽に生きているようにみえる鴨も、水中では必死で水を掻いている。人に言えない悩みを抱えて苦労している人々の暗示とも考えられる。
そして「吊された」姿勢は、タロットカードの「ハングドマン(吊されて人)」を連想させる。
タロットにはまったく詳しくないのでここはWikipediaに頼ってしまう。「吊された男」には、「修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協」などの意味があるとのこと。
鴨=弱者・本来の心の内を理解されない苦しみを抱えた人々が、吊されている=忍耐し抑制を受け妥協する。こんな意味だろうか。
いや、鴨は表紙のずいぶん上に配置されている。ただ吊るされているのではない。吊るし「上げ」られている。
この鴨は果たして生きているのだろうか。吊し上げ、晒されながら。「明日、死にたくない」と思っているだろうか。
物語を思い返しながら、この表紙を眺めて、イヤな汗をかいている。