【10月オンラインセッション報告記①】忘れられない体験を 〜田堂 皓也〜

きっかけは本当に些細なものだった。中国語の先生から「京論壇」なる団体の存在を知らされ、興味感覚で面接を受けた。なぜ、それまで興味のなかった学術系サークルに入ろうと思ったのかはあまり覚えていない。ただ、京論壇のホームページにある、びっしりと書かれた最終報告書に魅了されたのは確かだ。報告書には、白黒つけがたい議題について語り尽くした痕跡がありありと残されていた。このような本格的な議論をしてみたい。そう思った私は、提出締め切り間際にESを提出し、京論壇の門を叩いたのだった。
面接では、「死んだらどんな人だったと思われたいか」などこれまで考えたことのないような質問を浴びせられ、議長からは自分が書いたエッセイの穴を突かれた。東大にはこんなに物事を深く考える先輩達がいるのか。京論壇での最初の衝撃的な出来事だった。

北京セッションまでの準備期間、医療分科会である自分は様々な医療技術について勉強した。人一倍医療に詳しいと感じていた自分であったが、世の中には様々な技術、それに付随する倫理的問題があることを知った。楽しかったのは、各々の発表の最後に行う思考実験である。「自分だったらどうするか」という問いを立て、それぞれの価値観を交わし合う。分科会のメンバーは、それぞれが個性的で、人にはないような体験をしてきた人達であったので、このような議論はとても楽しかった。

そして迎えた北京セッション。新型コロナウイルスの影響でオンライン開催となったことは痛恨の極みであるが、私にとってはオンラインでの討論も十分刺激的であったし、多くを学ぶきっかけとなった。まず驚いたことは、北京大生たちの英語力である。中高と受験英語しか学んでこなかった私は、彼らの英語力を前に愕然とした。彼らの言っていることを聞き取るのが精一杯という事態を本当に情けなく感じた。このままではいけないと思い、積極的に発言をしようとするも、ただでさえ難しい内容を英語で語るのは至難の業である。言いたいことが伝わらない歯痒さを、初めて生で経験した。次に印象的だったことは、彼らが非常に我々に対して友好的で、多くの価値観を共有してくれたことだ。これを読んでいる方からすれば当たり前のことなのかもしれないが、外国人が自分の価値観を共有してくれる喜びは私にとってとても大きかった。同じような気まずさを感じたり、同じような場面で笑い合ったり、そのような些細なことが自分には暖かく感じられたのだ。このことは私の中国に対する漠然とした印象を覆すとともに、「実際に体験して得られた知識」がいかに重要かを痛感させた。それまで私は、中国含め海外経験が全く無く、ただ漠然と外国人に対してある種の恐怖感を持っていた。つまり、私は外国人に対して偏見を抱いていたのだ。一般的に、多くの偏見や誤解は、知識や経験の不足から生まれる。その知識不足を補う最大の方法が「想像すること」に他ならないが、この想像力には限界がある。事実、京論壇に入っていなければ、私はいくら想像力を働かせても、外国人が自分と同じ価値観を共有してくれるとは思い至らなかっただろう。北京大生との議論は、私の偏見を見事に打ち砕くものであり、とても貴重な経験だった。
北京大生との議論だけでなく、北京セッションでは京論壇の方々とも夜な夜な多くの議論をした。自分にとっては、京論壇の人たちとの議論も新鮮で、とても興味深かった。特に、お互いの価値観について語り尽くした夜は、今でも鮮明に覚えている。そもそも、価値観とはその人の思考プロセスの根本であり、そこにはその人がこれまでにしてきた体験や経験の全てが凝縮されている。つまり、価値観はその人の人生を映し出す鏡とも言えるのだ。京論壇が謳う「価値観の議論」とは、すなわち「人生の議論」であり、価値観を否定することはその人の人生を否定することにつながる。したがって、価値観を議論する際、我々は慎重であることが求められるが、私は「価値観の議論」の面白さはここにあると思っている。つまり、価値観が人生の体現であるがゆえに、それをぶつけ合うことは楽しいということだ。価値観を語る過程で己の人生を語り、それをぶつけ合う中で相手のことをよく理解できたり、相手に素直な尊敬の念を抱いたりする。「友情」が腹を割って話すことで生まれるのなら、価値観の議論は真の相互理解の上に成り立つ固い「絆」のようなものを生み出すのかもしれない。京論壇の人たちとの議論は、そう思わせるほど強い印象を与えるものだった。先輩だけでなく、同輩にも自分とは比較にならないほど物事を深く考え、追究する人がいることを知ったし、「考え、追究する」という行為の崇高さ・美しさを改めて感じた。

濃密な時間は過ぎ、結局北京側との議論は大した衝突もなく平和に終わった。テーマがテーマであるだけに、相手を一方的に否定する場面がなかったのだろう。ただ、私は同じ地平にいることが確認できただけでも十分な成果だと思う。次の東京セッションでは、お互いの価値観を認め合うだけでなく、何らかの確たる合意を形成したいと思う。抽象的なものではなく、具体的な事物に関する合意を。そのためにも、私は英語の能力を上げなければならないし、分科会全体でも、もっと充実したリサーチを行い、分科会において何らかの統一した意見を用意しておくことが必要だと感じた。
また北京大生と語り合い、京論壇のみなさんと議論し合いたい。東京セッションが今から楽しみで、待ちきれない。

田堂 皓也


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