見出し画像

1か月でも人は変われるんだと元生徒が教えてくれた話

元生徒との1か月のやり取りの中でその子が見せてくれた変化がとても素晴らしかったので本人の許可をもらってここで共有させてもらいたいと思う。

きっかけは3月まで教えていた学校の生徒から1か月ほど前に連絡をもらったことだった。話を聞いてほしいという。部活の生徒でそれまではそんなに個人的な話をしたことはなかった。私は「もちろんいいよ」と返事をして、オンラインで会うことになった。

話を聞くと、今高校3年生で受験生なのだけれど、もう何もかもが嫌になってしまったという。学校に行くのも楽しくないし、自分の見た目も性格も嫌だし、親からのプレッシャーを感じるけれど受験勉強も頑張る気がしないという。その時は表情も暗くて、エネルギーがあまりないような状態だった。

話をしばらく聞いた後、ちょっと自分の身体に意識を向けてみる時間を取ってみる。鐘の音を聴いて、呼吸を意識して、身体と呼吸の自然なリズムに気がついて、心臓が動いていることに気がついて、目が見えたり、耳が聞こえたり、手足が動くことに気がつく。

しばらく呼吸と一緒にゆっくり自分の身体に気がつく時間を取ってその後の思いを聞いてみたら「身体が動くことってすごいと思った」と言ってくれた。自分は好きになれなくても、もしかしたら自分の心臓は好きになれるかもしれない。毎日毎日、私のために働いてくれていて、そこにいてくれるから。「なぜかすごく温かくて不思議な気分」だと言う。

その子に「良かったら、来週もう一度会う?」と聞く。すると会いたいと言う。そして「良かったら宿題を出しても良いかな?」と聞く。「その日にあった、嬉しかったこと、幸せな事、感謝したいことを何か3つあげて、それをどう感じたかも含めて報告する」という宿題。やってみたいという。最初は記録をつけてもらって1週間後に聞こうかと思ったけれど、忘れそうだから毎日ラインで連絡をもらうことにした。

その週は、ご飯が美味しかったことや、オレンジがすごく甘くて嬉しかったことや、課題を無事に終えることができたことや、紫陽花を見て幸せな気持ちになったことなどレポートしてくれた。夏の風を感じたら気持ちよくて心が落ち着いたことも。

1週間後にもう一度会う。そして、レポートしてくれた「嬉しい事」をもう一度呼吸と一緒に味わう時間を持つ。私の中にも甘いオレンジの香りや味が広がったり、夏の風を感じて気持ち良くなったりした。その経験した1回だけじゃなくてもう一度思い出して幸せな気持ちになったらより幸せだし、自分が経験してなくても人のを聞いて味わうだけでも自分も幸せな気持ちになれる。これはなんてお得。

1週間嬉しいことや幸せなことを意識してみて過ごしてみたらどうだったか聞いてみたら「温かい気持ちになったし、嫌なことがあっても『まあ、いいか』と思えるようになった」と言う。嫌なことがあっても、嬉しいことがあるから全体を合わせてみたら、まあ、そういうことがあってもいいか、と思えたと。それってすごい!幸せなことを見てると、自分の中にスペースができたりエネルギーが貯まって、嫌なことも受け入れる力がつくんだなぁ。しかも、1週間の中でそういう変化があるってすごいな、と思った。若さでしょうか。人間のそれまでの習慣の力ってとても強いから「何もかもが嫌」な状態から物事の良い面を見れるようになるまではもうちょっと時間がかかるかな、と思っていたけれど最初に1週間でもうこんなに違うんだな、と驚く。

その次の週の宿題は嬉しかったこと1つに加えて、「嫌なことと、それが起こっている時に自分の身体の中で何が起こっているかを1つ報告する」ということにした。MBSR(マインドフルネスストレス低減法)のクラスでやって、私自身は嫌なことが起こっている時に自分の身体に何が起こっているかに注意を向けると楽になる感じがあったから。

ただ、その課題はその子にとっては最初難しそうだった。嫌なことがあるとやっぱり思い出しても嫌な気分になってしまう、ということだった。規模が縮小された行事に参加してつまらないと思ったこと、そしてつまらないと思っている自分自身が嫌になったこと、家族との関係、将来のことを考えると不安なことなどを伝えてくれた。

身体の感覚に意識を向けてみるだけだとしんどそうだったので「自分のネガティブな気持ちの奥にはどんな願いがあるんだと思う?」と聞いてみる。「つまんないって思う自分の奥になる願いってどんなだろう?どんな嘆きがあるのかな?」と聞いてみる。そして嘆きを感じながら深く呼吸することをお誘いする。そして「自分が嫌になる自分の奥にはどんな願いがあるんだと思う?本当はどんな自分だったらいいな、って思っているんだろう?」と尋ねる。そしてその願いとつながって呼吸することもお誘いしてみる。

そして3回目に会った時にはそのことを振り返ってみた。自分自身が感じた嫌な思い。そして、嫌な気持ちになった時にその奥にあった願い。それを深く感じて呼吸と共に一緒にいる。それが今ないことの嘆きにも。

「嘆き」の大切さを教わったのはNVC(非暴力コミュニケーション)から。とっても大事なニーズだと感じている。私たちは自分の望むものをすべて手に入れることができない。時間にもエネルギーにもリソースにも限界がある。そんな時に「嘆く」ということがすごく助けになってくれるし、エネルギーをもらえるな、と私は感じてきた。手に入れたいと心から願っていても手に入らないものもある。側にいてほしいと願っていても去ってしまうものもある。そんな時は、状況を変えることはできなくても「嘆く」ことはできる。そして、それをできた時に人生はずいぶん変わるように私は感じている。

自分の奥にある願いとつながることができた時、そして嘆きを深く味わうことができた時、温かさを感じることができたようだった。私たちは何が起こるかを変えることはできないけれど、それをどう受け止めるかは変えることができる。「Pain is inevitable, but suffering is optional(痛みは避けられないけれど、苦しむかどうかは選べる)」ということを伝えると腑に落ちたようだった。

他にその週にあった嫌なことのなかで何か話したいことがあるか聴いてみると、自分が好きになれないことが気になるという。友達は、何かを相談した時には良いアドバイスをくれたりするけれど、自分は良いアドバイスをすることもできない、という。いつもはあんまり自分の意見は言わないで聴くことをメインにしていたけれど、今回は「ちょっとだけ私の思うことを…」と伝える。アドバイスをすることは大事じゃないよ。一番大事なのはそこにいること。アドバイスをされたくない時だってある。友達のためにそこにいることができるんだったら、もうそれで十分できていることがあるんだよ、と伝える。

そして、自分を好きになれない残念さや悲しい気持ちとしばらく一緒にいる。ただ、一緒に呼吸をする。自分で自分を抱きしめてそれでも身体がそこにあることに「ありがとう」って伝える。

その後「自分を好きになれない時に好きになろうとしなくていいよ。でももしかしたら自分の周りになるものを好きになることならできるかもしれないよ」と言う。例えば部屋の窓を。部屋の窓に気がつきながらゆっくり開けて、閉めてもらう。その窓が自分を雨や風から守ってくれていることを感じながら。

すると「窓がサッシにぴったりとフィットしているのってすごいって思った」と言う。そうなんだよ!そこには、それを設計してくれた誰かがいて、作ってくれた誰かがいて、設置してくれた誰かがいる。その人たちの働きがあって初めて窓はそこにあって自由に開け閉めできるんだよ!そう話すと「確かに」とうなずいていた。

「もう1週ぐらいやって終わりにしようかな、と思うんだけどどんなことを宿題にしたい?」と聞いてみた。また嬉しい事とか幸せなことに戻るのがいいのかな、と思っていたらその子から「自分が誰かのためにできたことにしたい!」という言葉が出てくる。そういった発想がぱっと出てきたことがまず素晴らしいな、と思った。誰かのためにできたことを聞けたらそれって素敵。「じゃあ、人でも良いし、何か動物とか植物に対してでも良いから何かできた良いことを教えてね。」と言う。

そしてその次の週は「自分が誰か/何かのためにできたこと」の報告をしてくれた。

大好きな紫陽花に「私はあなたをちゃんと見てるよ」って伝えたり、傷ついている友達の話をただ聴いたり、友達にその子がどれだけいい子かを伝えたという報告をもらう。友達の課題を手伝ってあげたことや、道の真ん中にいて車にひかれるかもしれなかった蛙を助けた話も。

友達にその子の良いところを伝えると、友達からも「いつも頑張っていて偉い」という言葉が返ってきたという。良い言葉って循環していくんですね。誰かに優しい言葉を伝えたら、それは(大抵の場合は)優しい言葉となってまた自分に戻ってくる。人に良いことができると、そのできたことそのもので自分が幸せな気持ちになるし、また相手が優しくしてくれたりしてとってもいいなぁと思った。

そして4回目にその週を振り返って話を聞く。「先生がアドバイスする必要ないっていっていたから、その子の側でただ話を聴いてました。そして、自分が何もしなくてもそこにいるだけで相手の助けになれるって、自分自身が存在していることの意味があるって思えて嬉しかったです」と言ってくれた。それって本当に美しいことだな、と思う。アドバイスとするからとか、何かの役に立つからとかじゃなくて、存在することそのものの意味をそこで見いだせたんだ!美しい。

私も人の話を聴く時には求められない限りはあまりアドバイスをしないように気をつけているけれども、それは「アドバイスって余計なお世話。アドバイスをもらわない方が嬉しいことの方が多い」と思っているから。だからアドバイスをしたくなる自分の衝動に「待て待て」としていることがよくある。(それでもついつい「こうしたら良いんじゃない」と言ってしまうこともある。)その子みたいにアドバイスをしないことで「ただ、存在するということが相手の助けになれる喜び」という風に私は感じられていなかったかもなぁと思う。生徒ってすごいですね。教わることばかりです。

一緒に話を聴いて色々やったのはたった1か月だったのに、全然別人のようになっていることに驚く。ネガティブなことを前はよく思っていたり言っていたのが、感謝できることや美しいものや素敵なものをもっと見られるようになったという。表情も明るいし本人からエネルギーが湧いてくる感じがある。

本人も「自分でもびっくりすぐぐらい考え方とか気持ちの持ち方が変わってとても楽です。」という。「pain is inevitable, but suffering if optional(痛みは避けることができないけれど、苦しむかどうかは選択できる)」という言葉を聞いて、これまで傷つきやすい自分がいけないのかと思っていたけれど、痛みというのは誰の人生にもあるものだと思えたし、それとどうやってつきあっていくかなんだと分かったという。人って1か月でも変わるんだなぁという姿を見せてもらったな、と思う。人って変わることができるんだ、ということを改めて教わった。人って何に目を向けるかで本当に変わるんだなということを見せてもらったこと、その道のりに私もご一緒できたことを嬉しく思う。その子が声をかけてくれなかったらこんなに美しいものを見せてもらうこともできなかったから、声をかけてくれて本当に良かったなと思う。私自身がたくさんのものをもらったな、と感じている。

まあ、もちろん1か月ですべてが変わるわけではないし、人生が続いていく中で色んな凸凹があるわけだけれど、この1か月の中での変化がこれからもその子の助けになってくれたら良いなぁと思う。痛みや苦労が、その子の奥にある大切な願いとその子をつなげてくれるように、と願う。そこに存在することの喜びを感じられますように。幸せでありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?