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マスクしたい心理はどこからくるのか?

 最近、マスク着用を緩和を勧める政治家の発言やマスコミ報道が増えています。

 2年以上前からマスクは有害と言っている私たちからすれば、一見喜ばしい流れかのようですが、私はとても気持ち悪く感じています。

 最初から義務ではないのに緩和される筋合い無し

 第一に、日本においてはマスクは義務になったことはありません。同調圧力云々はあれど、法的には各自の自由でしてきたのですから、はじめから行政にマスク着用緩和などと言われる筋合いはありません。

 また「屋外マスク不要」などと言うことは、逆に屋内はマスク必要と言っているに等しい。むしろ余計なことでしょう。

 岸田総理は散々外国人と素顔で会談する様子を見せつけながら(国内でも)、「子どもは」マスクが大変重要とのたまう。

 もはやマスクは感染対策ではなく奴隷調教の一環であることを鮮明に示してくださっています。

 ところが日本人はそれでも「自分だけノーマスク」な総理を批判するばかりで、自分たちはマスクを外そうとはしません

 今、日本人の多くはマスクをしている方が快適であり、コロナなど関係なくマスクをしていたいのでしょう。

 今日は、そうしたマスクをしたい人々の気持ちに思いを馳せてみます。

「理解してから理解される」という原則に基づけば、マスクしない方がいいということを理解されるためには、まずマスクしたい人の気持ちを理解する必要がありますから。

 アジア人はマスクが好き

 実は、いまだにマスクをしているのは日本人だけではありません。お隣り韓国は5月2日まで罰金付きの屋内外マスク義務がありました。

 そして屋外のマスク義務が解除された後でも「ノーマスク不安症」などと言ってマスクを外せない人が多発しているそうです。

(日本人の「マスク顔パンツ化」に共感しているという話も)

 ちなみに、韓国の人口あたり感染者数はマスク義務化中に世界一を記録し、

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 屋外マスク義務化解除後1ヶ月で80%減少しました。

 これは韓国だけでなく、欧米諸国でも同様にマスク義務化を含む感染対策撤廃後に感染者は激減しました。

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 これを素直に考えれば、マスクはじめ感染対策は逆効果であったと気づくはずですが、日本ではまだそうなっていません。

 アメリカに移住したアジア人でもマスク率が高いことがわかっています。

 アメリカ各州のマスク義務化期間とアジア人比率には正の相関があります。アジア人比率が高いほどマスク義務化政策が支持されやすいと言えそうです。

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 欧米に移住したアジア人でもマスクを好むことから、アジア人がマスクを好むのは文化的要因より遺伝的要因が関わっているのではないかと推測されます。

 不安遺伝子

 遺伝的要因のうち、最もマスク嗜好に関係しそうなのは不安遺伝子とも呼ばれるセロトニンレセプターSS型です。セロトニンとは幸福ホルモンとも言われる安心をもたらす神経伝達物質です。SS型はセロトニンが減りやすいので、この遺伝子を持つ人は不安になりやすく、リスクを負った大胆な行動が取りにくくなります。日本人の80%以上がセロトニンレセプターSS型を持つと言われます。

 日本人でなくとも、アジア人の稲作民族では不安遺伝子を持つ比率が高くなります。

 稲作は多くの人が共同で行います。土地や水の分配から田植え・稲刈りまで、多くの作業は周囲と協力しなくてはやっていけません。自分だけサボったり、一攫千金を手にするようなことはできません。

 周りと対立し村八分にされることは稲作社会では死を意味します

 特に日本は、江戸時代以降、五人組・隣組などでお互いを監視し密告する制度がありました。さらに戦時中は治安維持法で体制に不都合な言動をする者は抹殺されました。

 周囲の多数派に反して大胆なことを言ったり行ったりする遺伝子は、とても残りづらかったことは想像に難くありません。

 だからこそ、日本人はセロトニンレセプターSS型が80%以上になったのでしょう。逆に、私たちのようにマスク・毒チンに物申す人が結構いることの方が驚くべきことなのです。(遺伝子的には2割弱はそうした人がいるわけで、それは非接種率に近いかもしれません。👇接種率:日本)

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 不安遺伝子と言うと聞こえは悪いですが、セロトニンレセプターSS型を持つ人は協調性があり、まじめです。

 日本人は同調さえできていれば高い精神安定性、我慢強さを発揮します。

 戦後ソ連によってシベリア抑留された日本人は、10人に1人が死ぬ過酷な境遇でも文句を言わず、玩具を作るなど遊びも忘れず、大地震にも負けぬナボイ劇場を建てました。ウズベク人はそんな人々を見て「日本人のようになれ」と子どもに教えたそうです

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 それは不安遺伝子ことセロトニンレセプターSS型のおかげもあるかもしれません。協力すること、周りに合わせることが有利な時、指導者が有能な時、日本人は大きな力を発揮します。それはオリンピック等でのチームプレイなどでも見られる日本人の特長です。

 マスクは群衆化ツール

 一方、その協調性故に、愚かな指導者や間違った作戦にも日本人は従ってしまいがちです。インパール作戦や沖縄の集団自決でも「いやそれはないでしょう!」と言い出せる人はいません。(いても殺されたでしょう)

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 本当はやりたくない、よくないとわかっていること、例えば、いじめや不正のようなことにも、不安遺伝子の持つ同調性ゆえにNOと言えないことがよくあります。

 不安な時、恥ずかしい時、日本人は顔を隠します。「合わせる顔がない」「顔向けができない」「どの面下げて」「面目ない」と感じます。

 顔と名前は、個人を特定するために必要な情報です。特に顔は、会った人に一瞬でその人を特定される情報です。顔を隠すということは、個人であることをやめることを意味します

 個人をやめるということは、群衆化することです。顔を隠すことは「自分は主体的な意志を持った一人の人間ではなく、群れの一部ですよ」という意味があります。

 英語でsheepは複数形がなく、羊もしくは主体性のない人を意味します。何匹いても一つの群れなのです。

 群衆化すると、個人として攻撃されにくくなります。どんなに悪いことをしても自分の責任ではないように思えます。また大きな群れにいるほど攻撃を受けにくくなり、戦いになれば有利です。

 ですから、不安になればなるほど群衆化して大きな群れに溶け込みたくなるのは、セロトニンレセプターSS型の習性としてとても理に適ったことと言えます。

 マスクは群衆化するためのツール、そして今の社会に感じている不安を表しているのかもしれません。

西洋人の場合

 一方、西洋は日本よりはるかに戦争の多い不安定な社会でした。真面目にコツコツ働いても戦争や圧政で全てを奪われてしまいやすく、逆に何か特別な手柄を立て、ビジネスで成功し、個人としての自分を売らねば市民として認められない社会でした。 

 民主主義のルーツと言われる古代ギリシャや共和制ローマでも、市民は1割に過ぎず9割は奴隷だったのです。

 そうした欧米ではコツコツ型の不安遺伝子を持つ比率が低く、一か八かの行動に出て名を上げられる遺伝子が多く残りやすかったのでしょう。

 特に大海原を渡って新大陸へ行こうと思った人々に不安遺伝子は少ないでしょう。(👇ブースター接種率:日本、ヨーロッパ、アメリカ)

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 目立つと損する減点評価の社会ではマスクは得(犯罪者とか)、手柄を上げることが重要な得点評価の社会ではマスクは損なのです。

 そしてマスクは奴隷の「口かせ」でした。

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 そうした歴史から、西洋ではマスクへの嫌悪がより強いと考えられます。一方で個人の主張をあまりよしとせず、歴史的に奴隷制や人身売買を禁じてきた日本では、マスクへの抵抗が少ないのでしょう。

 同じ西洋でも北へ行くほどマスク着用率が下がることも興味深い現象です。気温が低く乾燥した気候の方がマスクしやすいように思われますが、実際は逆なのです。高緯度と乾燥気候でマスク率が低い傾向が窺われます

👇世界のマスク着用率(2020年4月26日)

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👇ヨーロッパのマスク着用率。緑:いつも着用。青:着用しない

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マスクは楽

 マスクをしていると、個人が特定されにくい、それだけでも日本人の多くはとても気楽に感じるでしょう。また顔の下半分を見られないと、それだけ髭剃りや化粧をサボれます。口元の表情がだらしなくてもかまいません。

 結果、素顔での生活に比べて、マスクをつけて生活した場合の脳の作業負荷は減ると考えられます。もちろん、呼吸が妨げられて吸い込める酸素が減って二酸化炭素が溜まって熱がこもっています。私たちのエネルギーは酸素で糖や脂質を燃焼することで得ていますから、マスクをしての生活は脳や体としてはエネルギーが不足しがちになります。

 それでもマスク着用によって作業量を落とすことでよく言えば省エネ生活ができるのです。それだけ脳も体も鈍っていき、パフォーマンスは落ちているのですが、マスクしている本人は気づきません

マスク美人になれる

 マスクをしていると、素顔の時より美女と思われる女性、美男と思われる男性は少なくありません。人は無意識に理想的な顔の下半分をイメージしてしまうからです。(そんな自分はなんてポジティブなんだと思います)

 世の中、大半の人は美人でも美男でもないので、そうした勘違いをしてもらえるのは、マスク社会でなければ訪れることのなかった機会です。

 元々、不安で個人を特定されたくないのですし、深く知り合うつもりなどさらさらないのですから、すれ違った一時、美人と勘違いしてもらえればそれでいいのです。

マスクは人口抑制策

 マスクをしていると美人と勘違いされることは増えますが、個人が特定されにくいので恋愛には発展しづらくなります。結果、人口が増えにくくなります。

 イスラム教では女性は髪を隠さねばならず、ブルカやニカブという目だけを出して顔を隠す宗派もあります。

 イスラム教はじめ一神教は砂漠で成立した宗教であり、その教義は人口抑制につながっていると言われます。イスラム教の分布は砂漠気候と一致しており、食料の少ない地域では人口を抑えることが合理的であったため、その教義が受け入れられたと考えられるのです。

 2021年、日本の人口は62万人減りました。出生数は6年連続で過去最小の81万人となり前年より2万9千人減りました。

 日本の出生率は1.34、マスク義務化の韓国は0.84でした。

 日本は実際には少子高齢化・人口減少が著しいにもかかわらず、環境問題などを気にして人口爆発が問題だと思っている人が少なくありません。そうした人は、砂漠気候の人々がイスラム教の教義を受け入れたように、人口を減らす政策を受け入れやすいのかもしれません。(日本は豊かなのに、砂漠のように感じているのかな)

偽りの社会が続いてほしい

 現実には日本の人口も経済も急速に縮小しているにもかかわらず、コロ騒動は多くの人に目先の利益をもたらしました。働かなくてもお金をもらえたり、会社や学校に行かなくてよかったり。

 そのお金は誰のお金なのか?77兆円はどこから来たのか?(16兆円はどこへ行ったのかもわからないそうですが)

 よくわからないけど、とりあえず目先のお金が増えたからいいんじゃね?

 税金?将来のつけ?よくわかんな〜い。マスクしてると難しいこと考えるのめんどくさくなるし。

 マスクはコロ騒動の象徴でもあり、無責任の象徴でもあります。

 もしマスクを外す人が増えたら、このいくらごまかしても騙してもいい楽チンな仮面舞踏会が終わってしまう、それを内心恐れている人は少なくないのかもしれません。

意志決定をしているのは意識ではない

 さて、マスクをしたい様々な理由を考えてみましたが、重要なことは、これらの理由を本人が意識的に考えてマスクをしているわけではないということです。誰も地球人口を削減しようと思ってマスクをつけてはいないのです。

 意識はもちろん「コロが怖いから」とか「周りの人に感染させないため」とか、もっともらしい理由でマスクをしていると思っています。(そして岸田総理同様に矛盾が出ます)

 それでも、人口削減が必要な砂漠気候でイスラム教が普及したように、その環境・状況において有利なことが多くの人々に無意識的に選択されるのです。イスラム教徒の中で、砂漠だから人口を抑制しなくてはならないと意識して戒律を守っている人はおそらくいないでしょう。

 私たちは多くの場面で自分で意識的に意志決定をしているつもりになっていますが、実は意志決定は遺伝子や潜在意識によって行われ、意識はそれに理由を後付けしているだけの場合が多いのです。

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 ですから、マスクを外すべきという合理的な説明は、潜在意識が決めた意志決定を変えることはあまりないのです。(それでも潜在意識を動かすために言い続けているのですが)

マスクを外せるのはいつ?

 これだけマスクにメリットがあるとなると、マスクを外すのを望まない群衆がいるのも、無理からぬことかもしれません。  

 ただ、マスクをしてエネルギーと作業量を減らして楽になった脳と体が鈍っていくように、働かなくて楽になった社会も日に日に衰えていくでしょう。

 ずっと補助金を出し続けられるわけでもありません。

 このままではじき立ち行かなくなることは目に見えています。

 ではいつになったらマスクを外せるようになるのか?

 それには、

群衆化の解除

 が必要です。

 群衆には恋愛も子育てもできません。

 たとえ日本人でもムスリムでも、家族にはマスクを外して顔を見せます

 本当にマスクが感染対策なら、一番大切な家族の前でこそマスクをするはずですが、保健当局が性交渉中にマスクをしろと言っても、従う人は稀でしょう。(知らんけど)

 恋愛や子育てをするには、一時的にでも群衆をやめ人にもどることが必要なのです。

 すると群衆化とは、人口減少期に起こるヒトの行動変異と言えるかもしれません。レミングやイナゴが死の大行進をするように、ヒトは群衆化して戦争や内乱を起こしたり、一神教や感染対策のような教義に従うことで人口を抑制していると考えられるのです。

 それなら、人がマスクを外せるようになるのは、おそらく、安心して人口を増やせるようになった時かもしれません。

 そのためには2つの方法があります。

①不安の解消と社会への信頼の回復

 社会への信頼が回復され不安が解消されれば、人々は群衆化を解いて人としての生活を再開すると考えられます。

 戦後にベビーブームが起こり、高度成長期に第二次ベビーブームが起こったように。敗戦し占領されても、まだ生活自体は楽ではなくとも、日本人は夢を持ち、たくさんの子供をつくれたのです。

 当時は年間60万人もの結核患者がいましたが(2年間のコロPCR陽性者の10倍)、誰もマスクをしようなどとは言いませんでした。(一方、100年前のスペイン風邪ではマスクしろという話が出ました。当時、奇しくも日本はアメリカと一緒にシベリア出兵していました。)

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 あるいは田畑を捨てる農民が相次いでいた米沢藩が上杉鷹山の指導によって蘇ったように、時代に希望が持てる時、人々は顔を上げて行動するのです。

 この第3次世界大戦が終わり、人口減少を望むボスザルたちが去り、地球温暖化など問題ではないことがわかったら、きっとまた熱い『太陽の季節』が訪れることでしょう。(その時まだ人類にその生命力があれば)

②人口の十分な減少

 もう一つは、群衆化の目的が達成され、人口が十分に下がった時です。

 短期的には熱中症、長期的には肺真菌症や癌などでマスクをする人は淘汰されていくでしょう。

 さらに偽りのマスク社会が続けば、毒チンを打ち続けるなり、経済的に破綻するなり、軍事的に占領されるなりして、人口激減を余儀なくされるでしょう。

 そうなっては、今度は日本という社会を維持できず、他の民族にとって替わられてしまうかもしれません。

 先に触れたように、日本は世界でも最も速いスピードで人口減少しています。高齢化が著しいということは、人口減少が早いということでもあります。

 ただ早く人口減少が済めば、それだけ早く人口増加できる局面に移れるとも言えます。

 そのように考えていくと、このコロ騒動も毒チンも、戦争も、それらを起こして人口減少を狙うボスザルの出現も、日本人がマスクを外さないのも、レミングやイナゴが死の大行進をするのと同じ、本能的行動、自然の摂理、本人の意識をはるかに超えた種や生態系全体としての意志、武田邦彦先生の言う絡合によることのようにも思われます。

 環境に対して人口が過剰になったと潜在意識が感じる時、ヒトは群衆化し、全体主義の下レミングのように死の大行進を始めるのかもしれません。

 レミングやイナゴの中に陰謀を企てるリーダー的個体がいるかどうかはわかりませんが、仮にいたとしても行進している間に先頭の個体は倒れ、追い越され、あるいは踏み潰され、先頭交代を繰り返すでしょう。ヒトのリーダーというのも同じようなものかもしれません。

 そうすると日本人がマスクを外せるようになるにはまだまだ時間がかかることを覚悟しなくてはならないでしょう。

 マスクはマスクだけの問題でないのです。

 どれだけ早くマスクをはずせるかは、どれだけ人々の潜在意識に安心と希望を与えられるか、そういう社会を築けるか、ということになるでしょうか。

 焦らず、諦めず、希望を持って生き抜きましょう。  


 

 



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