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2014年カンボジアの旅

旅行に今行くことができないので、過去の旅を振り返っていきたい。(忘れていることもすでにたくさんあるけれど。)2014年のカンボジア旅行の話を今回はしたいと思う。カンボジアに行こうと思ったのは、歴史教員としてアンコール・ワットが見たいということもあったけれど、ポル・ポト政権下でのクメール・ルージュのことに関心を持ってその歴史を感じてみたかったということもあった。クメール・ルージュの話はまた後ほど詳しくする。

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まずは、カンボジアで驚いたのは、スクーターですごい荷物を積んでいるものがけっこうあるということ。人もたくさん乗っているし、荷物もたくさん積んでいた。ある意味ではカンボジアの名物的な光景のよう。https://www.alamy.com/stock-photo/cambodia-asia-overloaded-motorcycle.html

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そしてもう一つの名物はハンモック。虫に刺されにくくて良いんだとか。色んなところで色んな人がハンモックで寝ていました。これをみている限りはとてものんびりした良いところ。

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でも、もちろんそれだけではない。1970年から長期の内戦があり、ベトナムやソ連やアメリカもからんで大量の武器が投入され地雷が埋められた。私が訪れたのはシェムリアップにあるアキ・ラー地雷博物館。アキ・ラーは元クメール・ルージュの少年兵で今では地雷で怪我をした子どもたちを助けるための保護施設と施設を運営するための博物館を作った。大量の地雷や武器がそこには展示されていた。

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すごい手作り感のある人形がハンモックで寝ていて、その横に武器があるというチグハグさがなんとも言えない気持ちにさせる…。

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外でのんびりしている人達を見ているとそんなことがあったなんてとても思えないんだけど、冷戦の中で様々な思惑がからまり、大量の地雷が埋められ武器が投入されていたんだなぁ。武器を作って儲けている人が先進国のどこかにいて、途上国で人が殺しあっていたってあまりにも残酷だな、と思う。そんな簡単な言葉ではすまされないんだけど。

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カンボジアの人たちは人懐っこい感じの人たち。子どもたちは寄ってくるし、結構喜んで写真に写ってくれる。暑いからかリラックスしてのんびりしているように見える。

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雨が多いからか高床式みたいな家が田舎の方に行くと結構ある。そして電気はまだ家には通っていない感じ。家の床の下の部分でハンモックで寝ている人がいる。ハンモックは本当にどこに行っても見る。

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カンボジアは仏教国で国民の98%は仏教徒。時々お寺があって、カラフルなブッダがいたりする。なんかインドみたいな色使いで仏教のお寺があると日本人的にはなんだか不思議な気持ちになる。

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マーケットに行くと活気にあふれている。市場に行くのはいつも好き。エネルギーがそこにあって、生き生きとした感じになるから。小さな子どもたちもたくさんいた。

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そしてスクーターに3人乗りする親子。3人乗りも4人乗りも普通に見かけて、スクーターってこんなに人が乗るんだな。

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プノンペンに行くと中心部は結構都会。そごうがある。ただし、本当に発展しているのは他の東南アジア(ベトナムとかマレーシアとか)と比べるとごく一部。そごうのビニールに包まれて売られている野菜は超高級品みたいです。

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これはインドネシアの伝統楽器ガムラン

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お坊さんが街で歩いている。小さな子どももいる。カンボジアは仏教国なので、子どもが何人もいる家でそのうちの一人は出家させるということがよくあるみたい。(そのことによって家族全員が徳を積めるから)中には本当はやりたくない子もいるでしょうね。ちなみに東南アジアではお坊さんは女性と一緒には写真を撮らないそうです。(とガイドに書いてありました。)

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アンコールワットに行きました!クメール建築の最高傑作とされる大伽藍。南北1300m、東西1500mの東南アジア最大級の石造建築!ヒンドゥー教の宇宙観が表現されつつ、クメール朝滅亡後は仏像が持ち込まれ仏教寺院として今も生き続けているそうです。

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石の階段が急こう配になっていたのですが、それは自然と頭が下がって神様に対して失礼がないようになのだとか。

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優し気な顔のレリーフ。デヴァ―タと呼ばれる女神のようです。

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周りには観光客を相手にお土産物を売る人たち。

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そしてアンコール・トムにも行きました。アンコール王朝時代の歴代の王様の中で最盛期を築いたというシャヴァルマン7世が作った広大な城塞都市でアンコール・トムというのは「大きな町」という意味なんだそうです。巨大な四面仏塔を中心に4つの門に囲まれているそうです。最初の写真は南大門の入り口の阿修羅像。

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四面仏塔。大きな顔!

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いきいきとしたレリーフ。

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そしてタ・プロムにも行きました。シャヤヴァルマン7世が母親のためにたてた寺院で最初は仏教寺院だったものが後にヒンドゥー今日の寺院に作り替えられたそうです。木が遺跡に絡まって自然と共に荘厳な景色が作られていました。

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木の根に包まれたデヴァーター(女神)が見えるでしょうか。木に守られているみたいですね。

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溢れだすガジュマルの根

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そしてリキシャの中でもハンモックお昼寝

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仏像はこんな感じ

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マーケットで販売員のお母さんはハンモックでスマホ使用中。娘の方が働いているみたいに見えますね。

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南国フルーツ

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ドラえもんハンモック。微妙に顔が違うような違わないような…

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マーケットにはけっこう小さな子どもも多かったです。若いお母さんたちが子ども連れながらも働いているんですね。

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素敵な雰囲気のお兄さんも

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「俺を写真に撮ってよ」と言われて写真撮りました。なんか陽気なエネルギーが写真からも伝わってくるようですね。(後ろの女の子たちもそういう目で見ているような。)

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わりといる、上半身裸のおじさん。

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集う若者。サッカーシャツを普段着として来てますね。

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かわいい小さな子!

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ここはどこだったのかな…仏教寺院ですね。蓮の花も咲いています。

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エビと野菜の炒め物とご飯です。美味しかったです!マーケットの様子もご覧ください。

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私のお気に入りの一枚。この写真を見ているだけでのんびりした気持ちになります。人生リラックスが大事だな、と思い出させてくれる感じがします。

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乗合タクシーで一緒になったおばちゃんが自分が買った服を見せてくれました。「良いでしょ!」と見せられて「いいね」と言ってましたが心の中で「なんでパリなのかな~」と思ってました。ボンジュール。

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トゥール・スレン虐殺犯罪博物館に行きました。ポルポト政権下で「スパイ容疑」がかかったものが次々と連れてこられてそして「自白」をさせられて殺されて行った場所です。子どもたちぐらいの年齢の人たちが兵士になり、次々とお互いを「粛清」していったという残酷な場所なのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/S21_(%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%B3)

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殺された人たち。一度「容疑者」として投獄されるとほぼ全員が殺されたということでした。ポルポト政権下では多くの「犯罪者」が作り出されました。知識人は資本主義に染まった汚れた思想を持っているといって殺されました。学校の先生も。眼鏡をかけた人も。子どもたちが汚れなき存在として崇拝の対象とされて親から隔離されて洗脳されました。そして、子どもクメールルージュの兵士となり親を殺すというような場面もたくさんありました。クメール・ルージュの兵士たちは多くが子どもや若者でしたが、その内部で簡単に「スパイ」とされていたようです。

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中には若い女性たちもいました。なんか写真を見ながら、自分の生徒のような気がしてすごく複雑な気持ちでした。なんでこういった人たちが殺し合うことになっていったのかな、と。

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この鎖につながれて処刑場まで歩かされたそうです。

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「笑うの禁止」って張り紙があったのですがここに来て笑う人がいるのかな…っていうね。

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独房はこんな感じ

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生き残った人が描いた虐待や処刑の様子

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殺された人たちの頭蓋骨

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ここが処刑場。くぼんでいるところの下にはすべて頭蓋骨が今もあるそうです。その上に土がかけられているところ。周りにはヤシの木があって、ヤシの木の枝って固いんですけど「武器が足りなかったから、ヤシの木の枝で殴って殺した」という話も聞いて、ヤシの木には何の罪もないんですが複雑な気持ちに…

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下をよく見ると服のついた骨があったり…

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近くにゴミの山もあって、その上の方を見てみると、ゴミを拾って生活している人々の姿がありました。スモーキーマウンテンとかって話には聞いたことがありましたが本当にそうやって生きている人がいるということを実感しました。

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人がトラックでたくさん運ばれていく姿もみました。田舎からちょっと都会の向上へ向かう人々のようです。衣服の工場へ向かう人が多いということでした。最近は日本でも、カンボジア製の服というのが増えているようです。一時期は中国で作られていましたが、人件費が上がってベトナムやカンボジアに工場が移転しているんだとか。その後日本に帰ってから服がどこからきているのか「Made in 〇〇」をチェックするようになりました。カンボジアから来ているものもありました。こうやって働いている人がつくっているんだなぁと想像できるようになりました。

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キャノンや三菱の看板もありました。グローバル化がここにも。こうやってつながっているんですよね。

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カンボジア旅行、とても楽しかったですし、色々なことを考えさせられました。ポルポト政権下で人口の3分の1近くが殺されたという話ですが、なんでそういうことが起こったのかということはもう少し深く学んでみたいところです。カンボジアの人たちは陽気な感じでリラックスしていて、古くからの歴史も食べ物も素敵でしたが、同時に悲劇的な過去も背負っているんだなということも感じました。(地雷で怪我をして手足がない人も見かけました。)日本とのつながりも感じました。これはもう7年前の話なので、今ではプノンペンとかもっと発展しているかもしれないですね。今はどんな様子なのかまた見に行ってみたいな~


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