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黒歴史を隠す日本。MINAMATAの問題点と意義【くりりゅうの哲学ノート】

在野の哲学者・文筆業 栗田 隆子

 10月14日現在、私の住んでいる関東近県では、ジョニー・デップによるプロデュースおよび主演作『MINAMATA─ミナマタ』(以下『MINAMATA』と表記)が上映されている。
 上映当初より非常に賛否両論というか、私のツイッター上ではむしろ「否」の方が多い印象であった。たとえば、撮影地そのものが水俣ではなくモンテネグロであることや、石牟礼道子など水俣病の運動に尽力した多くの人が出ていないこと。チッソの中でも敵ばかりではなかったこと(「恥宣言」を出したチッソ労働運動など)。また、川本輝夫さんがモデルとなっている「ミツオ」を演じた真田広之が、主演のみならず看板を描くなどの手伝いで負担が大きかったこと。さらに、経済的にも精神的にも破綻したユージン・スミスが水俣に来てヒーローになったような話なんて…等々突っ込まれていることを確認した。
 いわゆるリアルな水俣病患者運動や、チッソを含む水俣の歴史、さらに現在の水俣病問題の進捗状況などを確認したいならば、石牟礼道子の『苦界浄土』三部作以外にも、例えば土本典昭の一連の水俣に関するドキュメンタリーなどを見る方がよい。確かに映画『MINAMATA』は水俣病の問題の重要な事柄を取りこぼしている、という指摘は間違ってはいない。
 とはいえ、「ぼそぼそ声のフェミニズム」を書いた私がいうのもなんだが、取りこぼしが多いこの映画は、「それならば全く上映されない方が良かったのか」というと、決してそんなことはない。上映されて本当によかったと思う。
 そもそも日本で起きた歴史的に重要な事件が、日本社会ではなかなか映画として上映されない傾向がある。
 東アジア反日武装戦線は、韓国人のキムミレ監督がドキュメンタリー映画『狼をさがして』をつくった。アナキストの活動家であった『金子文子と朴烈』(原題は『朴烈』)は、韓国で映画化された。そしてこの映画『MINAMATA』は、アメリカ制作だ。さらに韓国では、光州事件が『タクシー運転手 約束は海を越えて』で、18年に映画化された。
 しかし日本では、日本の歴史において重要な事件がなかなか映画にならない。この現実についても、もっと考えるべきだ。映画『MINAMATA』は公式サイトで確認する限り、水俣でのプレミア上映会では、長年水俣病について運動を続けてきた団体も後援している。少なくとも「チッソがおこなったことを知らない」「忘れてしまった」「もう済んだ出来事」と考える人々に対しては、大きく働きかける映画ではあるはずだ。
 私は見たばかりだが、この映画はユージン・スミス/ジョニー・デップが水俣と出会った話として見ると大変興味深い。戦争写真を撮り続けてPTSDによってアルコール依存症者となり、家族関係も破綻してボロボロになった白人男性写真家が、アイリーンとの出会いを契機に水俣にやってくる物語。
 しかもユージン・スミスは、水俣に出会ったからといって「注目」はされても、「元気」になったわけではない。ユージン・スミスは抗議行動の際に警察からの暴力を受け、健康問題や精神状況は悪化していく。そして「白人男性」だったからこそ、取りこぼされる視点があることも、逆説的に示す映画でもある。その取りこぼされたものを「批判」として語るのも悪くないが、そこからさらに水俣を伝えたいという思いのもとに、知り合いを映画に誘ったり、映画の感想を話し合ったり、勉強会をしたり、さらに他の本や映画を見にいく、という形で伝えていってもいいのではないか。
 ちなみに「ジョニー・デップがプロデュースしたのだな」と思ったのは、後日譚が流れるテロップでユージン・スミスがアイリーンと離婚したことは省かれたところだ。2度目の結婚相手との名誉毀損裁判に敗れたデップにとっては、この部分こそ取りこぼしたかったのかも、と俗っぽいことを思った。

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