マガジンのカバー画像

神社めぐり

11
全国の神社をめぐる旅の記録と探求
運営しているクリエイター

記事一覧

+3

上色見熊野座神社

淡路・徳島の神社と磐座を巡って感じたこと

二泊三日で淡路島と徳島県へ行ってきました。 徳島県の神山の立岩は言葉にできない素晴らしさでした。この日本という国と神道の根幹を築いたと言っても過言ではない、阿波忌部氏の先祖が崇拝した磐座の女王です。 逆に淡路島の伊弉諾神宮では特になんの感動もありませんでした。この場所自体は阿波忌部氏ら古代人の聖地であったことは確かですが、明治時代に現在の伊弉諾神宮の社殿が建てられたことで、すでにかつての信仰とは別物になっているようです。 私は神社には二つの役割があるという事を以前から薄

私が神社巡りをはじめた理由④六芒星ライン

旅から帰宅後、石巻山で見た六芒星と串呂学なるものがとても気になり、寝る間も惜しんで地図とにらめっこしていました。まず最初に行ったことは、日本に点在する六芒星に関係する神社や聖地を調べ、それらを地図上で線で結ぶこと。この作業に意味があるのかどうか私自身にもわかっていませんでしたが、最初に石巻山にたどり着いたのもまさに「線で結ぶ」という作業の結果なので、直感的には意味があるような気がしていました。そうして調べて見つけた神社や聖地を、最初の三輪山〜石巻山ラインに重ねてみました。

私が神社巡りをはじめた理由③縄文時代と串呂学

今井さんの本職は建築の設計士。縄文時代の人々の暮らしにも造詣が深く、建築の専門家の観点から縄文時代の住居について考察されていました。以下、今井さんの話を概略で書きます。 私には「人の話を集中して聞き続けられない」という特性がありますが、今井さんの話は、不思議と特に意識しなくても自然に頭に入ってきました。子供の頃、親から説教されている時でさえまったく関係ないことを考えていて説教の内容を何ひとつ覚えていなかったほど集中力のコントロールが困難な私にとっては、これほど長時間、疲れも

私が神社巡りをはじめた理由②石巻山の六芒星

石巻山をwolf toneの聖地と勝手に決めた私は、石巻山についてネットで調べ、とても驚きました。「大神神社の社伝には三河の石巻山が三輪山(大神神社)の『奥の院』であると記されている」という情報を見つけたからです。そんなことはまったく予想もしていませんでした。 この情報の真偽は不明です。ただ、なんの知識も持たなかった私が、大神神社から石巻山へと直感によって導かれるようにたどり着いた事とこの情報とがつながっている気がして、証拠こそないものの、両者には深い関連性がある、という感

私が神社巡りをはじめた理由①発達障害と狼の聖地

私が個人的にライフワークとしている古代史の探求は、不思議な縁でつながった神社巡りからはじまりました。そのきっかけの話を書いていきます。 そもそもの始まりは、私の障害に関係しています。私は発達障害(ASD/PDD)の当事者であり、15年以上前から発達障害者のための交流場として発達障害SNSを運営していました。(追記:2023年7月閉鎖) 実はこの発達障害SNSを作った当初から「発達障害」という言葉はできればあまり使いたくないという思いがありました。 この障害が現実に「障害

再生

伊勢・熊野 写真旅 | VLOG | 雨上がりの神宮に行ったら美しい光芒が待っていた

先日の伊勢・熊野旅行で撮った写真と動画を編集してYouTubeにアップしました。 動画投稿は初挑戦です。新しいことを覚えるのは楽しいですね。

+8

伊勢神宮へ行ってきました

+3

熊野のとある聖地

中央構造線と神籬から紐解く古代日本(1)

神籬石の分類 神籬(ひもろぎ)とは、古代の日本において、神が降りてくるとされるもののこと。依代(よりしろ)とも言います。巨石や樹木などの自然物が神籬とされる事が多く、そのなかでも個人的に関心があるのは巨石信仰、立石信仰です。 僕がこれまで見聞きしてきた情報からざっくりまとめると、神籬とされる石は大きくわけて二種類に分類できます。一つは古代人がもともとそこに存在していた自然の巨石を神として祀った巨石信仰。この巨石信仰では、石の場所は元の場所から大きくは動かされていないものと思わ

白山中居神社での、とある体験

2018年某日、岐阜県の白山中居神社に参拝に行った時の事です。日常の色々な事が心の重荷になり、心身ともに疲れてまたふらっと癒やされに行ったという感じです。山奥にある白山中居神社はたいていほとんど人がおらず、大木と川に囲まれて静かで清らかな空気が流れていて本当に癒やされるのです。その日も僕一人だけでした。 日の出からしばらく経った頃に拝殿の前に立ちました。参拝を終えたまさにその瞬間、木々の間から太陽の強烈な光が差し込んできました。この時の太陽の光はなぜかいつもとはまるで違いま