日中関係と偏見・誤解分科会コラム①、吉田優太

こんにちは。文科一類一年で2020年度京論壇日中関係と誤解偏見分科会の吉田優太です。
まだキャンパスに通うことすらできていない生粋のフレッシュマンなので文章の稚拙さはご容赦ください笑
 今回は京論壇での活動の中でふと感じた、分科会名にも関係する日中の相互理解について僕の思うところを述べたいと思います。とはいっても前置きとして、特に明確な結論や提言があるわけではないことは先に記しておきます。

 分科会では回を重ねるごとに日中での物事の見方の違いが浮き彫りになります。例えば、中国側が歴史問題を提起し日本側がそのことに違和感を覚えるのには、第二次世界大戦での日本の立場の二面性が関係しています。すなわち戦時の日本は、中国側では本土へ攻め込んだ侵略者としての加害者性が、日本側では兵士が無理やり戦場へ駆り出され民衆は苦しい生活を強いられたという哀れな被害者性が、それぞれ強調されているのです。なるほど中国では日本兵士への赤紙があまり知られていないし、日本でも戦争を題材にしたメディアでは日本軍の集団としての残虐性は滅多に描かれません。この違いは日本で意識せず過ごしていたら中々気付くことはできないのではないでしょうか。
 相互理解を進めるためにはこれらの違いに気づくことが不可欠です。つまり逆説的ですが、相手をよく知るための相互理解には違いに気づくための相手の情報を必要とするのです。
 とはいっても相手の情報もそうそう簡単には手に入りません。却って誤解を深めないためにも様々な立場からみた対象への視点が求められます。おそらくその視点を手に入れる最も効果的な方法はもちろん当事者同士の議論でしょう。これはまさに京論壇で行なっていることであり、理屈や社会的通念ではなく個々人の価値観というリアルをベースにしているからこそ成立するものでもあります。
 そして僕が京論壇の議論の中で痛切に感じたのは語学の大切さです。語学は相手の国の情報を得るためのツールとしての役割に加えて、当事者同士の議論の潤滑油としての機能も果たします。言語はその国の文化を反映としていると言われるように、言語学習の上でその国の情報を得られるだけでなく、相手との議論も容易かつ生産的なものとなり、日本のメディアを通さないその国の実際の状況や世論を知ることができるのです。
 少なくとも日本においては語学=英語という印象が強く、中国語を含めほかの外国語を習得を目的に学ぶ人はかなり少ないのではないでしょうか。語学は実用性や難易度を中心に論じられることが多いですが、その前に言語の持つ本質的な特性に目を向け強調していくべきだと僕は思います。

 このような相互理解へのプロセスやその他人間社会での問題をじっくり一から考えることが出来るようになったのは、京論壇での議論やメンバーからの影響が大きく、また我ながら人間的な成長だと思います。
 京論壇では他者との価値観の衝突がよく挙げられますが、それと同時に自らの価値観を見つめ直す貴重な機会を得ることができました。京論壇に入って本当に良かったです!10月に控える北京セッションも頑張りたいと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?