【10月オンラインセッション報告記③】偏見や誤解を考えるにあたって 〜韓 浜澤〜

日中分科会の北京セッションでは、「歴史問題」と「ストレス社会」という二つの大テーマをめぐり、北京大生が「中国人が持つ日本への偏見・誤解」を、余すところなく東大側にぶつけてきた。それに対し東大側は、まずそれが偏見か、誤解か、またはただの認識の相違かを北京大生と話し合った。もしその認識が偏見や誤解だと東大側が主張すれば、反証となる情報を伝えて北京大生にその情報を納得してもらい、ひいてはその認識が偏見や誤解だと認めてもらえるよう意見を共有したり、説明したりする。両方の努力で多くの議題が合意に至ったが、議論に折り合いがつかないまま保留されたものも多かった。

 情報が流動化しつつ分断されている現代社会においては、何の偏見も誤解も持たずに生きることはほぼ不可能だと思う。なぜなら、自分の中にもまだ気づいていない偏見や誤解の芽があるかもしれないし、自分の情報が他人のものと違ったり、偏りがあったりする可能性もあるからである。そもそも、人の価値観は、何を重視しているかということやそれぞれの持つ視座によって異なるだろう。ここでまず偏見や誤解などといった心理的障壁を持つことは、世代や文化を超えて普遍的な問題になっている、という事実確認をしたい。
 ただし、偏見や誤解が普遍的に存在していることは、偏見や誤解を持つことの言い訳になるわけではない。偏見や誤解を持っていても気づかないこと、すなわち無意識の偏見が様々な問題をもたらしていることも紛れもない事実である。
 北京セッションにおいて日中分科会の最終ゴールは、偏見や誤解を防ぐためにどのようなことができるのかを考えることである。セッションを振り返って、私は二つの方法があると思う。
 まず、「無意識」の意識化が一助となると思う。無意識の偏見は 「自分には偏見がない」と思うことから発生する。そこで意識的に思考をコントロールし、自分自身に対して常に疑いを持つことが大事になる。事前の勉強会では、中国語の文献やメディア報道を読み、そしてネット言論をもとに各議題をめぐる中国人の考え方をまとめて、メンバーに共有することが私の主な役割だった。しかし、議論の中で、自分が認識している「中国人の考え方」と北京大生の主張が食い違うことが屡々あった。通算18年間ほど中国に住んでいた自分でも、中国に対する偏見や誤解を抱いていると認めざるを得なかった。我々のこの無限大な世界への認識は、いつになっても不十分な形をしているに過ぎないと痛感した。不十分な箇所を補ったり、誤りを訂正したりすることこそが、認識を深め、世界を理解する一助になると思った。
 また、偏見や誤解を自覚した後、それを解消し、減らすためには、十分な認知資源を持つことが大切だと思う。偏見や誤解は相手への無知に基づくものなので、接触機会を増やし、真の姿に触れれば一部の偏見が自ずとなくなるはずである。逆に相手の偏見や誤解と向き合うとき、信頼できる情報源から得た研究結果や統計資料を見せるなど、客観的な証拠や論拠を持って説明することはもちろん良いが、個人の主観的な思考や他人からの多種多様な意見を提供することも望ましいだろう。正直、議論中に東大側の中で意見が異なる時も多く、対立することも珍しくなかった。場合によって必ずしも意見を一致させる必要はなく、むしろお互いの意見を尊重した上で、多様な意見を相手に伝えた方が、多方面にわたる認識形成に貢献しうると思う。

 社会化の過程を通して、偏見が人間に少しずつ内面化されていく。異なる社会においては、優勢な価値体系や行動様式も異なり、その社会で自然と取得した偏見も異なるはずである。今回の日中関係分科会では偏見と誤解がメインテーマとして扱われているが、実は京論壇のどの分科会でも、日本と中国に関する様々な偏見と誤解に常に向かい合っている。
 京論壇では、異なるバックグラウンドや経験を持つメンバーたちが、個人の価値観を重視する議論を行っている。しかし、議論の中で、その価値観には無意識の偏見が付随していることに気づかされたことも多い。その偏見を含めたそれぞれの個人の認識は、社会の主流派の意見と一致するとは限らないが、社会の一部の縮図をある程度体現していると思う。よって、個人の価値観の中にある偏見に気づいてはじめて、社会に存在する偏見にも気づけることになる。京論壇は、個々人を社会のことに注目させ、自分事として考えさせる場所であると強く感じた。

 コロナで北京に行けなかったことはとても残念に思うけれど、東大側のメンバーたちと一緒に6泊7日を過ごしたことは、2020年の一番の思い出になったと言っても過言ではないほど充実していた。議論のみならず、休憩時間などに交わす雑談も、深夜遅くまでの談話会も、全てが生き生きと記憶に残っており、学びも刺激も考えさせられることも多かった。短い間だったが、京論壇メンバーそれぞれの、魂のこもった「本音」に惹きつけられ、OBOGを含めた「本気」の人たちが京論壇にエネルギーを注ぐ姿勢に感銘を受け、胸が熱くなってきた。指折り数えて東京セッションを待ちつつ、その熱量を忘れずに、未完成な自分を、もっと成長させていきたい。

文科三類1年 韓 浜澤


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