淡路・徳島の神社と磐座を巡って感じたこと

二泊三日で淡路島と徳島県へ行ってきました。

徳島県の神山の立岩は言葉にできない素晴らしさでした。この日本という国と神道の根幹を築いたと言っても過言ではない、阿波忌部氏の先祖が崇拝した磐座の女王です。

逆に淡路島の伊弉諾神宮では特になんの感動もありませんでした。この場所自体は阿波忌部氏ら古代人の聖地であったことは確かですが、明治時代に現在の伊弉諾神宮の社殿が建てられたことで、すでにかつての信仰とは別物になっているようです。

私は神社には二つの役割があるという事を以前から薄々感じていて、今回の旅で改めてそれを実感しました。

役割の一つはもちろん純粋に神を祀るため。

もう一つは「ご利益」で人の関心を惹きつけておく事で、本物の聖地に人々が必要以上に押し寄せないようにするための目逸らしの役割です。
伊弉諾神宮の役割は後者だと私は感じました。こういう事はやはり実際に現地を訪れてみるまでわからないものですね。伊弉諾神宮の本殿のさらに奥に参拝者が入れない領域があり、塀の隙間から磐座かもしくは古墳の石室の一部らしきものが見えたのですがはっきりとはわかりませんでした。

また、伊弉諾神宮には事実とは異なる日の道しるべのモニュメントが存在することもいっそう皮肉めいています。間違っているという指摘はおそらく何件も寄せられているでしょうが、今のところ修正される気配もなさそうです。まるで「盲信するものは足元を掬われる」を神社側が体現しているかのよう。

目逸らしの役割を担う神社は、いわば人の欲が集まる場所であって神聖さを感じないのも道理であり、また自ら汚れ役を買ってくれているとも言えるので、私が最も感謝しなければいけないのは実はこちらなのかもしれません。そのおかげでほとんど誰も訪れることがない、神山の立岩のような本物の聖地に一人きりで静かに向き合わせてもらえているのだから。

写真よりは動画の方がまだその場の空気感が伝わりやすいと思い、今回は動画メインで撮ってきたので、後日YouTubeにアップする予定です。しかしその迫力というか神々しさはやはり現地を実際に訪れた者だけにしかわからないと思います。車でしか行けない場所で、道は正直めちゃくちゃ怖かったです。整備する予算がないのか、それとも予算はあっても人手が足りないのか、石や折れた木の枝などが道にごろごろ転がっていました。

三重県北部の謎の領域

私の家は愛知県西部なので、関西方面へ車で行くときは必然的に琵琶湖の南側、つまり滋賀県南部から三重県北部にかけての一帯を通ることになります。そしてこのあたりを通過する時に毎回、不思議な神々しさを感じていて、何年も前からそれがずっと気になっています。

今回もやはりそれを感じました。

神社を目印として言えば多賀大社、多度大社、椿大神社を結ぶ三角形のあたりです。この三角の中心あたりには宇賀渓という渓谷があり、特にこのあたりで毎回不思議な感覚に陥るんですよね…。本当言葉にはできませんが強いて言えば二千年前の磐座信仰時代の空気感の生々しさが残されているかのような印象を受けます。

この「宇賀」という地名からは、古代の穀物神である宇迦之御魂神うかのみたまのかみの名が頭に浮かびます。また、この宇賀渓のある場所は三重県いなべ市。この「いなべ」は忌部に由来している事も間違いありません。この付近の山中に、忌部に繋がる一族が重要な何かを隠したのではないかという気だけはしているのですが、その謎解きの手がかりになりそうな情報は今のところ何一つありません。手がかりは私の嗅覚だけなのです笑

もう一つこの事に関係していそうなのは、弥生人系天皇家の祖である天忍穗耳命を祀る阿賀神社(太郎坊宮)です。阿賀神社と多賀神社は対の関係にある事は明白です。なぜなら「あ」は「我」を意味し、「た」は「我以外」を意味するからです。すなわちこの二社は陰陽の関係にあります。

淡路島の、現在は伊弉諾神宮がある場所の地名も同じく「多賀」。淡路島はまるで琵琶湖をごっそりくり抜いて反転させたような形状をしています。淡路島と琵琶湖もまた陰陽の関係にあると言えるのです。忌部氏と天忍穗耳命、そして手がかりが何一つない宇賀渓付近の不思議な感覚。知れば知るほどかえって謎が深まっていきます。

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