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【暮らし奪われた人々の怒り】傍聴報告・原発賠償関西訴訟本人尋問

編集部 かわすみかずみ

 2月29日、原発賠償関西訴訟の第45回口頭弁論が大阪地裁で行われた。午前9時15分からの入廷行動で、森松明希子代表は「提訴から10年。皆さんのおかげでここまで頑張れました。今日もよろしくおねがいします」とあいさつした。
 傍聴者は40人前後で、ノーモアミナマタ近畿訴訟の原告や原発賠償ひょうご訴訟、同京都訴訟からも応援に駆けつけた。この日は午前、午後で2人ずつの原告が証言台に立ち、健康被害や支援の不備などを訴えた。

原発賠償関西訴… 2011年の福島第一原発爆発事故で、被災地域や影響を受けた地域から近畿地方に自主避難した人々が、13年に起こした集団訴訟。原告は243人。国や東京電力に対し、避難者に対して国が恒久的な支援を行うことや、損害を受けた個人へ賠償金各1千5百万円を支払うよう訴えている。

流れた黒い涙

 最初に証言した女性は、福島市から2人の子どもと関西に避難した。被災当時、電気が復旧した自宅でテレビをつけると、原発事故が報道されていた。「子どもたちは既に被ばくしているかもしれない」と思い、避難を考えるが、義父母には「心配し過ぎだ」と理解されず、食卓には今まで通り家庭菜園の野菜がならんだ。
 避難する車中で、子どもは大泣きした。その涙が黒いのを見て、女性は原爆投下直後の広島の「黒い雨」を思い出した、と女性は声をつまらせながら語った。
 子どもが通っていた福島の学校は、転校していった子どもが多く、夏休み明けに異例のクラス編成があり、4クラスから3クラスになった。
 子どもたちは避難後に関西の学校に転校したが、下の子は福島弁をからかわれ、その後は学校で喋れなくなった。
 東電の弁護人は反対尋問の中で、スポーツ施設のプールを女性に示した。 子どもが通っていた福島の学校では、震災後は校内の屋外プールを使わず、他施設のプールを使って水泳指導をしていた。東電弁護人は施設の屋外プールで指導した証拠としてそれを示したが、女性は「屋外プールを使用したことはない」と否定。「他施設のプールは屋内だった」と主張した。

「嫁」という鎖

 2人目の証言者は、東日本から関西に母子避難した女性だった。
 東北地方は、3世代同居や近住が多く、家父長制が強い地域で、婚家で「嫁」が最も弱い立場になる。「子どもを守るための避難行動が、親族からも誹謗中傷を浴びている」と説明した。
 また、国が帰還政策に限定したことで、被災者は「帰還するまでの避難者」として見られ、宙に浮いてしまった、という。原発避難者は社会から「変わったことをする人」と思われ、「いつか戻る人」として認識されてしまったと証言した。裁判所に対しては、「京都で参加した説明会では、復興庁職員が避難者らに『いつになったら戻っていただけるのか!』と言っていた、と訴えた。
 原発立地地域では広域避難計画を立て、県外避難訓練が実施されているが、避難後の生活支援は計画されていない。
 現在、福島県避難者の相談窓口は設置されているが、支援組織は避難者の名簿を渡されず、支援者と避難者は出会うことができない。証言者は「避難者は置き去りにされている」と涙した。
 裁判の休憩時間に、副代表の佐藤勝十士さんにお話を聞いた。「今回の尋問の原告らも大変な思いをされていますが、もっとひどい例はいくらもあります。避難を口にした『嫁』が家族の前で土下座させられた、という話も聞いています」と語った。「メディアも忖度して、事実を伝えない。学者は金を握らされ、『原発は安全だ』と吹聴する。でも、私たちは、少しでもそれをひっくり返していかないといけないんです」と怒りを訴えた。

次々起きる子どもの異変

 千葉県から兵庫県に避難した男性は、被災当時、妻と幼い2人の子どもと暮らしていた。
 仕事中にニュースで原発事故を知り、自分で放射能について調べ始めた。ある日、近くの公園の放射能が(男性が住む地域の市役所が示した基準値を超える)0・44マイクロシーベルトだ、と報道されていた。その場所は長女が遠足で行った場所だった。
 長女は夏になると、下校後にしんどいと倒れ込むようになり、鼻血が止まらなくなった。枕に抜け毛が付き、高熱や咳が止まらなくなった。病院でも「理由がわからない」と言われたり、「風邪だ」と言われたりで、はっきりしない状態が続いた。
 学校に対して、「校庭の土を入れ換えてほしい」と言っても相手にされず、モンスターペアレントと思われる。避難せざるを得ない状況を理解してくれる人は少なかった。
 先に子どもと妻を兵庫県内に避難させ、家を売り、仕事をやめる手続きに奔走する。子どもは父親と離れることを嫌がり、泣き叫んだ。男性は、隠れて泣いたという。

みんなが応援してくれる場所

 終了後の報告集会で、白倉典武弁護士は、「東電側は『放射能の影響だと診断を受けましたか?』と聞くが、そもそも放射能の影響だ、と診断できる医者がいないんです。放射能による健康被害について因果関係が明らかにならないこと自体が問題で、被害者を生涯にわたって苦しめることになる。そういうことも裁判所にわかってもらいたい」と発言した。
 前述の証言者の男性は、支援者の前で「大変緊張しました。あっという間に時間が過ぎました」と語った。
 支援者から「国や東電の質問をどう思いましたか?」と聞かれると、「時間稼ぎをしているようにしか見えませんでした」と答えた。支援者からは賛同の声が上がり、喝采が起きた。
 「ノーモアミナマタ近畿訴訟」の原告らは、「私たちの裁判は、傍聴者が少なくて困っていました。でも、関西訴訟の方たちがいつも傍聴に来てくれました。本当に励まされました。だから、こうやって応援にきています」とアピールした(同訴訟は昨年9月に地裁判決を迎えた。熊本地裁は、128人の原告全員を水俣病の患者と認定。損害賠償金と遅延損害金を勝ち取った。その後、被告の国、熊本県、チッソは控訴し、現在も係争中)。
 俳優の斎藤とも子さんは、森松代表のドキュメンタリーに参加したことをきっかけに、半年前から原発問題に取り組み始めた。この日も全日傍聴した。集会では、「避難者が取り残されるなんて普通におかしいと思います」と静かに語った。各地での講演の合間に傍聴に来てくれたのだという。
 「京都・兵庫の訴訟は、今後は大阪高裁での審議が始まります。大阪に近畿の訴訟が結集するんです。まさに『大阪夏の陣』です。みんなの力を結集して闘いましょう!」と森松代表はまとめた。

応援に駆け付けたノーモア水俣関西訴訟の原告の方々

(人民新聞 2024年3月20日号掲載)

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