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短編小説「春はあけぼの、夏は昼」

 ぼくらが生まれる前、季節は四つに分かれていたのだという。
 古文の時間に「春はあけぼの」という一節から始まる平安時代の女性作家の随筆を読んだが、その文は四季おりおりの美しさをぼくらに伝えてくれた。
 むかしは景色も綺麗だったんですね。そう言ったら古文の教師は「いやいや、四季はもっと最近まであったんだよ」と笑った。おれが子どもの頃くらいまでかなあ。教師は懐かしげに遠くを見て言った。
 その頃は、まだ春と秋がほんの少しあったのだという。桜が咲きほこる春と、景色が色とりどりに染まる秋。今では少し寒い冬と、猛暑という言葉ではすまなくなってきた長い長い夏があるだけだ。三月にもなるともう暑さが始まり、十月頃まで続く。夏の夕方は決まってスコールが降り、湿度が上がり、不快指数をさらにあげる。
 なんでこうなっちゃったかねえ。国語教師は禿頭の汗をふきながら講義を続ける。今では、最高気温が四十度を超える日はめずらしくないどころか日常茶飯事だ。
「……やうやう白くなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたびきたる」
 何度も読んでいたら、すっかり覚えてしまったその冒頭部分を口に出す。四季について書かれたこの文章はとても視覚的で、それぞれの季節の美しいところを思い浮かべられるほど、はっきりしている。しかし蛍とはなにか、雪はどんなふうに降るのか。古い写真や動画で見たことはあるが、それと千年前の風景はまた違うのだろう。
 いいなあ。
 美しいものを見た千年以上前に生きた女性に軽く嫉妬する。
 自分が知っていて彼女が知らなかったことといえば、ひまわりくらいかもしれない。ひまわりは十五世紀頃から栽培されており、日本に伝来したのは十七世紀ごろだという。だから、見渡す限りのひまわりの畑を、彼女は知らないはずだ。暑いのは嫌いだが、ひまわりは好きだ。隣の県に、撮影スポットとして有名なひまわり畑があり、ぼくはよくロードバイクに乗って行くのだった。
 メッセンジャーバッグに一眼カメラを入れて、ひたすらペダルをこぐ。幸い県境もそれほど坂ではないので、ぼくみたいな帰宅部のひょろっちいもやしでも一時間もあれば到着する。
 このひまわり畑はかつて原子力発電所が爆発したときに放射能を浴びて、使えなくなった農地の土を改善するために植えられたのだという。同じような大きさの花が、見渡すかぎり一面に、人工的に植えられているのをグロテスクだという人もいた。でもぼくはここのひまわり畑が好きだった。
 今日はまだ四十度を超していない。
 キャップと首に巻いた保冷剤のお陰で、熱中症にはならずにすんでいる。ときどきドリンクを飲んで、木陰で休めば、耐えられない暑さでは、まだない。
 バッグからカメラを取り出し、広角レンズを付けて畑にピントを合わせる。肉眼では、まだ畑以外の部分も見えるのでそこまでではないが。カメラで見ると、世界中がひまわりで埋め尽くされたような気になってくる。ひとり、世界にひまわりとともに置いていかれたような気分になる。それが、どうしようもなく、好きだ。
 ひとしきり撮影に夢中になったあと、さすがに暑さに負けて影になったあぜ道にシートを敷き、座り込んだ。座るとひまわりの背の高さに負けて、空が狭くなる。緑と黄色だけの世界が何処までも続く。先年以上前のかの作家なら、この景色をどう形容しただろうか。
「夏の日に、」
 ふと五音を思いついた。このあいだ国語の時間に俳句と和歌について学んだ。五・七・五のリズムは日本人には心地よく聞こえるらしく、無意識にそのリズムを口ずさむことが多いらしい。
 しかし続きが出てこない。ぼくにとっては国語は数学などと比べれば得意な教科ではあったが、何かを作れるほど、才能がない。小説を書いたり、短歌や俳句を作るような機知に富んだこともできず、ただスポーツドリンクをごくごくと飲んで、ひと息つく。
 学校でいじめられているわけでもない、ましてやいじめている方でもない。成績は数学を除けば中の上から、上の下だ。
 けれど、学校には自分の場所がないように感じていた。
 人と協調するのが自分は苦手なのだろう。ひまわりだとたくさん並んでいると美しいと感じるのに、人だとどうして無理なのか自分もわからない。どのクラブにも入ることができず、ぼくにとって学校は、通うのがつらいというほどつらくはないが、少し息苦しい場所だった。
 シートの上にごろりと寝転んだ。空の青と、雲の白と、ひまわりの黄色。からりと晴れていたので今日の不快指数はそれほど酷くない。あとで臭くなるのをのぞけば、汗が出るのも悪くない。風にあたると涼しく感じられるのは心地いい。ついうとうととしてしまいそうになった、そのときだ。
「だれかいるの」
 頭上の方から、声が聞こえた。少し甲高い、声。
 目を開けて上体を起こし、振り向くと、ひまわりに隠れるようにして、子どもがひとり、こちらを見ていた。
 白いTシャツと、薄いブルーのハーフパンツから細い棒のような手足が伸びていた。どこかのチームの野球帽をかぶっている。年の頃は五、六歳くらいだろうか。小学生ほどの世慣れた感じはなく、遠慮深げにこちらを見ていた。
「こんにちは」
 学校に行くのは好きではなかったけれど、別にぼくはコミュ障というわけではない。にっこり笑って話しかければ、怖がられることはないだろう。でも、その年頃の子にとっては中学生なんて怖いものなのだろうか。返事はなかった。
「こんにちは。暑いね」
 できるだけやさしい声でもう一度話しかける。ちょうど座ったままのぼくの目線と、子どもの目線は同じくらいだった。
「おかあさんは?」
 このくらいの年の子がひとり歩き回っているのはどうも不用心な気がしてならない。近くにきっと誰かいるのだろう。子どもは返事をしなかった。ただ、大きく、黒めがちな目で、じっとぼくを見る。その表情から、恐ろしいとか怖いだとかよりも、好奇心が勝っているように感じる。でもぼくに近寄ろうとはしない。
 おばあちゃんちで飼っている猫を思い出した。臆病で、怖がりなんだけれども、新しい人間を見たら、距離を取ってじっと見ている。こちらが少しでも動こうとしたら、嫌がって一目散に逃げてしまうのだけれど、こちらが何もせずにじっとしていると、少しずつ距離を縮めて、最後にはそっと尻尾でぼくの手をたたいていくのだ。
 ぼくはかれにかまわないそぶりをしながら、目をそらした。小型扇風機で顔をあおいでいると、風が汗を乾かしていく。
「水飲む? 熱中症になっちゃうよ」
 子どもは何も持っていない。車で畑を見にきた親とはぐれたのかもしれない。ぼくはボトルから水をコップに注いで手を伸ばしてみた。喉が渇いていたのか、子どもはようやくこちらへ来てコップを手に取り、水を飲んだ。よってきたかれに木陰をゆずる。よほど喉が渇いていたのか、一気に飲んだかれのコップにもう一度水を注ぐ。
「どこから来たの」
 このくらいの子どもはどれぐらい話がわかるんだろうか。少なくとも自分はこれくらいの頃の記憶があまりない。親戚にも似たような年の子はおらず、どう接していいものかわからない。
 あっち、と子どもはひまわり畑の向こうがわを指さした。このあたりに民家はない。ひまわり畑の他は、造成された太陽電池パネルが並んでいる。つまらないのでそれよりさきにぼくはいったことがない。
 尋ねておいて、ぼくはふうん、と気のない返事をした。そのうち親も探しに来るだろう。水を飲んで落ち着いたのか、にっこりと笑った。
 何をしてもかわいい頃だ。子どもは脇に置いてあったカメラに興味を示した。広角から軽い望遠までカバーするレンズがついているそれは結構でかい。カメラを落とさないように支えながら、ひまわりが山ほど写っているのを見せると、嬉しそうに声をあげた。ふとカメラを構え、かれに向かってレンズを向けると、きょとんとした顔をした。
「笑って」
 写真を趣味にはしているが、あまり人は撮ったことがない。学校にカメラを持っていくことはない。撮りたいと思うひとがいないからだ。なのにどうしてだろうか、かれの写真は撮ってみたいと思った。笑って、といわれて上手く笑える人は実は少ない。子どももやや緊張した面持ちで口角を上げるが、かわいい笑顔とは言えそうにない。
「はい、撮れたよ」
 そう言ってファインダーから目を離すと、かれは安心したように笑った。そこを撮る。目が細くなり、白い歯が光る写真が撮れた。
「見る?」
 もうかれは警戒心などどこかへ行ったかのようにぼくに寄ってきた。カメラの仕組みがまだわからないのだろう。不思議そうに目をぱちくりさせた。
「————ちゃーん!」
 よく聞き取れなかったが、母親が子の名を呼んでいるのが聞こえた。かれはそれに反応した。母親なのだろう。その声のする方へ走ろうとするかのように立ち上がったかれは躊躇うように一瞬ぼくの方を振り向いた。
「また来るから、そのとき遊ぼうね」
 子どもの頭をなで、ばいばい、と呟くと、かれは身をひるがえして母親の居るらしきところへ駆けていった。こけたりしないかな、とぼくはかれの後ろ姿が消えるまでうしろから見ていた。
 そろそろ日が傾いてきている。夕暮れのひまわりはどこか憂いをおびたような姿を見せる。場所を移しながら何枚かを撮り、自転車でぼくの街へ帰った。
 母に追い立てられるようにして風呂に入り、夕食を食べた。部屋でひとりになってからカメラの写真をパソコンに入れる。なかなかよく撮れた方だと思う。カチカチと乾いた音が部屋に響く。
 いくら探しても、かれを撮った写真がない。
 そう気付いたのは、夜も十時を過ぎた頃だった。
 そもそも男の子だったのか女の子だったのかもよくわからなかった。
 もしやかれは人ではなかったのか。疲れと眠気に襲われながら、別に何でもいいや、とぼくは考えることを放棄して横になった。

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