医療技術と死生観分科会コラム①「ジブリ映画と新型コロナウイルス 」、近藤環衣

はじめに

 おそらく2020年度京論壇メンバーの最初のコラムということで、何を書こうか迷いましたが、最近観た映画で考えたことを書きたいと思います。(本当は、「人権」とは何か、や、そもそも「人権」という言葉はどのような経緯で生み出され、このような日本語になったのか、などといったことを書こうと思いましたが、一人目なのでもう少しゆるく書こうと思います)。また、こちらに書いているものはあくまで個人の感想であり、一部ネタバレも含まれますので、閲覧にはご注意ください。
 私は映画を観るのが好きで、緊急事態宣言が明けて真っ先に行ったのは映画鑑賞だったと思います笑。とびきり嬉しかったのが、ジブリ映画が映画館で上映されたこと。「一生に一度は、映画館でジブリを。」というコンセプトのもと、4本の映画が再上映されました。ここでは、映画館に観に行った順で振り返ってみようと思います。

ゲド戦記

 評価はそれぞれだと思いますが、4作品の中で一番好きな作品で、公開初日の朝一で観に行きました。観る前に記憶に残っていたシーンは、怪しいおじさんが「ハジア」を主人公に売りつけるシーン。「ハジア」は麻薬の一種で、友人に聞くまで私は「アジア」と聞き間違えて覚えていました。アジアで流通した麻薬のことなのかと思っていたら、そういうことではないようです。話を元に戻すと、改めて観ると、劇中の最初の方で「疫病は世界の均衡を保つ作用だが、今起きているハジアの流行や人身売買は世界の均衡を崩すものだ」といったような趣旨を述べたキャラクターの言葉が耳に留まりました。具体的には覚えていないのですが、人々の争いや憎しみ合う心も均衡を崩すというような内容もあったと思います。現在流行している新型コロナウイルスが、世界の均衡を保つためのものだとすれば、何を意味するのか。英国留学時代に行った歴史ディベートの内容を思い出しました。もう4年も前のことですので、具体的な内容は忘れてしまいましたが、世界的に流行った疫病(Black Death)で大勢の人が亡くなった結果、何人もの人が飢餓から救われた、といった内容の議論がありました。仮に今回の新型コロナウイルス流行が世界の均衡=人口を保つためだとすると、おかしな点があります。確かに、今なお世界中に飢餓に苦しむ人がいます。人間のおかす環境破壊などを考えても、人口は削減した方が地球にとっては良いのかもしれません。しかし、新型コロナウイルスが問題となる前から、世界の人口減少の可能性は叫ばれており、最近でも、米ワシントン大学の研究チームが発表し、英医学誌『THE LANCET』に7月14日に掲載された研究結果によって、出生率の低下により世界人口は2064年にピークを迎えたのち、今世紀末にはそこから9億人ほど減少するとの予測が立てられています[1]。今回の新型コロナウイルスは非常に多くの命を奪いました。それが何を意味するのか、仮に地球から発せられた何らかのメッセージだとするならば、何を訴えているのか。考えさせられました。

千と千尋の神隠し

 新型コロナウイルスとは話が逸れてしまうかもわかりませんが、人間の欲について考えさせられた作品でした。冒頭のシーンでは、主人公の親が飲食店の食品に引き寄せられ、中盤には手から金などの人の欲しいものをどんどん出すキャラクターが登場しました。人間には、多かれ少なかれ欲があり、時にその欲は自身を高めるなど良い方向に向かうこともあれば、「強欲非道」という言葉もあるように、欲に塗れ、自身や他人に災いをもたらすこともあります。昨今の新型コロナウイルスも人間の欲が引き起こしたものなのか、はたまた、それを浮き彫りにするものだったのか。またあるいは、その「欲」のせいで、これほどまで収束が長引いているのか。悶々と考えてしまいました。

風の谷のナウシカ

 人間の欲のせいで、人間にとって毒である胞子が蔓延し、マスクやゴーグルなしでは生きていけない世界を描いた作品。地球を再生する森を守ってきたムシたちは人間の攻撃を受け、怒ります。そのムシたちの怒りまでも、人間は自らの利益のために利用する。今回の新型コロナウイルスも元をたどれば、人間自身が招いたものなのかもしれないとこの作品を観て考えました。

もののけ姫

 こちらも、人間と生きモノ(もののけ)の共生やその大切さが描かれた作品。作中、製鉄所が出てきて、その中で感染症にかかった人々が隔離されているシーンがあります。もののけ姫を観終わった段階では、人間が自身の欲のために森を破壊したり、生きモノを無残に扱ったりするシーンに胸を痛めましたが、今改めて振り返ると、感染症との共存という「ウィズコロナ」の現代にも当てはめてみることができると思います。

終わりに

 総じて、ジブリ映画を通して、人間の欲や自然環境、生きモノたちの叫びについて考えると同時に、どのような状況下においても生き続けることの大切さを改めて感じました。今自分が生きているということは、何かによって“生かされている”ということ。様々な時代や歴史背景があり、自分が生きている重みを感じました。
 少数ですが、まだ上映している映画館もあるようなので、お時間のある方は是非いってみてください。一度観たことがある人ももう一度。今の現状や社会情勢と照らし合わせると、また違った見え方をするかもしれません。
 最後に、好きな言葉に「人間交際」というものがあります。あらゆる学問は、人と人との交流のためにあること、学問の究極は人間交際であること、という意味であると勝手に理解しているのですが、京論壇の活動を通しても、分科会での議論を通じて、人と人との繋がりを大切にしたいと思っています。

近藤環衣


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