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盲目なのは恋も育児も一緒なのかもしれない


今でこそ二人の子どもを可愛いと思えるようになったが、
一人目の息子を育てているときは、毎日が辛くてしょうがなかった。

SNSを見て、子どもが可愛いくて幸せと投稿している友人の投稿を見ては
ホントかよ、と心の中で疑ってしまっていた。
なんで私ばっかりしんどい思いをしないといけないんだろう、
なんでこんなに辛いんだろう、と
何が辛いかもわからないまま、息子を可愛いと思える余裕もなく、
ただ、毎日を我慢して過ごすだけの日々を送っていたように記憶している。

旦那さんはむしろ、家事育児を手伝おうと頑張ってくれる人で、
積極的な優しい声かけや、時間をやりくりして
私にランニングの時間を作ってくれたりしていた。
近くに住む義母もとても優しく
ともすれば実母よりも私を甘やかしてくれるような人で、
その当時から、体調を崩した時など
助けを求めれば仕事を休んでまでヘルプに来てくれている。
こんな、羨まれるような状況があったにも関わらず、
私はどうしても育児を楽しいと思えなかった。


私の苦しさをわかってくれる人は誰もいなかった。
何を読んでも、何を話しても、
どんな声をかけてもらっても一人ぼっちだった。
そんなこんなしてるうちに、息子が一番可愛い時期は足早に過ぎていった。


今、当時を思い返すと、
辛い・苦しい・息子に申し訳ない状況にばかり目を向けてたな〜、と思う。
夜泣きで、22時に寝て6時半に起きるまでに、5~6回夜間授乳をしていて
睡眠が圧倒的に足りない、という状況もあったが、
ずっと私の頭の中では、寝れていない、自分時間がない、つまらない、
息子に申し訳ない等々のネガティブワードがリフレインしていた。
そして、ちゃんと育児しなきゃ、とか、息子にちゃんと向き合わなきゃ、
という優等生に固執する私の性格が、
完璧にできていない私はダメな母親だという状況を
より凝視する手助けをしていた。


幸せな瞬間だってたくさんあったはず。
だって今、当時の息子の写真をみると、可愛くて愛おしい感情が溢れて止まらない。
そんな息子と過ごす日々に、辛いことばかりなはずはない。


渦中に入ると没入し、盲目になって周りが見えなくなり、
なかなか抜け出せなくなるのは私の癖だ。
ノーパンで(※ズボンは履いてる)宅急便の荷物を受け取らせ、
恥ずかしがる姿を見て興奮していた元彼のことを
私じゃなきゃダメなんだ!彼じゃなきゃダメなんだ!と思い込んでいた
あの頃の私も、渦中にいたな、と思う。
(ちなみにノーパンであろうが見えてないことには変わりないじゃん、と
 全く恥ずかしくなかった私も私)


渦中を過ごしきると、急に世界が広がる。
小さな息子と過ごしたあの時間があったからこそ、私は今、
大きく成長した息子と、生まれてきた娘とかけがえのない愛おしい時間を過ごせているし、
元彼の存在があったからこそ、今、最高のパートナーで親友だと思える
旦那さんに出会えた。


欲を言うなれば、
渦中に入ってももう少し早めの段階で気づくか、
渦中に入らず、常に広い視野を持ち聡明でありたいと思うけど、
収束と弛緩はセットな気もする。
もし渦中で辛い、みたいな状況がまたきた時は、
せめて、周りの人に頼れる私になって、持ち上げてもらえるといいな、と
思う今日。

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