【2月オンラインセッション報告記①】 不確実性と向き合う 〜井潟瑞希〜

私が医療技術と死生観分科会に加わった理由を一言で表せば、それは「危機感」だ。

作り出された技術により人間自らも影響を被り変化することを、贈与論で有名な人類学者マルセル・モースは相互的因果と呼んだ。彼は次のような例を挙げる。「先の尖った石器は大型動物を仕留めるために作られた道具であると同時に、狩猟という社会的行為を可能にし、狩猟社会を成立させる条件となった。石器はそれが作られた目的を超えて、人間が一定規模の社会を営むことを可能にした」
なるほど確かに、人間と技術は双方向の関係を持っている。そしてその関係は、火薬、自動車、インターネットなどあらゆる技術に当てはまるらしい。議論の的になっているゲノム編集や生殖補助医療も一緒だ、と言う人も多い。心配する必要はない、これまでの技術と何も変わらないと。でも本当に、同じことが言えるのだろうか?私たちが今経験している技術革新の速度は、これまでとは比べ物にならない。果たしてこれまでと同様に、技術が更新される速度に合わせて人間のあり方が更新されることは望ましいのか?その速度に追いつこうとする中で、大切な何かを失い、気付いた時には手遅れになってしまわないだろうか?

医療技術は、あらゆる人の生死のありかた、家族のありかたに直接影響する。日常会話で安楽死や生殖補助医療の話題を気軽に持ち出すことは難しい。しかしある日突然、待ち望んだ我が子が重度の障害を持っていると出生前診断で判明したとき、交通事故に遭ったとき、認知症の母親が進行前に安楽死したいと言い出したとき、難しい問いに答えを出すことを迫られる。そしてそうした生死に関する決定に必要な軸を、私は持ち合わせていない。この危機感こそ、私が医療分科会を選んだ理由になる。
         
京論壇での活動を始めた当初、現代においては「不確実性→確実性」という変化が起きていると私は考えていた。つまり、近代科学により得られる統計なり知見なりに基づいて、様々な事柄を予想し制御することがますます容易になっている、と思っていた。しかし意外にも議論の中で繰り返し現れたのはむしろ、技術のもたらす「確実性」ではなく「不確実性」だった。例えば、CRISPR-Cas9に代表されるゲノム編集技術。難治性遺伝病の治療の実現と同時に、いわゆるデザイナーべビーを現実のものとする可能性もある。もしデザイナーベビーが一般的となったら、何が起こるだろうか。ゲノム編集技術を利用できる経済的余裕のある層のみが「優秀」な子供を持つようになるのか?でも少なくとも健康な子供を望むのは自然なことであるはず。いやそもそも自己決定権のもと、自己(=親)の意志で子供の性質を決めることは適切か...その技術の持つ不確実性ゆえに次から次へと問いが生まれ、最初の問いから遠く離れてしまうことが議論中によく起こった。核心から外れてしまっているようで、それはしばしばストレスにもなった。

2月セッション及び最終報告会を経た今、正直に言うと私が期待していた軸を見つけることは出来ていない。ただ一つ私が京論壇での8カ月を経て自信を持って言えるのは「二つの極端な結論に陥ってはいけない」ということだ。
 a. そのメリットから、ある技術を全面的に許容する
 b. 倫理的問題を避けるために、ある技術を全面的に禁止する
冒頭で述べたような危機感を持っていた私は、場合によってはbを取るべきだと思っていた。潜在的リスクを考えれば、例外なしの禁止も必要だと。しかし複数の事例に当たるうちに、自分は科学技術を否定的に捉え過ぎていたのかもしれないと思い始めた。例えばNPO法人「親子の未来を支える会」の代表の林医師にインタビューした時のこと。日本では中絶、さらには優生学とも結び付けられがちな出生前診断だが、診断結果に基づき、出生前に治療を施す胎児医療を施すことで新生児を最善の形でこの世に迎えることができる、というお話を伺った。「胎児とその家族へのサポート」でもある出生前診断を「命の選択」としか捉えてなかった自分に、恥ずかしながらそこで初めて気が付いた。出生前診断に限らず、あらゆる技術には複数の側面がある。というかそもそも技術とは突き詰めれば道具で、善でも悪でもない。だからaとbという結論の間に、科学技術との上手な付き合い方という妥協点があると信じ、粘り強くそれを探し続けなければいけない。これが科学技術の持つ不確実性に向き合うために必要な態度であるはずだ。肯定側と否定側に分かれるディベートではなく、あくまでもディスカッションという形を取る京論壇だからこそ、二つの極端な結論の間のグレーゾーンについて真剣に考えることができた。

もう一つ、私の人生に不確実性を加えるもの、それは人との出会いだと思う。京論壇で色々な出会いがあった。夜通し議論ともつかないお喋りを繰り広げた同期、「だいたい本場」の四川料理に連れて行ってくれた四川出身の先輩。私が専門にしたいと考えている中東政治を、偶然専攻していた医療分科会の議長。こうした人達が、大学入学時には到底見えなかった物事の捉え方や可能性を見せてくれた。選択肢が増えたぶんだけ不確実性が増した。

結局のところ京論壇での収穫は、科学技術が持つ不確実性と同時に私の将来が持つ不確実性をポジティブに捉えられるようになったこと、とまとめられるのかもしれない。

最後に、京論壇2020の運営の方々に感謝を申し上げたいです。この一年、あらゆる人々が先行きの見えないパンデミックの中で「不確実性」に振り回されました。そのような中で京論壇を作り上げることは並大抵のことではなかったのでは、と思います。貴重な成長の機会を設けて頂き、本当にありがとうございました。

文科三類一年 井潟瑞希

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