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14年間の教員生活のふりかえり その⑪

今度こそエンカレッジスクールでの話です。

公立高校での2校目は「エンカレッジスクール」だった。エンカレッジスクールというのは東京都独自の取り組みでいくつかの特別な学校があるのだけれど、そのうちの一つ。エンカレッジとよく似た仕組みで「チャレンジスクール」というのもあるのだけれど、チャレンジスクールは主に中学校時代は不登校だった生徒が集まる学校。エンカレッジスクールは簡単に言ってしまうと毎日学校に通っていたにも関わらず勉強が苦手だった子たちが「学び直し」のために通う学校。(「学び直し」を唱っているため生徒たちは「エンカレッジ」というのは英語で「学び直し」という意味だと割と思っていた。実際には英語では「励ます」という意味。)生徒の中学校の成績は平均するとオール2ぐらいの子たちが集まっている。

東京都教育委員会によると「これまで力を発揮できなかった生徒のやる
気を育て、社会生活を送る上で必要な基礎的・基本的学力を身に付けることを目的」として設立された(東京都教育委員会「都立高校改革推進計画 新たな実施計画 -日本の未来を担う人間の育成に向けて-(平成 14 年 10 月)」)都立高校で一時期入学したにも関わらず途中で退学してしまう生徒の数が非常に多いことが問題になった。そういった子たちは中学時に基礎的な学力が身についておらず、高校に入ってもついていけずに退学してその後定職に就くのも難しいということが社会問題になっていた。そこで東京都が作った学校がエンカレッジスクールだった。

私が働いていたエンカレッジスクールの特徴としては次のようなものがある。①生徒の集中力が長く続かないため30分授業を取り入れている。(私が働いていた学校は最初の3コマが30分授業で、4時間目以降は50分授業だった。)②午後には座学よりも体験的な授業が多く取り入れられている③1年生の時は二人担任制④1クラスの人数が35人弱で、国語・数学・英語はさらに2クラス3展開に分かれる。⑤学び直しのための朝学習の時間があり、小学生の最初の算数や国語からドリル問題をもう一度やる

一番最初にエンカレッジスクールができた時には生徒にプレッシャーを与えないために定期テストもなかったそう。でも、一番最初に設立された学校のうちの一つで働いていた先生の話によると定期テストがないと生徒の勉強へのモチベーションを保つことが非常に難しかったということだった。新しい学校の設立過程は本当に色んなことが試行錯誤で本当に大変だったという話を聞かせてくれた。

私は異動が決まった後の2月に面接のためにその学校に行くことになった。おそらく学年に入ることになるだろうと言われた。1年生は二人担任制なので、6クラス12人の担任が必要なのでそのうちの1人になるという。校長面接の後、新1学年の主任の先生に会わせてくれた。

その先生に「結構勉強が嫌いな子たちが多いんですかね?」と聞いたら「多い…っていうか全員ですね。勉強が好きな子なんてこの学校には一人もいません。」と言われる。おお…全員か。全員が勉強嫌いな中で教えるのね。どんな感じになるのかな。その先生はさらに言った

「でも、本当は誰よりも勉強が分かるようになりたいと思っている子たちなんです。どうか、先生の力で勉強の面白さを教えてあげてください。」

その言葉はすごく胸に響いた。そうか、これまでの経験で勉強が嫌いになっていたとしてもそれは「分かりたい」って気持ちがない訳じゃない。勉強が分かりたいのに分からないから嫌いになってしまったんだなぁ。そういう子が勉強を好きになるように工夫してみるのもやりがいがあるかもしれない。よし、頑張ろう、と思った。

「エンカレッジスクールのエンカレッジ(励まし)は先生たちのための言葉ですよ。生徒は色々と抱えた子たちが多くて先生たちは大変だからお互いに励まして、それで生徒に『がんばれ!がんばれ!』って言い続けるんですよ。」とさらにその先生に言われた。

3月の新入生招集日に私も行った。教科書販売があるのだけれど、上手く買えない子たちも結構いる。壁に向かってぶつぶつ話している子もいる。私は大丈夫かな~と思いながら4月を迎えた。

2人担任制だから朝は2人で職員室から教室に向かうところから始まる。2人で面倒を見られるってことは一人が前で話している時にもう一人がフォローできたりして良い面もあるけれど、自分一人で決めてやることができないという不便さもある。(先生たちの中には「2人担任制は絶対嫌だ」という人もにいる。)相手が生徒に言っていることに対して「その言い方はどうなのかなぁ」と思ったりすることもあるし、仕事の分担についても割り振った仕事を期限までに相手がやっていないと気になったりする。2人担任で助かる面もあるけれど、一人でやる方が自分がやりたいようにできるから楽だなとう面も結構ある。まあ、思い通りにいかないことこそが人生だ、という側面もあるから2人でも悪くはないですね。

生徒たちは色んな課題を抱えた子たちもいて、親から虐待を受けて児童養護施設にいる子もいたし、お母さんが蒸発してお父さんが亡くなって、親戚の家に預けられているという子もいた。入学式の日に制服がないという子もいて学校にあった制服を貸したのだけれど、その子に聞いたらお父さんがお金を払ってくれなかったという。家庭的には厳しい環境にいる子がけっこう多かった。

「階層の再生産」ということをすごく考えてしまった。大学生の特に社会学の授業で「経済的に余裕のある家庭に生まれた子たちは親から大事にされて教育を受けて良い大学に行って良い会社に入ることが多いのに対して、経済的に厳しい子たちは教育を受けられず大人になっても低賃金労働の仕事にしかつけないことが多い。それを階層の再生産という」と習った。

「家庭的に厳しい家に生まれてもその子にやる気があれば大学に行けるのではないか」と思うかもしれない。お金がなくて塾にいけない、ということもあるけれど親がそもそも勉強をさせることに価値を置いていなかったり、家庭的な問題が大変で子どもは勉強しているどころじゃなかったりすることもある。そもそも「勉強したい」と思うことができる環境に子どもがそもそもいないという問題もある。親が子どもに関心を持っていないんじゃないかな、という面もあって、子どもが何か問題を起こして家に電話しても「もう高校生だから自分でなんとかさせたらいいので、そんなことで電話してこないでください。こっちも忙しいんだ。」と隣のクラスの先生が言われていた。保護者会に行くと保護者は3・4人しかいない。前の学校では25人ぐらいは来てた。次に行った学校ではほぼ全員毎回来ていた。(中高一貫でもほぼ全員来ると聞いた。)それはもしかしたら、保護者が経済的に忙しいから休みを取ることができずに保護者会に出席できない、ということもあるのかもしれない。子どもをすごく可愛がっている保護者ももちろんいた。でも、保護者から十分に関心を向けられたり大事にされていないんじゃないかなぁと思うこともあった。

進路の先生から3年生の指定校推薦が決まった生徒が入学金が払えずに取り消しになったというい話を聞いた。しかも、その子が入学金のためにアルバイトで一生懸命これまで貯金してきたお金を、親が使ってしまったのだという。その話を聞いて非常に切ない気持ちになった。その子の親も、その親から大切にされないで育ってきたのかもしれない。でも、それってあんまりな話だなぁ。

日本ではどんどん格差が広がっている。格差を表わすジニ係数(0が格差がない状態に対して1が格差が非常に大きい状態)だと「1999年は0.472であった当初所得のジニ係数は、2017年には0.5594にまで上昇。格差は着実に拡大中」だ。2016年のデータによると、日本のジニ係数0.339に対し、先進国の平均は0.297、新興国の平均は0.462であった。日本の所得格差は、「ほとんどの先進国よりも大きい」というのが現状である。

コロナウィルスの感染拡大により格差はますます広がっている。非正規雇用の人々には保証もなく簡単にクビを切られることになり、働く先を見つけるのが困難になっている。この前「こころの時代」で生活困窮者支援をしているつくろい東京ファンドの稲葉さんと小林さんが出ていたけれどその時にこの1年は本当に忙しくて休む暇もないし、特に女性の貧困者が増えているという話をしていた。私にはそれがあの時エンカレッジスクールで出会った生徒たちの将来(もしくは今)の姿のように思えて、切ない気持ちになった。

生徒に貧困問題、特に女性が将来貧困に陥る危険性について話をしようと思ったら「先生、その話を聞かされると怖くなるからその話は聞きたくない」と言われた。今思えば「危険性」について話すのではなくて、もし困った時に助けてくれるセーフティネットやどうやったら法律が自分を守ってくれるかとか、そういう「生活の知恵」みたいなものをもっと伝えられたらよかったな、と思った。

学校にはスクールカウンセラーだけでなく、ソーシャルワーカーの方も週に一度来ていて、生活保護の申請などについて保護者のサポートをしてくれたりもしていた。「せいほ」って言葉が普通に学校で使われていて最初なんのことか分からず「生命保険?」と思ったけれど「生活保護」のことだったんですよね。生活保護の家庭も少なからずありました。

そういう家庭で育ったからということもあるんでしょうか、感情を上手く扱えないという子も多かったです。いきなり泣いていたりとか、昨日あったことを思いだしたらムカついて窓ガラスを割ったとか、座席表を見せてくれないから腹がたって殴ったとか色んなことがありました。私はそれまで自分自身は感情のコントロールで困ったことってあんまりなかったので「どうやってこの子たちに自分の感情とのつきあい方を教えたら良いんだろう?」ということが最初分かりませんでした。(それでNVCやマインドフルネスに出会うことになるんですが、その話はまた今度)

勉強面について言うと、生徒はまぁ予告された通り勉強が苦手な子が多かったですね。勉強というか記憶があんまり残らなくて朝言ったことはもう夕方に忘れているということもありました。女子バスケットボール部の副顧問をしていたんですが、前の日に「先生は高校生の時部活何部だったの?」と聞かれて「高校の時は女子サッカー部だったけど、中学校は女バスだったよ」と答えたのに、次の日に本人からまったく同じ質問をされたこともありました。記憶力って本当に生まれつき全然違うんだな、ということを実感。

生徒に歴史の説明をしていても「先生の言葉は難しすぎて何を言ってるか分からない」と言われてしまいました。前の学校では分かりやすい授業って言ってもらってたのにな…。場所が変わると教える内容とか話し方とか本当に変えないと通用しなくて、色々なことを話しても分からないから何を本当にその授業で伝えたいのかすごく絞って伝えるようにしました。最大でも伝えたいことは3つにしないとそれ以上は全部が分からなくなってしまうので1クラスに3つまでにしていました。「何がどうしてもわかってほしいことで、何は分からなくても良いことか」というのはすごく考えました。イエス・キリストのことを知らなかったり、中国とアメリカの区別がついていなかったり、その時分かったと言っていたも忘れていたりと色々ありましたが相手に合わせて工夫をする良い機会になりました。

私の話が長いと生徒が寝てしまうので、話しかけ方も工夫するようになりました。話をドラマチックに「なんと!」と盛り上げたり「この後どうなったと思う?」と生徒に聞いたり、あいまいな質問だと考えにくい時は「この後の結果はAとBとどっちでしょう?」と選択肢を示したり色々工夫してました。

成績の評価ではテストの点数だけでなく勉強の過程も評価することになっていて、ワークとかドリル的な課題を色々な教科で出していました。(そして提出物チェックが徹底していて教科の先生と担任と連携して絶対出させるようにしていました。)「この課題をやりなさい」と言われてやることが分かっていればそれを一生懸命やってくる子も多くて「この子たちなりに一生懸命やろうとしているんだな」ということが見える場面もありました。ただ、周りの先生からは「この子たちに考えさせるとかそういうことは無理だよ」と言われていて話し合いとかそういうのを成り立たせるのは難しそうでした。ドリル的な課題を与えてそれをちゃんとやってきたら評価して成績にする、という教科がほとんどでした。

私はでも生徒に問いを持って考えるってことをやってほしいな、と思っていました。大学院の時に先生に「何のために歴史を学ぶんだと思いますか?」と聞いた時に「良い問いを投げかける力を育てるため」と言われましたが、一生懸命暗記する力も大事かもしれないけれど、問いを持つ力はもっと大事な気がしていました。

前の学校でも生徒に最後の5分でその日のまとめと「今日の疑問」というのを書いてもらっていたけれど、自由に書いてというのではエンカレッジスクールの子たちには難しいかもしれない。授業を通して一つだけ「なぜ?」から始まる疑問を書いてもらうことにした。そして4人か5人の班でみんなの疑問を集めてどの疑問について話したいかを決めて、それについて「きっとこうじゃないか?」というのをそれぞれのグループに出してもらって、それに対する「私の考え」というのを生徒に伝えるようにしていました。

最初は疑問をまず思いつくまでが大変で「先生の言っていることは全部正しいと思いから何の疑問もない」と言っていましたが「こんな疑問はどうかな?」とか色々提案したりしつつ時間を取って生徒に疑問を出してもらっていました。疑問を出してもらって話合いを進めるのも最初は中々進まなかったので、当番制で司会兼発表係を決めてもらって進めていくようにしました。疑問に対する答えも「嫌だったから」とか「むかついたから」とかそういう答えでグループでなって話し合いが終わってしまっていることもあったので、そういう時には「なんで嫌だったんだとおもう?」「なんでむかついたんだろう?」とさらに聞くようにしていました。そうするともう少し考えて話してました。

生徒から意外な質問が出ることが面白いこともあって、産業革命の話をした時に「女性や子供も働かされた」という記述が資料集にあったのですがそれを見た生徒が「なんで男は働かなかったのか?」という疑問を出してグループで話してたんですね。グループとしては「男は怠けものだったんじゃないか?」って結論になって、生徒には「男は働くってことが前提になっているから書かれていないんじゃないかな。」と言いましたが、それってすごい面白い疑問だな、と思いました。私たちが「男は働くことが当たり前」という風に思ってそれを前提にしているから「男も働いていました」と書かなくても「男は働いている」とみんなが勝手に思っているけれども、女と子どもだけのことが書かれていて男のことがないっていうのはある意味不自然でもあるわけです。自分にとっては「男は働く」ということが前提になっていて全然疑問に思わなかったけれど、生徒の疑問がそこにはないものを見せてくれてすごい面白いな、と思いました。

あとすごい面白かったのは3学期ぐらいになると目に見えて生徒の思考力が上がっていたということでした。クラスの授業中にフランス革命の話をしている時にロベスピエールの恐怖政治の話をしていたのですが「先生ロベスピエールみたいに恐怖政治をしていたら、いつか人々の反発を買ってクーデターが起こるんじゃないの?」とある男の子から発言がありました。そういう例が他のクラスでもあって「こういうことがあったら次にこういうことが起こるんじゃないか」と因果関係から推測するのはまさに歴史的思考力じゃないですか!と興奮する。そして生徒の中からも「みんなの考える力が上がっていて驚いた」という感想を書いてくれる子も。

「ここの生徒には自分で考えられる力はないから」と言われて、確かに1年の授業が始まった段階ではそれはなかったかもしれない。でも「なんで?」の疑問を1年考えつづけてみんなで話して考えているうちに、この子たちだって自分で考える力がつくんだな、というのは私自身にとってもすごく励みになった。だからその時点でたとえその子(その人)に「考える力がない」って思ってもそれはこれまで受けてきた環境とか教育のせいでその時そのような状態になっているってだけで、本当にその子に考えることができるポテンシャルがない訳じゃない。ちゃんとそういう力がつくはずだと信じて続けていけばそういう力はちゃんと育つんだなということに感動したし簡単に「この子たちは考える力がない」とかあきらめちゃダメだな、と思いました。

1年の最後のテストで「1年間『なんで?』の疑問を考えたのはなんでだと思いますか?」という問いを出したのですが、「なんで?を考えることで授業をもっと一生懸命聞くようになるから」とか「疑問を持つともっと知りたいと思うようになるから」「話し合うことでコミュニケーションが取れるから」と書く子も。1年間の感想を書いてもらった時に面白かったのは何人かが「なんで?ということを考えた後にそれが分かった時に気持ち良かった!」と身体の感覚としての快感があったことを書いてくれたこと。分かることって気持ち良いんですよね。学びって学びそのものが喜びなんだよなぁって改めて思い出しました。生徒の感想をいくつか紹介します。

「1年間通してみて世界史のことが前より分かるようになりました。以前私は社会系の科目があまり好きじゃなかったのでやる気が起きずだめだめでした。けれど「なぜの疑問」や先生が行った旅行の事をきいたりする内にだんだん好きになっていきました。1年間の授業を通して、世界史を好きになっていったし、グループワークで考えたりする力がだんだん上がったとおもいます。最初は「日本人だから世界のことは別に知らなくてもいいや」なんて考えていてあまり授業も興味がわかなかったけど日本と外国との関りもあったしだんだん興味がわいてきました。」

「最後の最後まで難しかった。覚えるのが苦手だったので点数がなかなか取れないのが続いてしまいました。でも、苦手意識があるからといって諦めていたわけではなくすこしずつ自分から覚えていくようになれました。勉強してできた時の達成感はどの教科も同じですが、点数が特に低かった世界史の達成感はすごかったです。授業中で印象に残っているのはグループワーク。グループワークでは人との意見交換や新しい情報にもなるのですごくプラスになりました。先生の豆知識の話も好きでした。(笑)もっと先生の豆知識系の話が聞きたかった!社会系が苦手だった私には正直つらかったです。でも!授業は楽しかったです。先生の外国に行った時の話や心理の話は特に!!グループワークとかも最初はめんどうだったけど、意見をだしていくうちに人との情報交換にもなるし、意見をだすときちんと考えなければならないから勉強になりました。苦手意識が強かったのでテストではダメダメでしたが…。少しでも自分でやろうとしたところが自分の変化なのかなと。小さな変化ではありますが(笑)」

「自分の取り組みを振り返ると、少し寝てしまうこともあり、もう少し起きていたらよかったなって思いました。初めの世界史の授業に集中できていなくて、ただぼーっとしているだけでした。でも、グループワークや先生の歌を聞いて楽しいなと感じ後半からは集中して取り組むことができました。先生の歌は最初は何をしているんだろうって実際思ってました。でも世界史の単語と結び合わせてくれたことで覚えやすかったです。もっと先生のいろいろな話を聞きたかったです。先生の行った国やその食事などの話をたくさん話してほしかったです。授業はとても楽しかったです。授業が一種の遊びみたいで少しうれしかったです。」

「私は転校してきて2学期から授業に参加して、最初はコミュニケーションもいまいちだったし、話し合いもあまり好きじゃないし「めんどくさい」と思ったことがあります。でも初めてグループワークで思った気持ちは「疑問」でした。人間同じなのに何故思う疑問が違うのか、同じ疑問なのになぜ答えが違うのか、人それぞれ考えることが異なり、合っていたり間違っていたり不思議な感じでした。話し合うことにより社会のさまざまなことが生まれるのと一緒でグループワークをするとほかの何かが生まれるんだと思いました。」

「世界史は2年生ではじめてやって、最初はついていけるか不安だったけど意外と楽しかった。やる前より苦手意識がなくなった。1年間の授業を通して世界史の授業中だけでなくなぜと思うことが多くなった。自分の中でなぜと思うことが多くなり、自分で回答を探すようになった。今まで浅くしかふれてこなかったところも先生が深く話してくれて面白かった。」

中には「今まで人と話すことができなかったけど、授業中にクラスメートと話したことでお店の人とも話したりすることもできるようになった。」という子も。グループでの話し合いでそんな効果が!これまで一緒のクラスでも一度も話したことがない人も結構いた、ということで話す機会になったことを楽しんでいたようでした。(「先生の授業は頭を使って考えさせられるから疲れるから嫌い」という子もいましたが。笑)

エンカレッジスクールでの授業は大変なことも苦労したことも工夫が必要なこともたくさんありましたが、でもその子たちが変化していって疑問を持てるようになったり、話し合いが前よりできるようになったり、考える力が上がっていく姿を見れることは大きな喜びでした。「なぜ?」って授業中に考えていると日常の中でもそういう風に考えるようになるんだなというのも発見でした。生徒が成長していく姿を見られるのはとても面白かったです。

次の学校に呼ばれて短い期間しかいなかったですが、すごく勉強になったし、そこで教えることができて本当に良かったと思っています。色々な生徒がいて、口でみんなの前で説明するだけでは分からない生徒もいるけれど、先生たちはその子に合わせて「どうやったらこの子に分かるか」ということを工夫している姿を見られたのも勉強になりました。「何を伝えるか」も大事にだけど「どう伝えるか」も「何を伝えないか」も大事だな、と。

生徒はどこにいっても可愛くて、思いやりのある素敵な生徒たちがいっぱいいました。親に気を遣っている子もいるし。面白くて笑わせてくれる生徒たちもいました。生徒ってどこにいっても可愛いな、と思いました。半年後にサッカー部の夏の試合を見に行って、1年生の時に担任していた子がいて、「ナイスプレー」って手を出したら手を握る前に「汚れてるんで」って自分のユニフォームで自分の手をぬぐってから手を出してくれて、握手しました。そういう姿がとても嬉しかったです。勉強が得意な子はいませんでしたが人間として素晴らしいなと思う子には何人も会いました。

もう一人印象深い子がいて、一年生の時に担任をしていて、家庭的に大変で色々話を聞いていたんですが、すごく気を遣う子で、学年の途中で異動になった時に「何かあったら連絡して良いからね」と私の連絡先を伝えていたんですが、連絡が来ることはありませんでした。3年生の卒業式に行った時に私を見たら涙を流して「ずっと先生に会いたかった」と言ってくれてこれまでの3年間はやっぱり大変だったということを伝えてくれました。連絡くれても良かったのに、遠慮したんですね。そういう子なんだよなぁ。小さな弟や妹の面倒を見て文句も言わないでいるその子を見ていると器が私より大きいんじゃないかな、と思っていました。

先生たちとも生徒が色々大変な分「チーム」として一緒に働いている感じがあって楽しかったです。みんなでご飯に行ったり、お子さんが生まれた先生の家に遊びに行ったり、その後も何年かつながっていましたが、生徒が大変な分チームワークが育まれた感じがありました。(高校が進学校で生徒が生活指導であまり手がかからないと先生たちはその分バラバラになる、という側面があります。)

エンカレッジスクールで働けたのは非常に良い経験でした。彼らが大人になって周りの人から愛されて、幸せな生活を送っていると良いなと思います。そして同時に、どんどん広がる格差の問題を放っておいたらいけないな、とも思っています。

次回は「どうやって子どもたちに自分の感情とのつきあい方を教えたら良いのか?」という問いから出会ったNVCとマインドフルネスの話についてお話する予定です。



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