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14年間の教員生活のふりかえり その⑩

前回の終わりに「次回はエンカレッジスクールでの経験を」と言っていたのだけれど、その前に最初の都立高校での先生たちとの飲み会で教わったことについてお話したい。

私は飲み会に行くのが好きだった。私はお酒は全然飲まない。飲むと楽しくなるというより動悸が早くなって具合が悪い感じになってしまうので、基本的にはウーロン茶を飲んでいる。でも、飲み会に行くのが好きで、最初の学校では週に1回のペースでおじさんたちと飲み会に参加していた。

飲み会に行くと色々本音が聞ける。教育についての大事なことをそこで語ってくれるということがよくある。話していることの7割ぐらいは同じ話で、昔の大変だった生徒の話とか、学校で普通にお酒を持ち込んで全員での飲み会をやっていた話とか、先生たちが自分で学校の色んなことを決められた自由な時代の話とか「これは前にも聞いたな」という話だ。(話している先生曰く「酔っぱらうと前に話したことでも『いいや、話してしまえ』とどうでもよくなって話してしまう」とのこと。)でも、その日のうちに1回とか2回は必ず新しくて大事なきらっと光るような話があって、私はその話を聞くのが好きだった。

その人が教育の信念とか大事なことを語る時はその人が話始める前から「この人はこれから大事な話をする」ということがエネルギーで分かった。私はそれが分かると背筋を正して心のメモ帳にめもめもすべくしっかりと耳を澄ませて聴いていた。お酒の場でしか出てこないその人の語りというのがあって、私はすごく大事なことをそこでたくさん教わったな、と感じている。

例えば店員さんに「私はウーロン茶で」と注文すると「『ウーロン茶をお願いします』だろ」と注意された。「お店の人にもちゃんと丁寧に対応しろ。相手を見て態度を変えるな。」と教わった。

職員室の電話は職員室の真ん中にあるのだけれども、誰かの机の上にあるわけではないので、その電話を取るためにはみんな席を立ちあがって取りに行かなくてはいけない。仕事をしている最中に立ち上がって誰にかかっているのか分からない電話に出るというのは仕事が中断されてしまうので面倒だし電話によってはそれに対応するのに時間が取られてしまうこともある。でも「そういう人がやりたがらないことをやれる人間にならなくてはダメだ」と教わった。「どういう人が電話をいつも取ってくれているのか見てみろ」という。そういう役割じゃなくても決まった先生が電話を取ってくれている。「どういうことをする人間かって周りの人は見てるからな。人が嫌がることをやってたらちゃんとそれも見てるし、面倒なことはやらない人のことも人は見てるんだよ。」と言われた。「どういう人間になりたいのか考えてみろ」って。

あるおじいちゃんの先生は「どんな子にも可愛いところがあるし、こっちが本気で相手のこと考えていたら相手に伝わるんだよ」と言う。10年ぐらい生徒が問題ばかり起こす学校で働いていたことがあったけれど、そこでも、どんな悪さをする生徒の中にも可愛いところがあって、その子のことを本気で思っていることが伝わったらいつかはこっちを向いてくれる、とその先生は言う。

ある先生は生徒に対して厳しいことも言うのだけれど「自分は生徒に好かれなくて良い」という。生徒にとっては嫌な事でも必要なこともある。特に生活が乱れているような生徒たちに向かって注意をすると面倒くさがられて嫌われる。「俺は前の学校では一番嫌われていた。みんなが注意しないことも注意するから。俺は見逃さないよ。その時嫌われていても良いんだよ。卒業してから『あの時言われていたことで助かったな』って思えれば。」と言う。

その先生は、職員会議でも自分が思ったことを言う人だった。誰に対しても「おかしいものはおかしい」と声をあげる人だった。「おかしいというものは声をあげなきゃダメだ。それで自分が動いたら良いんだよ。」と言う。学校で5つも6つも先生たちの委員会に入って自分がその中心になって学校を変えてきたという。今は私も含めて都立で働いている若い先生を見ていると「自分が学校を変えられる」とあんまり感じていないように思う。それは管理職の権限が強められて、先生たちが自分たちが思うように学校を作れなくなったというのが大きいのかもしれない。今あるシステムの中で目の前の生徒に対してどうベストなことができるかとか、与えられた仕事をどうやったら良いものにできるか、ということは考えているけれど「どうやったら学校を良く変えられるか」ということをあんまり考えられていないな、と思う。それは人事評価システムとか構造的な問題のような気が私はするけれど、勝手に委縮してしまっている部分もあるのかもしれないな、と思った。

ある体育の先生は40歳を超えてからウェイトリフティングを始めた、という。最初は80キロが持ち上げられなかったのが、その時(50歳ぐらい)は180キロを持ち上げていた。「人間はいつまでも成長する」と言っていた。(ちなみに50代の日本代表で世界大会にも出ていた。)「自分より若い人が亡くなったのを見て、自分がやりたいことを今やらなくてはダメだと思った」という。学校の先生って「生徒のため」を優先して「自分がやりたいこと」を置き去りにしてしまうこともあるけれど(そしてそれこそが「教員としてあるべき姿」を思われがちだけれど)自分が「やりたい」って思うことをやることは大事だな、と思った。

「生徒の顔を毎日よく見ることは大事」とも教わった。生徒の中で起こっていることの様子は表情に現れる。目つきを見ていればその子が良い状態なのか悪い状態なのか分かる。目つきが悪い時には、何かを抱えていて、問題をその後起こしたりすることもある。(実際そういうこともあった。)状態が良くないと目を合わせない子もいる。生徒の表情を見ることはすごく大事。

「目を合わせる」ってとっても不思議ですよね。それによって何が起こっているんでしょうね。ある子が問題を起こして下を向きながら「すみません」って口で言ってたんだけど「目を見て言いなさい」と言われたら、目を見ながら言うことはその時どうしてもできなかったんですよね。相手の目を見ながらだと心から思っていないことは言えなくなってしまうんだなーと思って不思議でした。それはとある部活の子で「目を見て謝れなかったら部活には戻せない」と言われていたんですけど、謝れなくてしばらく部活を辞めさせられていました。(2か月後か3か月後かに目を見て謝って戻っていました。)

部活のことで男子サッカー部の顧問をしていた時に色々悩んでいた時にも「お前、それはこうだよ」と言ってアドバイスをくれる存在がいてくれてとても助けになりました。一人じゃないって思えたのは大きかったですね。野球部の顧問の先生や柔道部の顧問の先生にそれぞれの経験を聞きながら上手くいったり失敗したりしながら顧問を務めていましたが、何があっても聴いてくれる誰かの存在というのは大きかったな、と思います。

コロナのことがあって、飲み会が一切なくなってしまって、改めてその大きさを感じました。歓送迎会とか忘年会とか行事の後の飲み会がなくなってしまうと、先生たちが誰が誰だか分からなくなってしまってつながりが薄くなってしまって、学校で自分自身が「そこにいる」という感覚もなんだか薄くなってしまったような気がしました。特に最後に務めていた学校は先生たちの数も多くて職員会議に出ている人数だけで80人ぐらいいたから新しい先生の名前はようやく3月になって覚えた感じでした。仕事の話ばかりではなく、仕事以外の場でつながるってことが仕事をする上でも大きい意味を持っていたんだなぁ、と改めて感じました。例えそれが年に2回とか3回とかでも、あるのとないのとでは全然違いますね。

まぁ、そんなこんなで私は教員として大事なことの多くを、飲み会で教わったなと思っています。それは本当に貴重なことだったな、と今改めて思います。「古き良き時代」なんでしょうか。コロナの後にどうなっていくのか分かりませんが、その人の心からの生きた言葉を聴ける機会をやっぱり大事にしていきたいな、と思います。


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