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中央構造線と神籬から紐解く古代日本(2)

137(イザナ)ライン

愛知県東端にある茶臼山も、やはり中央構造線の上にあります。前回、「中央構造線が石巻山のあたりから角度を急に変えて北上している」と書きました。茶臼山はその北上しはじめのあたりにあります。もし中央構造線を「東を向いた龍」に例えるなら、石巻山が首で、茶臼山は首と頭が繋がる延髄あたりになるでしょうか。
東経で言うと、137度39分。

137度という角度は、円周360度から137度を引いた角度との比が黄金比であることから、黄金角とも言います(厳密には137.5度ですが)。東経の基準となる東経0度は、イギリスのグリニッジ天文台がある経度を指します。つまり地球全体から見て、イギリス(グリニッジ)と、日本の茶臼山を含む東経137度は、ほぼ黄金角の関係にあると言うことができます。だから何だと言われたら特に何もないんですが、まあ、イギリスと日本は黄金角で結ばれる「美しい関係」だなぁ、と。

それはともかくとして、実際のところ、古代のブリテン諸島と日本はなんらかの深い結びつきがあったような気がしています。前回書いたように、レイラインの概念はイギリス人考古学者のアルフレッド・ワトキンスによって提唱され、その後、日本においても偶然の産物とはとても思えないレイラインが発見されています。このようなレイラインを構築できる、高度な幾何学や測量術、天文学の知識を持っていた民族が古代にいたことはまず間違いないと思っています。

ハロウィンとサウィン

今日はハロウィン。ハロウィンの起源は、もともと古代ケルト人の世界観と宗教観に根ざしたものでした。キリスト教にとってはそれは異教徒の祭りであるだけでなく、キリスト教以外の土着宗教を邪教と見下していたため、ハロウィンを悪魔の祭りとして否定していた教会もあったほどです。

僕はかねてから、自然のリズムに従うなら、一年の区切りはグレゴリオ暦における元旦ではなく、一年のうちでもっとも日が短い冬至とするべきであると思っています。したがって冬至を過ぎて最初に行く年末の神社参拝が僕個人にとっての初詣です。

古代ケルト人も、それとほぼ同じ考え方を持っていたようです。
一年を四分割した冬至・夏至・春分・秋分。これをさらに二分割し八つに分けた概念を車輪になぞらえて、ホイールオブザイヤー(Wheel of the Year : WY)と呼びます。

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このWYにおける冬至(Yule)の一つ前の区切りが11月1日、サウィン(Samhain)。このサウィンは、古代人にとっては「夏と秋の自然の恵みの終わり」を意味するものでした。

そのサウィンの前日である10月31日、太陽が沈んだ瞬間。古代ケルト人はこの瞬間を一年が転換する時と考え、この年の収穫に感謝の祈りを捧げる祭りが夜通し行われました。

食糧生産技術と保存技術が確立して一年中食べるものに困らない現代人にはピンとこない区切りではありますが、古代人にとってサウィンは生死に直結する、ある意味WYでもっとも重要な日です。

視点を人間に置けば一年の区切りに相応しい日はサウィンとなり、自然(太陽と地球)に置けば冬至となる、という違いはあるものの、このどちらも本質的には同じ考え方に根ざします。

サウィンは人間にとって精神的な陽から陰への転換点でもあり、気分的に陰鬱になる事から、やがて「死」や「悪霊」といった概念と結びつけられていった。これが今日のハロウィン祭の起源です。

なおこの日を「ハロウィン」と呼ぶようになったのは、キリスト教がサウィンと同じ11月1日を諸聖人の日(All Hallows' Day)と定め、その前日なのでAll Hallows' Eveと呼んだ。これが変化してHalloweenとなったという説が有力です。

サウィンと諸聖人の日が重なったのは単なる偶然かもしれませんが、「あえてサウィンと同じ日にキリスト教の祭りを盛大に催すことで、サウィン祭の伝統を消滅させることを目的としてキリスト教会が仕組んだ」という説もあります。
結果的には、形式上はケルトの祭りの色が濃く残り、名称だけキリスト教の祭りに置き換わった形ですね。

今となってはすでに自然信仰や宗教色も抜けきって、単なる仮装パーティとなっているので、その起源を気にしている人はほとんどいませんね。

アイルランドと日本に存在する古代の太陽観測装置

やはり東経137度上にある岐阜県に、金山巨石群という遺跡があります。これは、冬至や夏至などが差し込む太陽光によってわかるように設計された、古代天文学に基づく人為的構造物であることが近年の調査でわかっています。

古代ケルト民族の時代よりさらに古い先史時代のブリテン諸島にも、金山巨石群と同様の太陽観測遺跡がすでにありました。代表的なのはアイルランドのニューグレンジです。ニューグレンジの壁面には、縄文のモチーフと同じ、渦巻文様が描かれています。

しかしやはりキリスト教の土着宗教敵視の影響なのか、古代人が非常に優れた天文学の知識を持っていたことを裏付けるようなこれらの遺跡は近年になるまで発掘調査すら行われていなかったどころか、破壊もかなり行われています。
あの有名なストーン・ヘンジに至っては、近世になって位置が変えられているし積み方も元々の積み方ではないと言われています。


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