急遽一時帰国はろくなことにならない

僕は天然の詐欺師である。しょっちゅうナチュラルに嘘をついているという意味ではない。体重95キロあるのに周りがせいぜい80キロくらいであろうと勝手に勘違いしてくれるからだ。かくしてないけど想像を超えた隠れデブである。

そんな僕も今月はイッキにやせた。減量していないのに。理由は明確だ。日本に16日間ほど急遽一時帰国してきたからだ。まるっきりの予定外だったし台湾に妻と子供たちを残したまま一人で帰国した。

昨年10月に帰国した時は妻に旅程やらお金周りは全て任せていた。普段は倹約家な妻であったから信頼し価格は一切見ていなかったが、上がってきた請求書を合計すると100万超えで焦った。たかだか2週間の一時帰国で。それプラス日本で気に入った20万の洗濯乾燥機を台湾帰国後すぐに買わされた。うちはセレブじゃないんだから節約しなきゃだめでしょとめずらしく妻に説教したばかりだった。

想定外の出費がかさむのは予想していた。なので今回はひとりだし安宿に泊まることにした。中野にある32,000円/月のゲストハウスだ。48食事中30食はコンビニ飯だ。ただし食べる量は普段より増えた。コンビニ飯でも毎食5~7品目くらい食べた。いろいろツッコミどころはあるのだが、僕にはそれしか選択肢がなかった。

宿にチェックインし、まずは早稲田にある実家に向かう。完全に失敗した。隣の区なのにドアトゥードアで50分もかかる。

僕は9才か10才くらいまで中野区で育った。それ以降は新宿区の早稲田に実家が移転した。中野を歩きまわるのは30年くらい振りだったし、昔住んでたビルが建て壊されて新しい建物が建設中だった。なんとなく道の形は同じであるのは記憶が残っていたが、全体的にどこも小ぎれいな建物に入れ替わっているだけでなく、こんな狭い道路だったんだぁと遠い記憶の中のサイズと今そこに広がる狭い街並みにギャップを感じた。

地元であるはずだがもう中野には当時の幼馴染はひとりもいなかった。正確にはいるのかもしれないがいたとしても名前も顔も覚えてないし連絡の取りようもなかった。

昔の記憶を辿っているあいだに実家に到着した。真っ暗で寒い。ここには誰もいないことは知っていた。そしてわかっていたことだがどうしようもない無力感と絶望感の中に突き落とされることになる。

昔から僕には敵が多かったが慣れっこだった。中野から早稲田に引っ越したときも転校生として揉めた。中学も高校も揉めた記憶がまず先にくる。平和だったのは学部生のときくらいだろうか。新卒で入った上場ブラック企業の上司は明らかにヤーさんだった。だけど、どんな外敵も雑魚にしか感じないようになっていた。僕の最大且つ最強の敵は愛すべき身内だったからだ。

今回一時帰国を余儀なくされたのは母が2週間の検査入院をすることになったという知らせを弟から受けたからだった。肺腺癌のステージ4。既に他の臓器に移転しているから手術はできない。とはいえ、若い人のがんの場合は進行が急速であるが、高齢であるため進行が遅いし、見た感じ末期という感じではない。余命数か月ってのも昔はあったみたいだが、最近の医療の発展だと数年とかもしくは10年以上生きることもあるそうだ。飲み薬タイプの抗がん剤はほぼ副作用もなく安定している。

とにかく急になにかが起こるわけではない状態ではあるものの、残り顔を合わせる機会は多くはないであろうということですぐに帰ってきたというわけだ。

無事に退院したが本人は今までの生活がしたいと言っているが痴呆の気もでてきていた。いくつかの段階を経て業者を雇うことになり、複数業者との見積もり交渉、家族間でこれからどうするのか、費用は複数あるが誰がどれだけ負担するのか、誰がこの状態から面倒みるのかという議論と、4徹夜と連日の肉体労働をすることになった。

続きはまた今度、たぶん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?