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この4か月をふりかえる

明日から前に働いていた職場に復帰することになった。地理の先生が産休に入るので、産休代替で勤めることになったのだ。地理って今まで一度も教えたことがないんですけど…まあ、がんばります。仕事を辞めた時は次に何をするのか決めていなかったけれど、地理の教員として元の学校に戻るって、人生はどうなるか分からないものだな、と思いました。どこであれ、呼ばれたところに行こうと思っていたので、呼ばれたところに行ってきます。そっちの方が自分にとって新しい世界が開かれるかな、と思いますし。

生徒にこれまで「上手くいくことは自信になる。上手くいかないことは経験になる。なんでもチャレンジしてごらん!」って言ってきたから、地理を上手く教えられる自信はまったくないのですが、何事をチャレンジの精神でやってみたいと思います。上手くいかなかったらそこには学びの機会があるってことで。生徒も私が地理の専門家ではないことはよく知っていると思うので、一緒に探究していくという姿勢でいきたいと思います。

というわけで私の毎日夏休み生活も4か月でとりあえず終わりを迎えてしまいました。旅に行きたいと思っていましたが、旅はまたもう少し先までお預けです。せっかくの機会なのでこの4か月を振り返ってみたいと思います。

4月からはMBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)のクラスとNVCのクラスをオンラインで受けていた。家にいて毎日のプラクティスもがっつりできるので、立ち止まって自分自身を見つめるとても良い機会になった。ゆっくり体を動かしたり、時々止まったり、周りの景色に耳をすませたり、風や光や影を感じたり、そういう時間だった。

そして毎日絵を描くようになって、自然の作り出す世界の精巧さにうっとりしていた。花の色や、細かい模様や、葉っぱの形や、葉脈の力強さに心奪われていた。最初は花だけに興味があったのだけれど、葉っぱにも興味が広がって、道を歩いていたら愛らしい葉っぱが実は周りにたくさんあったことに気がついてときめいた。そして光と影が作り出す美しさにも。

薔薇や紫陽花や向日葵が蕾から咲いていく姿を毎日描いて心が躍った。毎日毎日自然は変化しているのだということを実感した。小さな変化が愛おしかった。そこに花が存在しているだけで、自分の中に喜びがあることを見つけた。写真を前にしているのと、実物を前にしているのでは自分の中にある感じが違っていた。それは人もそうだな、と思った。そこにいてくれるだけで嬉しいんだってあたらめて思い出した。

オンラインのイベントにも参加することができた。5月に2つプラムヴィレッジのオンラインリトリートのオーガナイズをしていた。NVC(非暴力コミュニケーション)のグローバルフェスティバルで共感カフェのお手伝いをした。7月末のプラムヴィレッジのオンラインリトリート「グリーフの道」でも通訳をさせてもらった。コロナのお陰でアメリカの大学のコースや、タイやフランスのプラムヴィレッジのオンラインリトリートに自宅にいながら参加出来て、これって本当にコロナがなかったらできなかったことだったな、と思った。

コロナによって失われたものも色々あったけれど、世界中がパンデミックの影響下にある今だからこそ可能になっているもの、出会えなかったものというのも色々あるな、と思った。NVCのグローバルフェスティバルでイスラエル人とパレスチナ人の平和活動家の話をオンタイムで聴けたのもその一つだった。(日本時間だと朝3時からでしたが。)

NVCやマインドフルネスのプラクティスの中で自分の職場での同僚や管理職の先生や生徒との関係を振り返ることができたことも非常に貴重な機会だった。立ち止まる時間が取れたことで改めて目の前にあるものの奥にあるものを見ることができて、自分がどういう姿勢でそこに戻っていきたいかを見つめ直すことができた。幸せな職場にするために何ができるかについても。

ある大学院のゼミに混ぜてもらって対話やコンパッションについてや文化や教育についてもう一度考えることができたのもとても楽しかった。ゼミの後はその後も一人で色々と考え続けていて、学ぶこと、考えることの面白さを思い出した。自分が今取り組んでいることの報告もさせてもらって、問われて改めて考え直したこともあって、自分の世界が広がったような感じがした。(それまで次の授業に必要なことかマインドフルネスに関することばかりになっていたので。)

色々なことをできたことも楽しかったけれど、「何の予定もない」ということも素敵だった。朝起きてその日一日「やらなくてはならないこと」が一つもないってすごくスペースを感じて素敵だなーと思っていた。心の赴くままにやりたいことをやることができる。絵を描いても良いし、本を読んでも良いし、散歩に行っても良い。それって素敵。

あと、近所を散歩して農家の野菜を買うのも楽しかった。トウモロコシや、枝豆や、トマトやナスを安い値段で美味しく買える喜び。近所をたくさん歩いて、近所の家の庭にある花を眺めたりしながら、自分が地域に根づいているような感覚がした。(朝早く出て夜遅く帰ってくると、自分の家の周りに何があるのかよく分からないままこれまでは生活をしていた。)

のんびりして、リラックスして、心の中のスペースが広がった感じがします。

これまでの教員生活やイギリスでの生活を振り返ることができて、改めて過去のことを思い出して色々な貴重な経験をさせてもらったことを思い出すこともできた。そういえば、誕生日にイギリスの寮で一緒だったチリ人の友達から「誕生日おめでとう。君のブログ楽しく読んでるよ。」って言われて「え?何を読んだの?」って聞いたら「『チリ人のハウスメイトがいて、笑顔が可愛かったけれど皮肉屋だった』って書かれているところ!」と言われて驚きました。翻訳機能を使ったんでしょうか…今ではネット上で書かれたことはどこで誰が読むか分からないな…と思いました。

働き始めたらここに長い文を書いている時間はあまりなくなるかな、と思いますが、まあまた何かまとまった文で書きたいことが出てきたら書きます。

新しい地理の勉強と授業がどんな世界を開いてくれるのか、またいつか報告できたらと思います。ここまでお付き合いありがとうございます~。


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