手紙

多くの言葉を知り、時間があれば本を読んでいたのに、こんなときに限って筆は動かない。
文豪の足跡が虚空に乱立していく。その中でも常に谷崎潤一郎『刺青』の文頭は染色され見える。私は「愚」であり続けたい。
顔を見ればいくつもの言いたいことが頭に浮かび、それゆえに饒舌になってしまうのは想像力の欠如が根底にあるから。
僕は旅立つ。
あなたは手紙は特別だから好きだと言っていた。今もそうかはわからないけど、少なくとも嫌いでは無いと信じて綴っている。
僕はというと、とても手紙が好きだ。手紙は一方的に相手に読ませられるという側面を持つので強引、束縛などの言葉がふさわしいと感じる。そんな身勝手でわがままな手紙が好きだ。
ただ別の心配もあった。あなたはクリスマスに彼氏と手紙を交換すると言っていたが、きっとこれを読むのはそれより前だろう。それは彼氏に対して少し失礼な気がする。考えすぎと言われるかもしれないが、僕は誰からも嫌われたくないタチなので、それが好きな人の好きな人であっても。
日記を書くのは苦手だ。時が流れが体に染み付くから。しかしもっと単純に‐この手紙のように‐なにを書けばいいかがわからない。もちろん24時間、睡眠時間を多く見積っても12時間程あれば、何かしら書くべき出来事は起きるし、特筆することが無ければ床から起きる、食べる、シャワーを浴びるなどのコピーアンドペーストばかりの日記でも誰も文句は言わないし、嘘を書いたって誰にもバレやしないのはわかっている。わかっているはずのことができない。僕は普通のことができない。あなたがよく知っているように。
あなたはできないことを叱ってくれた。愛情と何が違うかを説明することはできないが、それが負の感情から来るものでは無いことを知っている。ひねくれている性格の僕は正しいことを言われると腹が立つ。叱るという大義名分を得て僕より優位に立とうとする者が多いから。しかしあなたは自分の発した正しい言葉に負い目をもち、あろうことか僕に対して謝った。それがあなたの強みであり、あなた自身である。
明確にその人のことを好きになった瞬間を覚えてる人はいるのだろうか。少なくとも僕は覚えてない。生まれたときから好きだった気もするし、未だに好きとは言えないかもしれない。あなたの持っている魅力に惹かれたのではなく、それらの魅力をあなたが持っているからこそ好きになったということである。卵が先か鶏が先か。魅力的だから好きになったのか、好きだから魅力的に感じるのか。答えは出ないが、きっと後付けでも結果は変わらない。そして当たり前なことにその魅力に気づいているのは僕だけではない。とても美しいことである

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?