議長挨拶:高宇田

こんにちは!2020年度分科会議長を務めさせていただくことになりました、文科一類2年の高宇田(コウウデン)です。

今回は私が大好きな食べ物、火鍋について書きたい。

議長挨拶に何か真面目かつ意識高い話を書かなければならないと思うけど、実は京論壇の運営から「なんでもいい」というゆるゆるの要求しかない。しかも慶應を受験する時、志望理由書に「将来火鍋店を経営したいから経済学部に進学したい」って書いたけど、多分そのせいで落ちた笑。せっかく「なんでもいい」文章を書ける場所があるから、私は自分が大好きの且つ出身地の中国四川省成都市の誇りの食べ物、火鍋について書こう。

火鍋は多様性高い食べ物だから大好き。火鍋だったら辛いと辛くないスープ両方も選べるから、辛い嗜好の四川人の私も辛い駄目の友達も満足できる。そして食材も多種多様だ。肉は豚、牛、鶏、魚、羊とか、野菜も土地から枝まで、一回火鍋を食べると何十種の食材が食べられる。

誰でも、他人の好き嫌いを考慮する必要なく、火鍋で自分の好きな食べ物を満喫できる。そういう意味で私は他人の好き嫌いの目線で生きていくのは嫌だ。最近やっと髪を紫に染めた。昔ずっと染める勇気がない理由は、紫髪の人は絶対変な人や東大生っぽくないと思われる。でも変な人だと思われても自分は変な人じゃない、東大生っぽくないと思われても東大生である。昔もWechatとインスタで自分が偉そうに見える内容を投稿すべきだと思う:いい成績とか、何か賞を取ったとか、意味深い本と映画を見たとか…でもそれを見た人が私のことどう思うかは、自分が実際にどんな人と関係ない。賢い東大生だと思われても、私は授業と試験で苦しんでいる。意識高い京論壇議長とUTDS部員だと思われても、私はBTSの動画とラブラブの韓国ドラマに時間を潰す意識高くない人間である。だからそもそも他人の前に自分の本来の様子を必死に隠す必要ないだろう。他人のいい評価でも自分の短所を失くせない、他人の悪い評価も自分の長所を隠せない。自分は自分がどんな人一番よく分かるから、他人の評価はあくまでもその人の思いだけで事実を何も変えられない。

食材を火鍋に入れたら全部そのスープの味に付けられ、一見全ての食材が同じ単調な味になる。実はスープは同じだとしても、異なる食材は同じ味ではなく独自の味を持つ多様性がある。ラベリングが嫌いのもそうだ。私にとって一番身近で感じられるラベリングは「東大生」と「中国人」。「東大生」だから頭いい、私は別に頭良くないよ。「東大生」だから将来官僚になる、別に他の志向を持つ学生もたくさんいる。違う個性、価値観、成長環境を持つ一人一人の東大生を全部「東大生」という一言で規定するのは不可能だろう。国籍によるラベリングもさらにふさわしくない。簡単な例は、よくうるさいと思われる「中国人」の中でも静かな人もいる、よく静かと思われる「日本人」の中でもうるさい人もいる。火鍋のスープのような同じ味の所にいても、独自の個性を持って異なる一人一人は存在している。

それも私が京論壇に入る一番大事な理由である。京論壇での議論は、「東大生」「北京大生」「日本人」「中国人」というラベリングを捨てて、一人一人の参加者は個人ベースの価値観を議論しに行く。実は私が議長として選ばれたことからわかる。京論壇の日本側に中国人議長が出てくるのはおかしくない?既に北京大からたくさん中国人いるじゃん、わざわざ日本側の一つ貴重なポストを中国人にあげる必要ある?少なくとも京論壇はそういう理由で私を断れなかった。京論壇は「中国人」で私を縛るではなく、ちゃんと一人の「私」として扱う。だから長く「東大生」と「国籍」に縛られて解放されたい人、ぜひ京論壇に来てください。皆さんのご参加をお待ちしています!

高宇田


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