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【エッセイ】暗号解読デビュー





 数年前の4月、僕は大学の教室で、期待に胸を膨らませていた。



 大学に入学後、初めての「対面授業」だった。


 当時、新型コロナウイルスの流行により、高校の頃の僕が思い描いていたキャンパスライフは儚くも砕け散った。

 ほとんどの授業がオンラインで開講され、サークルの新歓は中止、クラスの顔合わせはZOOMで行われる始末だった。

 現にせっかく大学生になれたというのに、入学後数日間は自宅に缶詰になって動画を見続けるという、なんとも言い難い悲惨な境遇に置かれていた。

 だが、その不遇も今日で終わる。初めての対面授業。少し前までは当たり前だった、同級生と肩を並べて授業を受けるという行為が、なぜだかとても新鮮に思え、若干の緊張すら感じていた。


 科目は【スペイン語入門】。

 発音が簡単らしい、という安直すぎる理由で選択した、いわゆる第二外国語の講義だった。

 よし!ここから始まるのは僕の華々しい大学生活だ。コロナなんかに負けるか!ここから挽回だ!
最高の友人たち、燃えるような恋愛、居心地のいいサークル、朝まで盛り上がる飲み会、本気で打ち込める学問。学びに溢れたインターンやボランティア。「人生の夏休み」たるこの4年間という膨大な時間を余すことなく謳歌し、そのすべてを手に入れてやる。……とまあそんなことを恥ずかしげもなく考えていた。



 ……なんてピュアで愛らしいのだろう、俺。
「数年後のお前は、暇すぎて家で一人ニタニタしながら自分語りエッセイなんて書いちゃってるよ」と、耳元でやさしく囁いてあげたい。




「すいません、教科書忘れてしまったんで、見せてもらってもいいですか?」


 隣の人が話しかけてくる。これは友達を作るチャンスだ!


「ええ、ぜひぜひ!」

「あざす!」

「スペ語、絶対むずいよね…」

「いやー、確かにまじヤバそう……」


 小さくない期待と大きすぎない不安と少しばかりの気まずさが混ざり合った、藁半紙くらい薄っぺらい会話を展開しながら、僕たちは開講を待った。



「Hola!!」


 やがて教室の扉が開いたかと思うと、堀の深いイケメン外国人が入室してきた。たった今放たれた言葉が風変わりな一人称ではなく、スペイン語の「こんにちは」に該当する語句であることは、流石の僕にも理解できていた。


「「「オラ!!!」」」


 クラスのみんなもそうだったのだろう、全員で元気よく挨拶を返す。

 一方で、僕は自分の中でこれまでの熱が一気に冷めて行くのが分かった。

 この授業、英語でやるのかよ!

 先ほどから日本語を使う雰囲気がない外国人教授の様子見れば、それは明らかだった。絶望だ。

 僕は高校の頃、英会話系の授業が最も苦手だった。だが、その類の授業の難しさは慣れない英語でのコミュニケーションにあるのであって、扱う内容は取るに足らないものだと相場が決まっていた。

 しかし、である。今回学ぶのは「スペイン語」なのだ。20年近く生きてきて縁の無かった第二外国語を一から覚えるという至難の業をやらねばならないのだ、英語で。コミュニケーションとコンテンツのダブルパンチ、流石に難易度が高過ぎるだろう……このままでは本当に単位取得すら怪しくなってくるのではないか。

 確かに先ほど隣人と、「不安だ」と言い合った記憶はある。だがそんなものはポーズだ。結局のところ一年後には「大学の授業なんて情報戦。つまり協力できる俺らにとって単位取得なんてヌルゲーだよなHAHAHA!」なんて笑い合うところまでは既定路線だったはず。それなのに英語って……


 いや、待てよ。僕は一度冷静になる。

 俺は去年の一年間、何をしていた? そうだ、受験勉強だ。コロナ禍で嫌でも家に篭ってやらされた。当然リスニングだって浴びるほどやった。英検もTOEFLも受けた。今の俺なら、教授が英語で話す授業だって乗り越えられるんじゃないか?

 それに、だ。僕は隣の奴と視線を交わしながら考える。教授の使用言語が何であろうと、「仲間と協力して単位を取る」という、先ほど考えた講義に臨むスタンスは変えなくていいはずだ。分からないところは、助け合えばいいのだ。

 やれる! 僕なら、いや『僕たち』なら、やれる!

 再びやる気を漲らせ、教授の次なる発言を待った。




「………………………………!?」


 だが、イケメン外国人がにべもなく言ってのけた次のセリフを、僕はほんの一単語も理解することができなかった。

 教室内に動揺が広がっていく。

 それに気づいているのかいないのか、教授は流暢に「何か」を喋り続けている。まるで僕は未知なる宇宙人と交信しているような錯覚に陥った。


 一体、何が起きている?

 何故こんなにも英語が聞き取れない?あれほど勉強したんだ!英語なら聞き取れるはずだ!英語なら………


 そして、僕の中に恐ろしい仮説が浮かび上がった。







 先ほどからあの男は、スペイン語を話しているのではないだろうか。



 その仮説が正しいと証立てるように、教授は黒板に見たこともないような綴りの英単語、ではなく「西単語」を書き連ねていく。それは無慈悲で、残酷で、悍ましい光景だった。全てがスローモーションに思えた。期待に満ち満ちていた未来のキャンパスライフが一瞬にして粉々に崩れ去っていく白昼夢を、あの時僕は確かに見た。終わった。もう完全に。僕が大学生活のスタートダッシュを諦めた、確固たる瞬間だった。



 その日からその授業は僕にとって「スペイン語」ではなく「暗号解読」に変わった。

 スペイン人のスペイン語によるスペイン語学習のための講義。どこかの大統領が言いそうなフレーズだが、この授業はそういう授業だった。

 考えてみれば、英語を習い始めたばかりの中学の最初の頃にだって、英語で喋る授業は存在していた気がする。しかし、その頃と今とでは、言語の習得能力も、学習に対する意欲も、同じような体験に対して消費するカロリーも、何から何までまるで違うのだろう。

 受験勉強という悪夢から解放され、一切の学習意欲を喪失したばかりの大学一年生にとって、あの授業はもはや、時給が発生しないと納得出来ないレベルの「作業」だった。しかも、いっぱしに脳に汗かく「頭脳労働」ときた。

 教授は誰一人理解できていないスペイン語を喋りながら、何一つわからない西単語を黒板に羅列する。僕らはそれを見て「あれワンチャンbe動詞のこと言ってね?」「もしかして関係詞のことかね?」と推測しながらとりあえずノートに書き写す。

 皮肉にも「友人と協力する」という当初の構想を遺憾なく実現しながら、僕らはスペイン語で板書された「暗号」を矢継ぎ早に解読していった。解読した内容が果たして合っているのかどうかは、誰にも分からなかった。


 それでも何とか、ペーパーテストや作文、スピーキングを乗り越え、一年後、僕は大き過ぎるトラウマと引き換えに、ボーダーギリギリの成績で単位を取得した。クラス内には、残念ながら単位を取れず、もう一度あれを受けるという、文字通りの地獄へ送還された人間も多く存在していた。もう外国語なんてこりごりだ。成績発表の日、そう強く感じたことを今でも覚えている。



 もう今となっては、あの時学んだスペイン語もとい解読した暗号なんて、何一つとして覚えていない。



 ただ、あの【スペイン語入門】を上回るインパクトを持つ大学の講義を、僕は未だに経験していない。



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